第9話「大馬鹿ですわ」③
「…………はい?」
雲居は、私の顔をじっと見た。
さっきまで浮かんでいた笑みが、きれいに消えている。
「今、なんとおっしゃいましたの?」
「売ってないけど」
「なぜですの!?」
声がひっくり返った。
篠が肩をびくりと揺らし、朝凪もわずかに目を見開く。夕凪も、使い終えた盥を片づける手を止めて、きょとんとしていた。
「なぜって……自分たちで使うために作ったものだし」
「だから、なぜそれで終わっていますの!?」
雲居は洗ったばかりの両手を私の前に突き出した。
「これだけ簡単に泡が立って、汚れが落ちて、しかも固めて持ち運べる。使えば減るから、一度売って終わりでもありませんわ」
「まあ、そうだけど」
「そうだけど、ではありません!」
今度は篠まで、少しだけ私から目を逸らした。
「霧江さん……雲居さんの言い方はともかく、言っていることは分かる気がします」
「篠まで?」
「私も」
朝凪が短く続ける。
「これ、便利」
「朝凪まで……」
味方がいない。
雲居は石鹸を手に取り、しげしげと眺めた。
「材料は?」
「灰汁と油が中心。作り方はもうレシピに入ってるから、材料があればまた作れるよ」
「一つ作るのに、どれくらいかかりますの?」
「まとめて作るから、一つだけって考えたことないな」
「では、一度にどれほど作れますの?」
「材料次第?」
雲居の眉間に皺が寄った。
「では、元手は?」
「元手?」
意味は分かる。けれど、この世界に来てから、作った物ごとの費用など計算したことはなかった。
「材料を揃えるのに、いくらかかっていますの?」
「ああ。灰は薪を燃やしたやつだし、油も手元にあったから……いくらだろう」
雲居が額を押さえた。
「あなた、本当に商いをする気がありませんのね」
「ないよ?」
「胸を張るところではありませんわ!」
怒られた。
私はただ、欲しい物を作っているだけなのだ。
必要な素材を集めて、足りない物があれば買う。今のところ、それで困ってはいない。
「生活できるくらいのお金があれば、別にいいかなって」
そう言うと、雲居の目が細くなった。
「霧江」
「はい」
「あなた、馬鹿ですの?」
「さっきより悪化してない?」
「大馬鹿ですわ」
「もっと悪化した!」
篠が慌てて口を挟む。
「雲居さん、さすがに失礼です!」
「では篠。霧江が今より大きな炉を作りたいと言ったら、どうしますの?」
「え?」
「もっと珍しい素材が必要になったら? 遠くまで採りに行く人手が要るようになったら? 家や作業場が手狭になったら?」
篠が言葉に詰まる。
雲居は私へ向き直った。
「お金は、贅沢をするためだけのものではありませんわ」
さっきまでとは違う、落ち着いた声だった。
「素材を買う。道具を揃える。人を雇う。場所を広げる。お金があれば、選べることが増えますの」
「選べること……」
「ええ。あなたほど色々な物を作れる方が、お金がないせいで作れない物を増やすなど、馬鹿馬鹿しいでしょう?」
言われてみれば、その通りかもしれない。
今は篠たちが手伝ってくれる。だが、もっと大きな物なら、一人ではどうにもならないこともあるだろう。
材料だって、いつも都合よく近くで手に入るとは限らない。
「……なるほど」
「ようやく分かりましたの?」
「雲居って、ちゃんと考えてるんだな」
「どういう意味ですの!?」
また怒られた。
雲居は身を乗り出し、石鹸を私の目の前に掲げた。
「とにかく。これを作っておいて、自分たちだけで使って終わりなど――」
そこで、私の視線が一瞬だけ下へ落ちた。
仕方がない。身を乗り出されたら、例の巫女服がさらに危険なことになる。
「霧江さん」
篠の声が低い。
「見てない」
「まだ何も言ってません」
「見てた」
朝凪まで追撃してくる。
「だから見てないって」
「……霧江?」
雲居が首を傾げた。
私は顔を上げる。
雲居は私を見たあと、自分の胸元へ目を落とした。
それから、もう一度こちらを見る。
「……あら」
口元が、ほんの少しだけ持ち上がった。
嫌な予感がした。
「な、なんだよ」
「いいえ。何でもありませんわ」
絶対に何でもない顔ではない。
篠がさりげなく私と雲居の間に入った。反対側からは、朝凪までじりじりと私との距離を詰めてきた。
「話、続けてください」
「ええ。そういたしますわ」
雲居は妙に機嫌のよさそうな顔で石鹸を置いた。
「まず、これから何か作ったら、わたくしにも見せなさい」
「なんで?」
「売れる物かどうか、あなたには判断できそうにありませんもの」
「そこまで?」
「篠の刀、金剛と言いましたわね。おいくらいただきましたの?」
「……」
答えに詰まった。
金剛は、篠の武器がなくなったから作ったものだ。金を取ろうなんては考えてもみなかった。
雲居が大きく息を吐く。
「ほら」
「あれは特別」
「その『特別』をいくつ作るつもりですの?」
「うっ」
何も言えない。
篠は申し訳なさそうに刀の柄へ手を置いた。
「霧江さん。今からでもお支払いした方が……」
「いや、それはいい。篠には世話になってるし」
「そういうところですわ!」
雲居の声が家の中に響いた。
「もう決めました。あなたの金銭感覚は、放っておけませんわ」
「そんなに?」
「そんなに、です」
きっぱりと言い切られる。
「それに、この石鹸」
雲居は再び一つ手に取った。
「売れますわ」
「そうかな」
「売れます」
今度は一切迷わなかった。
「売り方にも、売り先にも心当たりがありますの」
雲居は石鹸を見つめ、満足そうに笑った。
「これは、きちんとお金に変えますわよ」




