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第10話「山猫商会」③

 ……何だろう。


 二人とも笑っているのに、急に空気が変わった気がした。


「それで?」


 更級が石鹸を指先で転がしながら、何でもないことのように続ける。


「こいつをうちで扱うとして、最初は預かりでどうだい。売れたぶんだけ代金を払う。残ったら返す」

「お断りしますわ」


 雲居は間髪入れずに返した。


「即答かい」

「ええ。買い取りでお願いいたします」

「初めて見る品に、最初からこっちが丸ごと銭を出せって?」

「最初から大量にお願いしているわけではございませんもの」

「量を絞るなら、こっちだって値は絞りたいねえ」

「それでは、こちらが持ち込んだ意味がありませんわ」


 更級が笑う。

 雲居も笑っている。

 ……やっぱり、どっちが押しているのか分からない。


 私は黙って二人の顔を交互に見た。


「じゃあ、こうしよう。最初は少なめに買う。売れたら次を増やす」

「数を減らすのでしたら、そのぶん一つ当たりのお値段は上げていただきますわ」

「小口なんだ。高く買う道理はないだろう?」

「小口だからこそ、そちらの危険も小さいでしょう?」

「売れなきゃ、こっちは丸損さね」

「売れましたら、次からは数を増やせますわ」

「売れたら、次もこっちに回してくれるのかい?」

「売れ行きを見てからのお話ですわね」

「他所にも持っていくつもりかい?」

「それはまた、別のお話ですわ」


 返事が早い。

 しかも、二人ともほとんど間を置かない。

 更級が一つ条件を出すたび、雲居がすぐに返す。雲居が押し返せば、更級は別のところから切り込んでくる。


 話している内容自体は分かる。

 分かるのだが――


(今、どっちが有利なんだ?)


 まったく分からない。


 斜め後ろで黙っていた磐境が、そこで口を開いた。


「続けて作れるのか」


 低い声だった。


「材料があれば作れます」

「必要な量が増えても?」

「それは――」

「霧江」


 雲居に名前を呼ばれた。


「はい。黙ります」


 昨日、散々言われたばかりだ。余計なことを喋ると、あとでまた怒られる。


 更級が喉の奥で小さく笑った。


「よく躾けられてるじゃないか」

「誰のせいだと思っていますの」

「さてねえ」


 また、それだ。

 磐境はそれ以上何も言わず、口を閉じた。


 その後も、更級と雲居のやり取りは続いた。

 最初に持ち込む数。山猫商会が買い取る値。次に持ち込む数を増やす条件。売れなかった場合をどうするか。

 一つ決まったと思ったら、すぐ次の話に移る。


 途中から私は、口を挟むのを完全に諦めた。


(商売って、こんなに疲れるものなのか……)


 前世でも買い物は当たり前にしていたが、その背景ではこんなやり取りがあったのだろうか。


 ……あ、窓の外にちょうちょがいる。


 やがて更級が、卓の上の石鹸を指先で軽く叩いた。


「まあ、こんなところだろうね」


 雲居はしばらく更級を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……ええ。よろしいですわ」


 どうやら、まとまったらしい。

 何がどうまとまったのか、半分くらいしか分かっていないけれど。


「あとは売り方だね」


 更級がわずかに姿勢を崩す。


「店先に置くか、行商に持たせるか。そこはこっちで――」

「一つ、条件がございますの」


 雲居が遮った。


「聞こうか」

「この品は、一度売って終わりではありません。売り込みが必要ですわよね。そこで――」


 雲居はそう言って、部屋の隅に控えていた稲羽へ視線を向けた。


「――売るのは、稲羽に任せていただきたいですわ」

「えっ」


 稲羽の肩が跳ねた。


(えっ)


 私も心の中で同じ声を出した。

 ついさっき、私と目が合っただけで涙目になっていた人だ。


(あの人見知りに!?)


 更級は笑みを浮かべたままだった。


 ただ、石鹸の横に置いていた指先が、ほんの一瞬だけ止まった。


「あの子の性格を知らないのかい?」

「知っているから、ですわ」


 それだけだった。

 雲居は理由を説明しない。

 更級も、すぐには続きを求めなかった。


 しばらく二人が見つめ合う。


 私は訳が分からず、稲羽を見る。

 稲羽も訳が分からないのか、自分を指さして小さく震えていた。


「わ、私……ですか?」


 ようやく絞り出した声に、更級が視線を向ける。


「聞いての通りさね」

「で、でも、私、その……」

「やるかい? 決めるのはお前だ」


 稲羽は口を開いたまま固まった。

 雲居は急かさない。更級も待っている。


 しばらくして、稲羽は胸の前でぎゅっと手を握った。


「……や、やります」


 小さいけれど、今度はちゃんと聞こえた。


「決まりだね」


 更級が笑う。


「石鹸の売り込みは、稲羽に任せる」


 こうして、私が作った石鹸は山猫商会で扱われることになった。


 そして、その売り込みを任されたのは――どう見ても人見知りの稲羽だった。

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