第9話「大馬鹿ですわ」②
昼を少し回ったころ。
私は家の軒先で、乾かしていた石鹸をひっくり返していた。
先日作った分は、もうだいぶ固まっている。使うぶんには十分だが、せっかくなので形を揃えておこうと思い、小刀で不揃いな角を薄く削っていた。
「霧江さん、そちら終わりましたら、お茶にしませんか?」
家の中から篠の声が飛んでくる。
「もうちょっと。これだけ揃えたら行くよ」
「分かりました」
朝凪と夕凪は、今日は昼前から遊びに来ている。
朝凪は少し離れた場所で、弓の弦を確かめている。さっきから何度も同じところを見ているので、たぶん暇なのだろう。
夕凪は台所だ。何やらいい匂いがする。
こうして皆が集まっていると、ずいぶん賑やかになったものだと思う。
少し前までは、私一人で好き勝手に物を作っていただけなのに。
そんなことを考えていると、家の前で人の気配が止まった。
「ごめんくださいませ」
聞き覚えのある声だった。
顔を上げる。
「あ」
立っていたのは、雲居だった。
隼たちと一緒にいた、巫女装束の女だ。
薄い水色の長い髪。少しつり上がった目。
太めの眉。
以前と変わらない、どこか人を値踏みするような落ち着いた顔つき。
――ただし、服が違った。
いや。
正確には、巫女服そのものは見覚えがある。白と淡い青を基調にした、動きやすそうな仕立てだ。
違うのは胸元だった。
上衣の布が、帯と平行になるような形で胸の下だけすっぱりと抜かれている。
つまり。
(そこの布、取っちゃったの!?)
思わず二度見した。
ただでさえ雲居は、少し、いや、かなり豊かな体つきをしている。そこへきて、この仕立てだ。胸の下部分が丸見え。
目のやり場に困る。
いや、困ってはいない。
むしろ、かなり助かる。
「霧江さん」
背後から篠の声。
「はい」
「今、どこを見ていました?」
「巫女服です」
「もう少し細かく答えてください」
「全体的に」
「嘘ですね」
即答された。
朝凪までこちらを見ている。
「下」
「見てない」
「見てた」
「見てないって」
「目、落ちてた」
そんなとこに観察力を発揮しなくていい。
雲居は一度、自分の服を見下ろした。
「ああ、こちらですの? 少し仕立てを変えましたの。暑いと胸のあたりに熱がこもって仕方ありませんでしょう?」
「天才か」
「霧江さん!」
篠の声が一段高くなった。
いやでも、理屈は分かる。
熱がこもるなら、風を通せばいい。実に合理的だ。
(合理的なんだけど、見た目の威力がすごいな……)
どうやら、本人にとっては本当にただの暑さ対策らしい。
「それで、今日はどうしたの?」
どうにか視線を顔まで戻して尋ねる。
「少々、お話がありまして」
雲居はそう言うと、当然のように家の中へ視線を向けた。
「立ち話もなんですし、お邪魔してもよろしくて?」
「どうぞ」
「霧江さん!?」
篠が驚いた顔をする。
「お茶くらいいいだろ」
「そういう問題でしょうか……」
朝凪は無言だったが、雲居を見る目が少し冷たい。警戒しているのだろうか。
家へ入ると、夕凪がお茶を用意してくれた。
雲居は礼を言って座る。
私はその正面。篠は私の隣。朝凪は反対側。
なんだか囲まれている気がする。
「それで、お話って?」
「先に申し上げますわ」
雲居は湯呑みに口をつけてから、あっさりと言った。
「わたくし、隼さまたちの狩組を抜けましたの」
「え?」
篠も目を丸くする。
朝凪だけは、さほど興味がなさそうだった。
「何かあったんですか?」
篠が尋ねる。
「何か、というほど大げさなことではありませんわ。単純に、あのままでは先がありませんもの」
雲居は指を一本立てた。
「稼いだ以上に使う。注意しても改めない。必要な出費と、際限なく金を注ぎ込むことの区別も曖昧。わたくし、何度も申しましたのよ?」
そこまで言って、ため息をつく。
「良い装備を揃えること自体は結構ですわ。けれど、お金が尽きれば素材も買えませんし、壊れた物も直せません。食べるものにだって困りますもの」
「それは……まあ、そうですね」
篠が困ったようにうなずく。
「白銀にも言いましたわ。良い物を作ることと、金に糸目をつけないことは同じではありません、と」
以前会った白銀の顔が浮かぶ。
あの人なら、良い素材を前にしたら財布の中身など忘れそうではある。
「隼さまにも何度もお話しましたけれど、『次の狩りで取り返せばいい』の一点張り。沈むと分かっている船に、最後まで付き合う義理はございませんもの」
言い切った。
薄情にも聞こえるが、話を聞く限り、雲居は散々忠告した後らしい。
「それで、これからどうするんだ?」
私が聞くと、雲居はにっこり笑った。
嫌な予感のする笑顔だった。
「霧江。しばらく、あなたのところに出入りさせていただこうかと思いまして」
「反対です!」
私より先に篠が答えた。
「早いですわね」
「早くありません。どうして急に霧江さんのところへ来るんですか!」
「決まっているでしょう?」
雲居は涼しい顔で答える。
「将来性がありますもの」
「……は?」
「わたくし、泥舟ではなく大船に乗りたいのですわ」
そう言って、雲居の目が私をまっすぐ捉える。
「どうせなら、これから価値が上がる方のそばにいたいでしょう?」
「霧江さんを物みたいに言わないでください!」
「褒めていますのよ?」
「褒め方の問題です!」
横で朝凪がぼそりと言った。
「怪しい」
「怪しくなんてありませんわ。あなたこそ、どうして霧江のそばにいますの?」
「夕凪がここを気に入ってるから」
「わたくしはわたくしのためですわ」
「もっと悪い」
「清々しいですわね、その言い方」
やれやれと嘆息し、雲居は湯呑みを口に運んだ。
「そういえば、さっきから気になっていたのですが――」
雲居の視線が、開け放した戸口の向こうへ向く。
軒先には、私がさっきまで形を整えていた石鹸が並んでいる。
「あちらに並べてあるものは、なんですの?」
「石鹸」
「せっけん?」
「手とか体を洗うやつ。水につけてこすると泡が出る」
雲居は軒先の石鹸をじっと見た。
さっきまでとは、目つきが少し違う。
「……使ってもよろしくて?」
「いいよ」
私は軒先から一つ取って、雲居に渡した。
夕凪が盥に水を汲んでくれ、雲居が実際に手を洗う。
石鹸を濡らし、手のひらで転がす。白い泡が立つ。
雲居は何も言わない。
そのまま指の間まで丁寧に洗い、水ですすぐ。
そして、洗った手をじっと見た。
「……霧江」
「はい」
「これ、どこで買いましたの?」
「買ってないよ。作った」
雲居の動きが止まる。
「あなたが?」
「うん」
「……おいくらで売っていますの?」
「売ってないけど」
沈黙。
雲居はゆっくりと私を見る。
「…………はい?」




