第6話「三人の狩り」④
フヨウが死んだと分かった途端、全身から力が抜けた。
「お、終わった……」
その場へ座り込みたくなる。
飛竜の囮になって。
目の前まで鉤爪が迫って。
せっかく作った罠は壊されかけて。
最後は木にしがみつきながら蔓を締め直した。
よく考えたら、造作師でもなかなかやらない仕事をした気がする。
「霧江さん、大丈夫ですか?」
「たぶん。腰抜けそう」
「さっきまであんなに動いていたじゃないですか」
「終わったって分かったら急に怖くなってきた」
篠が少しだけ笑った。
私は立ち上がり、朝凪のところへ向かう。
朝凪は倒れたフヨウの前に立ったままだった。
新しい弓を握る手に、まだ少し力が入っている。
「朝凪」
「……うん」
「終わったな」
「うん」
それだけ答えて、朝凪はフヨウを見る。
嬉しそうでもない。
泣きそうでもない。
ただ、ずっと背負っていたものをようやく下ろしたような顔に見えた。
「これで、夕凪さんも少しは安心できるな」
「……うん」
朝凪が小さく頷いた。
それ以上、私は何も聞かなかった。
少し離れたところで、篠が金剛を鞘へ戻す。
「朝凪さん」
「何?」
「お見事でした」
「篠も」
「私も?」
「前に出てくれなかったら、最後の一矢は射てなかった」
篠が少し目を丸くした。
「……ありがとうございます」
「あと、爪を斬ったのはすごかった」
「金剛が丈夫だからです」
「でも振ったのは篠」
「…………」
褒められ慣れていないのか、篠が少しだけ照れた。
「朝凪さんに褒められると、何だか変な感じですね」
「失礼」
「普段が普段なので!」
いつもの調子が戻ってきた。
そのやり取りを聞いていると、やっと本当に終わったんだと思えた。
*
フヨウは大きかった。
当然、全部をそのまま持って帰れるわけがない。
三人で使えそうな部分を選び、解体していくことになった。
こういう時に頼りになるのも朝凪だった。
「鱗はこの辺がいい。傷が少ない」
「翼膜も使える?」
「使える。破れてないところを切る」
「爪も欲しい」
「さっき篠が切ったのも拾っておいて」
「私が切った爪、素材になるんですね……」
篠が何とも言えない顔をしている。
私はむしろ興味しかなかった。
飛竜の鱗へ手を伸ばした、その時。
《素材を確認しました》
見慣れた表示が視界に浮かぶ。
鱗を皮切りに、鉤爪、翼膜、骨。初めて触れる素材を手に取るたび、同じ表示が現れた。
詳しく調べたい。
何が作れるのか。どんな力が宿っているのか。今すぐ一つずつ確かめたい。
でも、さすがにここで作業を始めるわけにはいかない。
(帰ってからだな)
そう自分に言い聞かせていると、朝凪がこちらを見る。
「霧江、欲しいところは持っていって」
「いいのか?」
「弓代。それと、今日手伝ってくれた分」
朝凪が篠にも目を向ける。
「篠も、欲しいものがあれば」
「私は大丈夫です。霧江さんが使える物にしてください」
「じゃあ、遠慮なく」
現金に余裕のない朝凪らしい支払い方かもしれない。
私としても、こんな報酬なら大歓迎だ。
解体を進めていると、朝凪が腹部の奥から硬そうな器官を取り出した。
拳より少し小さいくらい。
濃い色をした塊で、表面には鉱石のような光沢がある。
「それは?」
「竜核」
思わず身を乗り出した。
「これが!?」
「近い」
「あ、ごめん」
竜種だけが持つ特殊な器官。
元の霧江の記憶には知識としてあったけれど、実物を見るのは初めてだ。
指先で触れると、また視界に表示が浮かんだ。
《素材を確認しました》
「持って帰る?」
「もちろん!」
即答すると、朝凪が少しだけ目を細めた。
「嬉しそう」
「そりゃそうだろ。飛竜の素材なんて初めてだぞ」
「霧江さん、完全に怖かったこと忘れてません?」
「それとこれとは別だ」
怖いものは怖い。
素材は素材だ。
そこは分けて考えたい。
使える素材をまとめ終えた頃には、日はかなり高くなっていた。
荷物は重い。
でも、帰り道の足取りは行きよりずっと軽かった。
しばらく歩いたところで、朝凪がぽつりと言った。
「……一人だったら」
「ん?」
「今日も、たぶん倒せなかった」
私は朝凪を見る。
朝凪は前を向いたまま続ける。
「矢は通るようになった。でも飛ばれたままだったら、急所を狙う機会は少なかった」
「まあ、あいつ速かったもんな」
「うん。それに、罠が破られた後も」
朝凪が篠を見る。
「一人なら、弓を射ちながら爪を避けないといけなかった」
