第7話「くさいです」①
「……くさいです」
翌朝。
私の作業場へ入ってきた夕凪は、開口一番そう言った。
「…………」
思わず手が止まる。
目の前の台には、昨日持ち帰ったフヨウの鱗や鉤爪、翼膜、それから骨が並んでいた。竜核だけは傷つけるのが怖くて、布を敷いた小箱へ別にしまってある。
朝からそれらを眺めて、何が作れそうか考えていたところだった。
「夕凪」
隣に立つ朝凪が、妹を見る。
「言い方」
「だって、お姉ちゃんもくさいよ」
「…………」
朝凪が黙った。
効いてる。
「霧江さんだけじゃありませんよ」
私の横で、篠がおそるおそる自分の袖を鼻へ近づけた。
「私も……少し、残っていますね」
「少し?」
夕凪が首を傾げる。
「……結構、です」
「篠! そこは少しで通してくれよ!」
「ごまかしても臭いは消えません!」
正論だった。
昨日はフヨウを倒したあと、その場で解体までした。
血。脂。土。汗。
帰ってから水で身体を拭いて、服も洗ったつもりだったけれど、どうやら十分ではなかったらしい。
試しに自分の袖を嗅いでみる。
「……うわ」
「ほら」
夕凪が得意げに頷いた。
「いや、何で夕凪が勝ち誇るんだよ」
「ちゃんと教えてあげたので」
「ありがたいけど!」
朝凪も自分の髪を一房つまみ、無言で鼻へ近づける。
そして、ほんの少し眉を寄せた。
「お姉ちゃん、気にしてる?」
「気にしてない」
「気にしてる顔だよ」
「気にしてない」
二回言った。
これは相当気にしている。
夕凪は昨日のお礼がしたいと言って、朝凪と一緒に朝からうちへ来ていた。
朝凪の家で会った時から明るい子だとは思っていたけれど、姉相手だと遠慮がない。
そして、その姉は妹にだけ驚くほど弱い。
「でも、水で洗ったんだぞ?」
私が言うと、夕凪が私の作業着を見た。
「血は落ちてますけど、脂っぽい匂いが残ってます」
「脂か……」
なるほど。
水だけで油汚れを落とそうとしても限界がある。
前世なら、こんな時に使うものは決まっていた。
「石鹸があればなあ」
「せっけん?」
篠が聞き返す。
朝凪も夕凪も知らない顔をしている。
「身体とか服を洗う時に使うんだよ。水だけより汚れが落ちやすくなる」
「そんな物があるんですか?」
「前……いや、知識としては知ってる」
危ない。
前世では、と言いかけた。
最近、篠の前だと少し気が緩んでいる気がする。
「作れるの?」
朝凪が聞く。
「作り方は……」
言いかけて、私は止まった。
石鹸の仕組みくらいは知っている。
油と、アルカリ性の何かを使う。昔ながらなら灰汁だったはずだ。
でも、具体的な割合や手順まで、前世の私は覚えていない。
小学校教師だったし、DIYは好きだったけれど、石鹸職人ではない。
「たぶん、作れる」
「たぶん?」
篠が不安そうな声を出す。
「待て。そういえば……」
頭の隅に、引っかかるものがあった。
石鹸。
どこかで見た。
この世界に来てからだ。
新しい素材を確認した時か、制作法が構築された時か。獣脂か、灰か。いつだったかは覚えていないけれど、何かを触った時に出たんだろう。
視界に流れていった文字の中に、確かにあった気がする。
「そういえば、前に石鹸のレシピが出てたような……」
「れしぴ?」
夕凪がまた首を傾げる。
「作り方みたいなもの」
「それなら見ればいいんじゃないですか?」
篠が当然のように言った。
「……そうなんだけど」
そこで、もっと根本的な問題に気づく。
「そういえば、レシピってどうやって見るんだろう」
「私たちに聞かれても分かりませんよ」
「だよな」
今まで、あの文字はいつも向こうから勝手に出てきた。
素材を確認した時。
新しい制作法が構築された時。
完成品ができた時。
こちらが頼んでもいないのに、必要な情報だけが目の前へ浮かぶ。
だから、一度見た情報を自分から呼び出そうなんて考えたことがなかった。
(でも、あるよな? 普通)
一度覚えたレシピを見返せないなんて、不便すぎる。
この能力が本当にゲームみたいな仕組みなら、何かあるはずだ。
(転生ものだと、たいがいは……)
私は何となく背筋を伸ばした。
篠たち三人がこちらを見ている。
ちょっと恥ずかしい。
でも、やるしかない。
「ウインドウ」
「…………」
「…………」
「…………」
誰も何も言わない。
やっぱり駄目か。
そう思った、その時だった。
