第7話「くさいです」②
「石鹸を作ろう」
そう決めたのはいい。
問題は、材料だ。
私はさっき開いたウインドウの内容を頭の中で思い返す。
【石鹸:獣脂・灰汁】
必要なのは二つだけ。
「獣脂と灰汁か」
「灰汁なら作れますよ」
夕凪がすぐに答えた。
「作れるの?」
「はい。木の灰に水を通して作るんです。洗い物にも使えます」
「よくそんなこと知ってるな」
「夕凪は家事はなんでもできる。すごい」
「なんでお姉ちゃんが自慢げなの。……まあ、必要だったから、ですね。お姉ちゃんは家事、だめだめですし」
「…………」
朝凪に、思わぬところから強烈な一撃が入った。
なるほど。姉が狩りをして、妹が家のことをする。二人で暮らしてきたうちに、自然とそういう役割になったのだろう。
「獣脂なら、こっちに少し残ってたはずだ」
作業場の棚を探す。
以前、魔獣を解体した時に、何かに使えるかもしれないと取っておいた獣脂を包んだ布が見つかった。
「これで材料は揃うな」
「それが石鹸になるんですか?」
篠が獣脂と灰汁を交互に見ながら、いかにも信じられないという顔をしている。
「なる。……らしい」
「らしい?」
「作り方は分かるんだよ。頭の中に入ってる」
「相変わらず、不思議ですね」
「私が一番そう思ってるよ」
自分でも説明できない。
でも、石鹸のレシピを選んだ瞬間から、何をどうすればいいのかは分かっている。
獣脂の処理。
灰汁の扱い方。
混ぜる順番。
火の入れ方。
そして、仕上げ。
知らなかったはずの工程が、昔から知っていたことみたいに頭の中へ収まっていた。
「じゃあ、やってみるか」
「私も手伝います」
「私も」
「私もやります!」
三人がほぼ同時に言った。
「いや、そんな大人数でやるほどでも――」
「くさいのを何とかするんですよね?」
夕凪がにっこり笑う。
「……お願いします」
反論できなかった。
*
まずは灰汁を用意する。
夕凪が慣れた手つきで、かまどから集めた木灰を扱っていく。
私はその横で、頭に浮かぶ製作法と見比べるように作業を確認した。
「へえ。夕凪、本当に手慣れてるな」
「毎日のことですから」
「私にはできない」
朝凪がさらっと言った。
「お姉ちゃんは狩りのこと以外、本当に覚えないもんね」
「夕凪がいるから」
「そうやって何でも私に任せるからでしょ」
「任せてるんじゃない。信頼してる」
「言い方を変えても駄目だよ」
朝凪が黙った。
やっぱり夕凪には弱い。
一方、篠には獣脂を入れた器を用意してもらった。
「霧江さん。これ、結構匂いますね」
「今それを言う?」
「いえ、何というか……これで臭いを落とす物を作ると思うと、不思議で」
「それは私もちょっと思ってる」
私だって前世で石鹸を使っていた。
だが、石鹸工場で働いていたわけじゃない。
獣脂と灰汁を目の前に並べると、本当にこれがあの石鹸になるのかと思う。
それでも、クラフト技能は迷わない。
私は頭に浮かぶ手順に従って獣脂を処理し、火にかける。
朝凪が薪を足す。
「もう少し弱く」
「これくらい?」
「うん。そこ」
「分かった」
普段は無口なくせに、こういう時は妙に素直だ。
頃合いを見て灰汁を加える。
ゆっくり。
一度に入れず、状態を見ながら混ぜていく。
篠が器の中を覗き込んだ。
「色が変わってきました」
「混ざってきたな」
「これ、触っても大丈夫なんですか?」
「今はやめとけ」
「触りませんよ!」
「篠ならやりかねない」
「朝凪さんまで!」
「毒キノコ」
「まだ言うんですか!?」
夕凪がくすくす笑っている。
昨日までなら想像もしなかった光景だ。
朝凪が私の作業場で薪をくべ、篠が隣で器を押さえ、夕凪が灰汁の具合を見ている。
私はその真ん中で、石鹸を作っている。
(……平和だな)
昨日は飛竜に殺されかけていたのに。
