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第9話「大馬鹿ですわ」①

「もう一度お聞きしますわ。こちら、本当に買いますの?」


 雲居は帳面から顔を上げた。


 卓の向こうでは、白銀が腕を組んでいる。その隣には隼と山背。

 三人とも、雲居の前に置かれた帳面より、白銀が持ち込んだ素材の見本へ目を向けていた。


「必要よ。今の装備では、次に狙う魔獣には心許ないもの」

「必要かどうかを聞いているのではありませんわ。値段に見合うかを聞いておりますの」

「良い装備を作るには、良い素材が要るでしょう?」

「それも先月聞きましたわ」


 雲居は、ぱたん、と帳面を閉じた。


 机の上には、今月の稼ぎと出費が細かく書き込まれている。

 依頼で得た金。討伐した魔獣の素材を売った金。

 そこから食費や宿代を引き、消耗品を補充し、傷んだ装備を直す。山背の盾の修繕にも、まとまった金が出ていった。必要な出費だから、それ自体は仕方がない。だがそのうえで、白銀はより良い装備を作るために高価な素材を欲しがる。


 稼いでいないわけではない。

 むしろ、狩組として見れば稼ぎは悪くない方だ。


 問題は、それ以上に使っていることだった。


「買ってやれよ」


 隼があっさりと言った。


「次のでかい依頼を取れば戻るだろ」

「その『次』が失敗した場合はどうなさいますの?」

「失敗しなきゃいい」

「怪我をして、しばらく狩りへ出られなくなった場合は?」

「そんなもん、今から考えても仕方ねえだろ」


 雲居は小さく息を吐いた。


 このやり取りも、初めてではない。


「狩りへ出られなくなれば、稼ぎは止まりますわ。でも、食費も宿代も止まりませんのよ」

「だから、その前に稼げばいいだろ」

「ですから、その稼いだ分を残しておきましょうと申し上げていますの」


 隼が面倒そうに頭をかいた。


「雲居、お前は金のことを気にしすぎなんだよ」


 その言葉に、雲居の眉がぴくりと動いた。


「ええ。気にしますわ」


 即答した。


「お金がなければ、薬一つ買えませんもの。武器も直せません。素材も買えません。食べるものにだって困りますわ」


 白銀が肩をすくめる。


「だから稼ぐために装備を整えるのでしょう?」

「限度のお話をしておりますの」


 雲居は閉じた帳面へ指を置いた。


「今月の稼ぎをすべて使って、足りない分を来月の稼ぎに期待する。その来月も同じことをする。そんなもの、稼いでいるとは言いませんわ。ただ金を通しているだけですの」


 白銀が口を閉じる。


 隼も、今度はすぐに言い返さなかった。

 山背が困ったように頭をかく。


「雲居の言うことも分かる。だが、装備が要るのも確かだ」

「ええ。ですから、安い物だけを使えとは一度も言っておりませんわ」


 雲居は山背を見る。


「今すぐ必要な物と、あれば便利な物。それを分けてくださいませ、と申し上げているだけです」


 山背は何も答えなかった。


 やがて隼が、白銀の持ってきた素材を指さした。


「買おう」


 それで決まりだった。


 雲居はしばらく隼を見つめた。

 怒りは、不思議となかった。


 何度も言った。

 何度も帳面を見せた。

 そのたびに、隼は次の狩りで取り返すと言った。白銀は良い装備が必要だと言った。山背は止めなかった。


 ならば、もう答えは出ている。


「分かりましたわ」


 雲居は帳面を自分の方へ引き寄せた。


「おう。じゃあ――」

「わたくし、この狩組を抜けます」


 隼の口が止まった。

 白銀が目を瞬き、山背が雲居を見る。


「……は?」

「聞こえませんでしたの? 抜けると申し上げました」

「ちょっと待て。何でそうなるんだよ」

「どうしても何もございませんわ」


 雲居は帳面を開き、最後の頁を隼たちへ向けた。


「このままでは、いずれ立ち行かなくなる。そうならないために何度も申し上げました。それでも変えるおつもりがないのでしょう?」

「次の依頼で――」

「その言葉も、もう聞き飽きましたわ」


 きっぱりと言い切る。


「沈むと分かっている船に、最後まで付き合う義理はございませんもの」

「……金が理由かよ」


 隼の声が低くなる。


 雲居は少しだけ首を傾げた。


「ええ。金も理由ですわ」


 そこで一度、言葉を切った。


「ですが、それだけではありませんの。先のことを考えようとしない方々と、わたくしは先へ進めません」


 隼が黙る。

 白銀は不満そうに眉を寄せたが、雲居を引き止めはしなかった。

 山背だけが、深く息を吐く。


「……決めたのか」

「ええ」

「そうか」


 短い返事だった。

 それで十分だった。


 雲居は帳面から必要な分だけを書き写し、残りを卓の中央へ置いた。


「今までの分は整理してありますわ。未払いもございません。共同で買った物についても、わたくしの取り分は要りません」

「そこまでしなくてもいいだろ」

「後から金のことで揉めるのは嫌ですもの」


 雲居は立ち上がる。

 最後に白銀へ目を向けた。


「白銀」

「何よ」

「腕は認めていますわ。ですからこそ、良い物を作ることと、金に糸目をつけないことは同じではないと覚えておきなさいませ」


 白銀の眉がさらに寄る。


「余計なお世話よ」

「ええ。もう仲間ではありませんものね」


 雲居はにこりと笑った。

 それから山背を見る。


「あなたも、たまには帳面をご覧になった方がよろしくてよ」

「……善処する」

「その返事、信用なりませんわね」


 最後に隼。

 何か言いたげな顔をしている。

 けれど雲居は、もう何も言わなかった。


 部屋を出る。


 外へ出た途端、むっとした熱気が肌へまとわりついた。


「暑いですわね……」


 雲居は胸元へ手を入れ、ぱたぱたと風を送る。

 白を基調とした巫女装束は気に入っている。動きやすいよう自分なりに手を入れてもいる。


 ただ、一つだけ困ることがあった。


「胸が蒸れますわ……」


 特に暑い日はひどい。

 雲居は歩きながら、自分の上衣を見下ろした。


「何か工夫が必要ですわね」


 宿へ戻ったら、仕立てを考えてみよう。


 そう考えながら歩き出して――ふと、足が止まった。


 狩組を抜けた。

 ならば、次を考えなくてはならない。


 雲居は、これから先を一人でやっていくつもりはなかった。

 一人でも食べてはいける。


 だが、それでは面白くない。


 組むなら、腕があるだけでは足りない。

 先がある者。

 そして、できれば――まだ本人が、その価値に気づいていない者。


 そこまで考えた時、一人の女の顔が浮かんだ。

 以前、隼たちと一緒に出会った造作師。

 篠が持っていた、異様なほど頑丈な刀を作った女。


「……霧江、でしたわね」


 雲居の口元が、ゆっくりと上がった。

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