第8話「値打ちのあるもの」③
戸口に立っていたのは、四十を少し過ぎたくらいの大柄な男だった。
日に焼けた顔。厚い肩。腰には使い込まれた刀。
ひと目で、長く狩人をやってきた人間だと分かる。
暁。
篠が以前いた狩組の狩人だ。名前は何度か聞いている。
篠は戸口に立ったまま、動かなかった。
「……暁さん」
「久しぶりだな、篠」
暁も、どう声をかければいいのか迷っているようだった。
さっきまで背負子を引いてはしゃいでいた空気が、嘘みたいに静かになる。
「どうして、ここに……」
「町で、お前の話を聞いた」
暁の視線が、篠の腰へ落ちる。
「壊れない刀を持った女狩人がいるってな。しかも、造作師と組んで飛竜まで仕留めたとか」
「……それで?」
「本当かどうか、確かめたくなった」
暁はそこで言葉を切り、少しだけ視線を逸らした。
「……それと、まあ。顔も見ておきたかった」
暁はこちらへ向き直る。
「霧江、で合ってるか?」
「うん。私が霧江」
「暁だ。急に押しかけて悪い」
「気にしなくていいよ」
少し迷ってから、私は作業場の奥を指した。
「立ち話もなんだし、入って」
暁が短く頭を下げる。
篠はまだ、少し強張った顔をしていた。
私は二人の間へ無理に割り込まないようにしながら、椅子を用意した。
向かい合って座っても、しばらく誰も口を開かなかった。
何か言った方がいいのかもしれない。
でも、これは私が整える話じゃない。
(篠と暁さんの話だ)
そう思って、私は少し離れた作業台へ腰を預けた。
「……あの」
先に口を開いたのは篠だった。
「暁さん。あの時は、本当にすみませんでした」
暁の眉が寄る。
「何がだ」
「私の武器のことです。何本も壊して、そのたびに新しい物を用意してもらって……昇格の狩りでも、また壊してしまって」
「篠」
「皆さんに迷惑をかけました。私がもっと――」
「篠」
今度は少し強い声だった。
篠が口を閉じる。
「それ以上、自分だけが悪かったみたいに言うな」
「でも……」
「武器を壊したのは事実だ。金がかかったのも事実だ」
暁はそこで、一度言葉を切った。
「あの頃は、次の狩りの準備をするのもきつくなってた。武器代を出せば、薬や道具を減らす。そういう状態だった」
篠が俯く。
「だから、あの時は誰かが決めなきゃならなかった」
「……私を、組から外すことを?」
「ああ」
暁はごまかさなかった。
慰めるために、過去の判断まで嘘にするつもりはないらしい。
「俺には女房がいる。小松にも榊にも、それぞれ暮らしがある。狩りで稼げなくなれば、困るのは組の中だけじゃない」
「……はい」
「だから、あの時の判断を間違いだったとは言えない」
篠の肩が、ほんの少し沈んだ。
でも、暁の話はそこで終わらなかった。
「ただな」
暁が頭を掻く。
「あれでよかったとも、ずっと思えなかった」
篠が顔を上げる。
「ほかにやり方がなかったのか。もっと早く何かできなかったのか。考えたところで、今さらどうにもならんがな」
その声には、後悔を飾るようなところがなかった。
ただ、長い間胸の中に残っていたものを、そのまま置いているように聞こえた。
「……暁さんも、気にしてたんですか?」
「そりゃ気にするだろ」
暁は苦い顔をした。
「女房にも言われたよ。『いつまで気にしてる。気になるなら会ってきな』ってな」
少しだけ、空気が緩む。
「奥さまに?」
「ああ。俺が家で黙ってると、大体ばれる」
強そうな人だな、と思ったけれど、口には出さなかった。
暁は篠の腰へもう一度目をやる。
「その刀、見せてもらっていいか?」
「はい」
篠が金剛を抜いた。
淡い光を受けた刃には、欠けも歪みもない。
暁は少し身を乗り出した。
「これが、噂の刀か」
「金剛です。霧江さんが作ってくれました」
「本当に、壊れないのか?」
「はい。今まで一度も」
その返事は、迷いなく出た。
篠が金剛を見る目は、初めて会った頃とはもう違う。
武器が壊れることを恐れて、おそるおそる力を抑える目じゃない。
「飛竜を倒したって話も、本当なんだな?」
「はい。フヨウという飛竜種を」
「一人でか?」
「いいえ。霧江さんと、朝凪さんという方と三人で狩りました」
暁が、ゆっくり息を吐いた。
「そうか」
それだけ言って、しばらく金剛を見る。
そして。
暁は、ほんの少し不器用に笑った。
「壊れない武器が見つかった。一緒に狩ってくれる奴もいる。もう、力を出すのを怖がらなくていいんだろ」
一拍。
「……よかったな、篠」
篠の目が大きくなる。
「……はい」
篠が答えた。
その声は、途中で震えた。
目元に浮かんだものを隠すように、篠は俯く。
でも、間に合わなかった。
一滴。続けて、もう一滴。ぽろぽろと、涙が頬を伝い始める。
「お、おい。泣くなよ」
「泣いてません」
篠は袖で目元を拭った。けれど、拭っても拭っても涙は止まらなかった。
「……すみ、ません……なんで……今さら……っ」
息を詰まらせながら、それでも篠は言葉を続けようとする。
「ずっと……私が、皆さんを困らせたって……私がいなければって……」
そこから先は、もう言葉にならなかった。
細い肩が大きく震える。押し殺そうとした嗚咽が、一つ、二つと漏れた。
そして、張りつめていたものがとうとう切れたみたいに、篠は声を上げて泣いた。
暁は何か言おうとして口を開き、結局、そのまま閉じた。
私も何も言わなかった。今は、それでいい気がした。
篠が落ち着くまで、私たちは黙って待った。
やがて、篠は袖で顔を拭い、赤くなった目で暁を見る。
「……ありがとうございます」
暁は照れくさそうに鼻を鳴らした。
「礼を言われるようなことはしてない」
「それでも、です」
今度の篠の声には、もうさっきまでの硬さはなかった。
やがて、暁が膝へ手を置いて立ち上がる。
「顔も見られたし、話もできた。そろそろ帰る」
「もうですか?」
「長居するつもりで来たわけじゃないからな」
篠も立ち上がる。さっきより自然な顔だ。私もようやく肩の力を抜いた。