目の前の空間が淡く揺らいだ。
「うわっ!?」
思わず仰け反る。
半透明の板のようなものが、何もない空中へ浮かんでいた。
【メニューを選んでください】
【クラフトレシピ一覧】
【素材一覧】
【付与スキル一覧】
【ステータス】
「出た!」
「何がですか?」
「え?」
篠を見る。
篠は私ではなく、私の顔の少し前にあるはずのウインドウを不思議そうに見ている。
「これ。見えない?」
「何もありません」
朝凪も首を横に振った。
「見えない」
「私もです」
夕凪まで。
「やっぱり私だけか……」
前にも、素材やスキルの表示が他の人には見えていなかった。
これも同じらしい。
(ステータスってのも気になるけど、こっちはあとで見てみよう)
私はウインドウの横へ回ってみる。
ついてくる。
反対側へ動く。
やっぱりついてくる。
「霧江さん」
「何?」
「さっきから何をしているんですか?」
「位置変えたらどう見えるのかなって」
「何もないところを覗き込んでいるようにしか見えません」
「怖いこと言うなよ」
「事実です」
夕凪が口元を押さえて笑っている。
朝凪は真顔のままだ。
「楽しそう」
「今、すごく重要な発見してるんだからな?」
「うん。楽しそう」
否定できない。
実際、かなり楽しかった。
何しろ、今まで勝手に現れて消えるだけだった表示を、初めて自分から呼び出せたのだ。
問題は操作方法だった。
「これ、どうやって選ぶんだ?」
声に出しても反応はない。
目で見つめても変わらない。
念じる?
いや。
(こういうのは……)
私は【クラフトレシピ一覧】へ指を伸ばした。
「タッチすればいいのかな?」
文字へ指先が触れる。
感触はない。
なのに、触れた場所だけが一瞬淡く光った。
「おおっ」
表示が切り替わる。
【カテゴリを選んでください】
【武器】
【防具】
【道具】
【生活用品】
その下にもいくつか項目が続いていた。
「結構あるな……」
「何がですか?」
「あ、ごめん。今、作れる物の種類が出てる」
「私には霧江さんが空中を指で押しているようにしか見えません」
「篠、それ何回も言わなくていいから」
「面白いので」
「お前、最近ちょっと遠慮なくなってない?」
篠がにこっと笑った。
否定しないらしい。
今は石鹸だ。
私は【生活用品】へ触れる。
また表示が変わった。
【解放レシピ一覧】
いくつもの名前が縦に並ぶ。
見覚えのある物もあれば、いつ構築されたのか思い出せない物もある。
その中に。
「あった」
石鹸。
思わず声が出る。
だが、その前に一つの言葉が気になった。
「……解放レシピ?」
私は表示を見つめる。
わざわざ『解放』と書いてある。
「つまり、解放されてないものは見れないってことか」
「何か分かったんですか?」
「たぶん。この一覧、何でも載ってるわけじゃないみたいだ」
何か条件を満たしたものだけが、ここへ追加される。
素材を見つけた時か。
何かを作った時か。
あるいは、別の条件があるのか。
そこまでは分からない。
でも。
(これなら、素材を探す意味もちゃんとあるな)
最初から何でも作れるわけではない。
少し安心したような、残念なような。
私は石鹸の文字へ触れた。
表示が切り替わる。
【石鹸:獣脂・灰汁】
「……これだけ?」
材料名が二つ。
細かい手順も、分量も書かれていない。
思わず拍子抜けする。
けれど。
次の瞬間だった。
「……あ」
頭の中へ、すっと何かが収まった。
獣脂をどう処理するか。
灰汁をどう用意するか。
どの順番で合わせるか。
どう混ぜて、どう固めるか。
文字を読んだわけじゃない。
誰かに説明されたわけでもない。
なのに。
分かる。
作れる。
手を動かせばいいだけだと、身体の方が知っている。
(なるほど……)
ウインドウに出るのは材料。
作り方そのものは、クラフト技能の方から頭に入る。
今まで何となく使っていた能力の仕組みが、少しだけ見えた気がした。
「霧江?」
朝凪の声で我に返る。
「どう?」
「作れる」
「本当?」
夕凪の顔が明るくなる。
「これでくさくなくなりますか?」
「そこまで言われたら、絶対作ってやるよ!」
私は袖をまくった。
必要なのは獣脂と灰汁。
幸い、材料の当てはある。
何より。
作り方は、もう分かっている。
「よし」
目の前のウインドウを見ながら、私は笑った。
「石鹸を作ろう」