この落差は嫌いじゃない。
*
しばらく混ぜ続けると、中身に粘りが出てきた。
「これくらいか」
頭の中の製作法が、次の工程を教えてくれる。
用意しておいた木型へ流し込む。
表面をならす。
ここまでは問題ない。
「できたんですか?」
「いや。あとは固まるのを待つだけ……だと思う」
そう答えながら木型を見た。
本来なら、ここから時間がかかる。
すぐ使えるわけじゃない。
「じゃあ、今日は使えないんですね」
夕凪が少し残念そうに言った。
「まあ、仕方ない。待つのも――」
言い終わる前だった。
視界の端で、淡い光が走った。
「ん?」
木型の中を見る。
さっきまで柔らかかったはずの中身が、形を保っている。
恐る恐る指先で触れてみる。
「……固まってる」
「え?」
篠が覗き込む。
「さっき入れたばかりですよね?」
「そのはずなんだけど」
その時、見慣れた文字が浮かんだ。
【完成品:石鹸】
【特性:洗浄】
「完成品……」
表示はいつもと同じだ。
ということは、本当に完成している。
私は木型から一つ取り出した。
もう崩れない。
手に持てる。
そして頭の中のクラフト技能も、これ以上の工程は必要ないと告げている。
「なるほど……」
「何が分かったんですか?」
「時間がかかる仕上げは、クラフト技能が一気に済ませてくれるみたいだ」
刀や弓を作った時には気づかなかった。
あれは完成までの工程そのものに、何日も待つような部分がなかったからだ。
でも石鹸は違う。
本来なら待たなければならないところを、技能がまとめて飛ばしてくれた。
「やっぱり、すごく便利なスキルだな……」
「私たちには何が起きたのか全然分かりませんけどね」
「そうだった」
篠たちには完成表示も見えない。
私だけが一人で感動していた。
(料理番組でよくあった『一日寝かせたものがこちらになります』を、本当にその場でできるわけだな)
もちろん石鹸が一日で済むのかどうかなんて、前世の私は知らない。
大事なのはそこじゃない。
待ち時間をすっ飛ばせる。
これは今後、かなり使える。
「霧江」
「ん?」
朝凪が完成した石鹸を見ていた。
「それで、臭いは取れるの?」
「そこだよな」
いくら完成表示が出ても、実際に使ってみないことには始まらない。
私は昨日の作業で脂の染みついた布を一枚持ってきた。
「まずはこいつで試そう」
桶に水を張る。
布を濡らし、石鹸をこすりつける。
「あ」
夕凪が声を上げた。
白い泡が立った。
「泡が出ました!」
「うん。石鹸っぽい」
「作った本人が一番疑ってません?」
「だって初めて作ったんだぞ」
揉み洗いして、水ですすぐ。
布を広げた。
べっとり残っていた脂汚れが、かなり薄くなっている。
鼻へ近づける。
「……お」
昨日から残っていた獣くささも、ほとんど気にならない。
「落ちてる」
「本当ですか?」
篠が布を受け取る。
夕凪も横から顔を寄せる。
「本当だ。くさくないです!」
「だから、その言い方」
「でも、すごいです!」
夕凪の目が輝く。
朝凪も石鹸へ視線を落とした。
「これ、身体にも使えるんだよね」
「ああ。そのつもりで作った」
「じゃあ使う」
「早いな」
「夕凪にくさいって言われたから」
「やっぱり気にしてたんじゃないか」
「気にしてない」
「今、自分で言ったぞ」
朝凪は無言になった。
隣で夕凪が笑っている。
私は手の中の石鹸を見る。
武器でもない。
防具でもない。
魔獣を倒すための道具ですらない。
ただ、汚れを落とすための生活用品。
それなのに三人とも、金剛や新しい弓を見た時とはまた違う顔で興味を示している。
(こういうのも、悪くないな)
「よし」
私は残った石鹸を持ち上げた。
「次は実際に使ってみよう」
「はい!」
夕凪が一番元気よく返事をした。




