第10話「山猫商会」①
翌朝、私は山猫商会に来ていた。
「でか……」
いわゆる商館というやつだろうか。
三階建ての建物で、幅も豪邸二軒分くらいある。正面には大きな看板が掲げられ、その下を荷車や人がひっきりなしに出入りしていた。
「霧江、何を呆けてますの」
隣にいた雲居が呆れたように言う。
「いや、思ってたよりずっと大きくて」
「山猫商会ですもの。この辺りでは、かなり大きな商会ですわよ」
そう言われても、昨日初めて名前を聞いたばかりの私には今ひとつ実感がない。
商館の前には木箱や樽が積まれ、荷を運ぶ人たちが忙しなく行き交っている。店先から見えるだけでも、布、乾物、油、道具類と、扱っている物はかなり多そうだった。
昨日まで軒先に並べていただけの石鹸を、こんなところへ持ってきていいのだろうか。
「本当にここで売るの?」
「売るのではありませんわ。売っていただくのです」
「同じじゃない?」
「全然違いますわ」
即座に否定された。
「わたくしたちだけで売れば、客を探して、説明して、お金を受け取って、売れた数まで数えなければなりませんでしょう?」
「まあ、そうなるな」
「そんなことをしていたら、あなたが物を作る時間がなくなりますわ」
なるほど。
昨日から思っていたが、雲居は金の話になると本当に頼もしい。
「では参りますわよ」
雲居は慣れた足取りで商館へ入っていった。私は石鹸を入れた包みを抱え直し、その後を追う。
中は外から見る以上に賑やかだった。
広い店内の左右には棚が並び、見たことのある日用品から用途の分からない品まで、ぎっしりと置かれている。何人もの客が行き交い、その間を商会の者たちが忙しそうに動いていた。
前世でいうところの、大きな百貨店……いや、問屋と店を一緒にしたようなものだろうか。
きょろきょろしていると、店の隅で荷をまとめていた一人の女が、こちらに気づいて立ち上がった。傍らには背負子と、いくつかの包みが置かれている。
灰色の髪の上で、黒い縞の入った猫耳がぴくりと動く。腰の後ろには同じ色合いのしっぽまで揺れていた。
(猫耳だ! しっぽもある!)
気づいた瞬間、私はほとんど反射でその女に歩み寄っていた。
「い、いらっ……いらっしゃいませ」
こちらへ近づいてくる途中まではまだ普通だった。ところが私が勢いよく距離を詰めた瞬間、ぴたりと足が止まる。
「あ……え、えっと……」
視線が忙しなく泳ぐ。私の顔に触れたと思えば、すぐに手元の包みや腰元へ落ち、また戻っては逸れた。
「耳、本物?」
「ひゃっ」
「しっぽもある……!」
「あ、あの、その……っ」
さらに一歩踏み出したところで、女の目にうっすら涙が浮かんだ。
「霧江」
背後から襟を引かれた。
「ぐえっ」
「初対面の相手を泣かせて、何をしていますの」
「いや、だって猫耳としっぽが……」
「言い訳になっていませんわ」
雲居に引き戻されてから、私はようやく周囲へ目を向けた。
帳場で客と話している男にも、荷を運んでいる女にも猫耳がある。しっぽまで揺れている者も少なくない。
働いている人たちは、見える範囲だけでもほとんどが猫獣人だった。
「……猫耳だらけだ」
「山猫商会ですもの」
当たり前のように雲居が言う。
猫耳少女は涙目でぷるぷる震えていたが、私の隣にいる雲居を見つけると、露骨にほっとした顔になった。
「雲居さん。お久しぶりです」
「ええ。しばらくぶりですわね、稲羽」
稲羽というらしい。
さっきまでのぎこちなさが嘘のように、雲居とは普通に話している。
「あ、あの……そ、そちらの方は……?」
「霧江ですわ。今日はこの方の用件で参りましたの」
「霧江です。よろしく」
「は、はいっ……! よ、よろしく、お、お願いします……!」
勢いよく頭を下げたかと思えば、上げた顔はまた私から逃げるように横を向いた。
(……まさか、この性格で客の相手をする仕事じゃないよな)
そんなことを考えていると、稲羽が雲居の袖口へ視線を向けた。
「そういえば雲居さん。前に買われた札紙、使い切りましたか?」
「札紙?」
「はい。前のものは少し厚くて、重ねて使うと指に引っかかるっておっしゃっていたので。似た厚さで、もう少し薄いものが昨日入ったんです」
雲居がわずかに目を丸くした。
「まあ。よく覚えていましたわね」
「前に気になるって言っていたので……」
稲羽はそう言って、小さく笑った。
(……よく見てるんだな)
変わった人だ。
「それで、今日はお買い物ですか?」
「いいえ。更級さまにお話がありますの」
雲居が私の抱えている包みへ目を向ける。
「少々、面白い物を持ってきましたわ」
稲羽も包みを見た。
けれど、中身を尋ねることはせず、すぐにうなずく。
「分かりました。確認してきますので、少しだけ待っていてください」
そう言い残して、稲羽は奥へ小走りに消えていった。
「顔が利くんだな」
「以前から何度かお世話になっていますもの」
「それにしても、あの人……」
「稲羽がどうかしまして?」
「いや。すごく人見知りだなって」
雲居は一瞬だけ私を見た。
「そうですわね」
それだけだった。
何となく含みのある返事だった気もするが、すぐに稲羽が戻ってきた。
「お、お待たせしました。更級さまがお会いになるそうです」
「ありがとう」
礼を言うと、稲羽はまた少しだけ肩を強張らせた。
「こ、こちらです」
私たちは稲羽に案内され、店の奥へ向かった。
客の多い売り場を抜けると、途端に喧騒が遠くなる。廊下を進み、さらに奥。
稲羽が一つの部屋の前で足を止めた。
「更級さま。雲居さんと、霧江さんをお連れしました」
少し間があって、中から女の声が返ってくる。
「入りな」
次の瞬間、内側から戸が開いた。




