第10話「山猫商会」②
戸口に立っていたのは、大柄な男だった。
その男を、私は思わず見上げた。
短く整えた髪。猫耳には白、黒、茶の三色が混じっている。立っているだけなのに、やけに存在感があった。
何より、体が大きい。背も高いが、それ以上に肩幅が広く、着物の上からでも分かるくらいがっしりしている。
(でっか……)
思わず見上げてしまった。
男はこちらを一度見ただけで、何も言わない。表情もほとんど動かなかった。
「入りな。立ってちゃ話もできないさね」
男の向こうから、女の声が飛んできた。
大柄な男は無言で脇へ身を引き、私たちを中へ通した。
そこでようやく、部屋の奥にいる女が目に入った。
三十代くらいだろうか。長い髪には茶と焦げ茶の斑が入り、猫耳も同じような模様をしている。片側だけ大きく分けた前髪に、ゆるく波打つ長髪。鋭い猫のような目が、こちらを面白そうに見ていた。
服装は巫女服とはまた違った派手さだ。花魁を思わせる華やかな着物で、商人というよりどこかの大店の女主人――いや、実際そうなのだろう。
そして、その胸元もかなり華やかだった。
(でっか!)
さっきとは別の意味で、今度は心の中に感嘆符まで付いた。
「霧江」
低い声で雲居に名前を呼ばれ、私は慌てて視線を上げた。
女は私の視線の動きに気づいていたらしい。
口の端を、ほんの少しだけ持ち上げる。
「へえ。ずいぶん正直な目をする子じゃないか」
「何のことでしょう」
「さてね」
初対面なのに、いきなり負けた気がする。
私たちが部屋へ入ると、大柄な男は戸を閉め、そのまま女の斜め後ろへ回って静かに控えた。
「更級さま。お時間をいただき、ありがとうございます」
雲居が軽く頭を下げた。更級。どうやらこの人が、山猫商会の商会主らしい。
「雲居がわざわざあたしを訪ねてくるなんて、珍しいじゃないか。そっちが霧江かい?」
「ええ。この方ですわ」
私は包みを抱えたまま頭を下げる。
「霧江です。よろしくお願いします」
「更級だよ。で、そっちは磐境。うちの副商会主さ」
更級が顎で斜め後ろを示す。
大柄な男――磐境が、わずかに頭を下げた。
「磐境だ」
それだけだった。
(短っ)
でも、不愛想というより、必要以上に喋らない人なのだろう。更級の斜め後ろに控える姿も、妙に馴染んでいる。
「さて」
更級が私の抱えている包みへ目を向けた。
「雲居が面白い物を持ってきたっていうから時間を空けたんだ。見せてもらおうじゃないか」
「もちろんですわ。その前に、悪いのですが、桶にお水を用意していただけます?」
「いいだろう。稲羽、頼めるかい?」
「は、はいっ」
稲羽は素直に返事をすると、部屋を出ていった。
その間に、雲居が私を見る。
「霧江」
「はいはい」
私は包みを開き、中から石鹸を一つ取り出した。
更級はそれを受け取ると、すぐには何も言わず、まず表と裏を眺めた。指で表面をなぞり、鼻先へ近づける。
磐境も横から石鹸へ視線を向けているが、口は挟まない。
「名前は?」
「石鹸です」
「何に使う?」
「手とか体を洗うためのものです。水で濡らしてこすると泡が出ます」
「へえ」
ちょうどそこへ、稲羽が水を張った桶と手拭いを抱えて戻ってきた。
「こ、こちらで……よろしいですか?」
「ああ。そこへ置いとくれ」
稲羽が桶を置くと、更級は石鹸を指先でつまみ上げた。
「ちょうどいい。稲羽、試してみな」
「わ、私がですか?」
「その方が分かりやすいだろう?」
稲羽は戸惑いながらも石鹸を受け取り、水で濡らした。
おそるおそる両手の間で転がす。すぐに白い泡が立ち始めた。
「わ……」
稲羽の細い目が、少しだけ丸くなる。
そのまま手のひらと指の間まで洗い、水ですすいだ。
濡れた手を見つめ、指先を何度か擦り合わせる。
「……わあ。すごいです。さっぱりして……手も、きゅっきゅってします」
ぱっと表情が緩んだ。
(笑った! かわいい!)
思わず身を乗り出しかける。
「霧江」
「まだ何もしてないだろ」
「する前に止めていますの」
稲羽の笑顔が一瞬で引っ込んだ。
ごめん。
更級はそんな私たちには構わず、稲羽の手元を見ていた。
笑みは崩れない。
ただ、その目だけがほんの一瞬、鋭くなったような気がした。
「なるほどね」
更級は稲羽から石鹸を受け取り、卓上へ置いた。
「材料は何だい?」
「灰汁と油が中心です」
「同じものを、また作れる?」
「材料があれば」
「一度にどれくらい?」
「それは材料次第かな」
更級の目が私から雲居へ移った。
「面白い品ではある。けど、見たこともない物さね。客がどう受け取るかも分からない。最初から高く買い取るのは難しいねえ」
「よくおっしゃいますわ」
雲居がにっこり笑った。
更級も同じように笑う。
「さて、何のことやら」
……何だろう。
二人とも笑っているのに、急に空気が変わった気がした。




