第8話「値打ちのあるもの」④
暁は戸口まで行きかけて、ふと足を止めた。
視線の先には、作業台の脇に置いた棚がある。
「霧江。あれはなんだ?」
「ん?」
指さされた先を見る。
棚の上には、四角く切り分けた石鹸がいくつか並んでいた。夕凪たちと作った残りだ。
「ああ、石鹸。身体とか服を洗う道具だよ」
「せっけん?」
聞き慣れない言葉らしく、暁が首を傾げる。
「水で濡らしてこすると泡が出るんだ。脂とか血とか、獣くささもかなり落ちる」
「本当ですよ。フヨウを解体したあと、私たちも使いました」
篠が横から保証すると、暁の眉が少し上がった。
「魔獣の脂まで落ちるのか」
「少なくとも、フヨウの脂や獣くささはかなり落ちたよ。服にも使えるし、手を洗うだけでも違う」
暁は棚へ近づき、石鹸をまじまじと眺めた。
見た目だけなら、ただの白っぽい塊だ。これだけ見ても、何が便利なのかは分からないだろう。
「試してみてもいいか」
「もちろん」
私は桶へ水を汲み、暁に石鹸を渡した。
暁は言われたとおり手を濡らし、石鹸をこする。
「……泡が出るのか」
白い泡が手のひらを覆う。暁は少し不思議そうに指を擦り合わせてから、桶の水ですすいだ。
何度か掌を擦り合わせる。水だけで洗った時との違いが、すぐに分かったらしい。
「なるほど。水だけで洗うより、ずいぶんさっぱりするな」
もう一度、石鹸を見る。今度はさっきより少し興味の混じった目だった。
「これ、お前が作ったのか?」
「篠と朝凪と夕凪にも手伝ってもらったけどな」
暁はしばらく考えてから、ぽつりと言った。
「一つ、売ってくれないか」
「これを?」
「ああ。女房への土産にしたい」
意外だった。
石鹸は便利だと思って作ったけれど、売り物として見たことはなかった。
「別に金はいらないよ。獣脂と灰汁で作っただけだし、大した材料じゃないから」
そう言って一つ取ろうとすると、暁が顔をしかめた。
「それは悪い。作った物をもらうんだから、払わせろ」
「いや、本当に安い材料なんだって」
暁は腰の小袋から硬貨を取り出すと、作業台の上へ置いた。
「材料が安いのと、作った物に値打ちがないのは別だろ」
「……そういうもんなの?」
「少なくとも俺は作れない。女房が喜ぶなら、それで十分値打ちはある」
言われてみれば、そうなのかもしれない。
自分で作れるものは、どうしても材料と手間ばかり見てしまう。けれど、作れない人からすれば、完成した物そのものに意味がある。
(なんか、前世のフリマみたいだな)
趣味で作った物に、思ったより値段がついて驚いた人の話を思い出す。
「分かった。じゃあ、ありがたくもらっとく」
私は石鹸を布で包み、暁へ差し出した。
「使い方は、濡らして泡立てて洗うだけ。目には入れないようにな」
「分かった。あいつ、こういうのは喜びそうだ」
受け取った暁は、少しだけ満足そうに頷いた。
篠もその様子を見て、小さく笑っている。
「暁さん」
「ん?」
「奥さまに、よろしくお伝えください」
暁は一瞬だけ目を丸くし、それからいつものぶっきらぼうな顔に戻った。
「自分で言え。また顔を出す」
「……はい」
今度の返事に、さっきまでの痛々しさはなかった。
暁は石鹸を懐へしまい、片手を上げる。
「じゃあな」
「またな、暁」
戸が閉まり、足音が少しずつ遠ざかっていった。
静かになった部屋で、私は作業台の上に残された硬貨を見る。
「……こんなもんで金になるんだな」
「霧江さん」
「なに?」
篠が、どこか嬉しそうに笑った。
「今の、初めてですよね」
「何が?」
「霧江さんが作った物が、そのまま売れたの」
「あー……そういえば」
金剛は篠のために作った。朝凪の弓も依頼ではあったけれど、フヨウの素材を報酬として受け取った。
硬貨と引き換えに、品物そのものを渡したのは、これが初めてだ。
「でも、一個だけだぞ。材料代みたいなもんだろ」
「暁さんは、そうじゃないと言ってましたよ」
「言ってたけどさ」
私は硬貨を指先で転がした。
獣脂と灰汁。材料だけなら珍しくもない。作るのだって、一度レシピを覚えた私には難しくない。
それでも、欲しいと言ってくれる人がいる。
(作った物を使ってもらえるのは、やっぱり嬉しいな)
金になることより、そっちの方がしっくりきた。
「石鹸、また作っておこうかな」
「いいと思います」
篠が笑う。
棚を見ると、石鹸が一つ減ったぶんだけ、小さな空きができていた。
これまでは、私たちの暮らしを少し便利にするためだけの道具だった。
その一つが今、誰かの家へ持ち帰られていく。
それが妙に嬉しくて、私は空いた場所を見ながら、次は何個作ろうかと考えていた。