「それは大変そうですね」
「無理だったと思う」
朝凪が少し黙る。
「霧江が止めて、篠が前に出て、私が射った」
そして。
「三人だったから倒せた」
その言葉は、妙に素直だった。
朝凪はこれまで、ずっと一人で狩ってきた。
でも今日、一人ではできなかったことを三人でやった。
罠を作って止める私。前でフヨウを引きつける篠。最後の一矢を射る朝凪。
同じ獲物を狩るために役割を分けた。今日の私たちは、間違いなく一つの狩組だった。
「組で狩るのも、悪くないだろ?」
私が言うと、朝凪は少し考えた。
「……悪くない」
「でしょう?」
なぜか篠が得意げだ。
「篠が威張ること?」
「私だって今日の組の一員ですから!」
「それはそう」
朝凪の口元が少し緩んだ。
たぶん笑っている。
「それで」
朝凪が言う。
「二人とも、うちに来て」
「朝凪の家?」
「うん。近くだから、お茶ぐらい入れる」
ずいぶん急なお誘いだ。
でも、喉はからからだし、断る理由もない。
「じゃあ、寄ってく」
「私もご一緒します」
「うん」
朝凪が頷いた。
*
朝凪の家は、町の外れにある小さな家だった。
私の小屋ほど作業場に侵食されてはいないが、暮らすには十分そうな広さがある。
朝凪が戸を開ける。
「ただいま」
直後。
家の奥から、軽い足音が近づいてきた。
「お姉ちゃん、おかえり!」
明るい声と一緒に、一人の少女が出てくる。
十四歳くらいだろうか。
朝凪より少し幼い顔立ちで、どことなく朝凪に似ている。
片腕には、袖の隙間から大きな傷痕が見えた。
でも。
元気そうだった。
ものすごく、元気そうだった。
「…………」
私は固まった。
隣を見る。
篠も固まっていた。
少女が私たちを見て、首を傾げる。
「お姉ちゃん、その人たちは?」
「霧江と篠」
「昨日話してくれた二人?」
「うん。フヨウを倒すのを手伝ってくれた」
少女の顔がぱっと明るくなる。
「本当!?」
「本当」
朝凪が少女の頭へ手を置く。
その手つきが、今まで見たことがないくらい優しい。
「夕凪。もう大丈夫」
「うん」
夕凪。
今。
夕凪って言った?
「ちょっと待って」
「何?」
朝凪がこちらを見る。
私は少女を指さした。
失礼なのは分かっているが、指ささずにはいられなかった。
「この子が、夕凪?」
「そう」
「妹の?」
「他に夕凪はいない」
「…………」
もう一度、少女を見る。
夕凪が、きょとんとしている。
「生きてるの!?」
思わず叫んだ。
「生きてるけど」
朝凪は心底不思議そうな顔をした。
「霧江さん、声が大きいです!」
「だって篠も驚いてるだろ!」
「驚いています! 私もてっきり……!」
篠まで慌てている。
朝凪だけが分かっていない。
「何で?」
「何でって! 二月前にフヨウに襲われて、血まみれで倒れてたって!」
「倒れてた」
「間に合わなかったって!」
「怪我をさせる前には間に合わなかった」
「それで次は絶対殺すって!」
「言った」
「死んだと思うだろ!」
朝凪が少し考えた。
「死んだとは言ってない」
「言ってないけど!」
確かに言ってない。
一言も言ってない。
私が勝手に勘違いしただけだ。
だけど。
「言い方!」
「そうです! 朝凪さんの言い方にもかなり問題があります!」
篠が全力で援護してくれた。
夕凪が目を丸くして、それから吹き出した。
「お姉ちゃん、また説明足りなかったの?」
「また?」
「お姉ちゃん、昔からそうなんです。必要なことしか言わないから」
「必要なことは言ってる」
「相手に伝わらなかったら足りてないよ」
「…………」
朝凪が黙った。
妹には弱いらしい。
「すみません。姉がご迷惑を……」
夕凪がぺこりと頭を下げる。
「いやいや! 夕凪さんが謝ることじゃないから!」
「そうです。むしろ、ご無事で本当によかったです」
篠が心からほっとしたように笑う。
私も同じだった。
死んだと思っていた人が、生きている。
こんな勘違いなら、いくらでも歓迎したい。
「腕、大丈夫なの?」
私が聞くと、夕凪が傷痕のある腕を持ち上げた。
「もう大丈夫です。傷は残っちゃいましたけど、普通に動きます」
「本当に痛くない?」
横から朝凪がすぐ口を挟む。
「痛くないよ」
「重いもの持ってない?」
「持ってない」
「森にも入ってない?」
「入ってないってば」
朝凪が夕凪の腕を取り、傷痕をじっと確認する。
「二か月前の傷だよ、お姉ちゃん」
「でも心配」
「…………」
私は篠を見る。
篠も私を見る。
たぶん同じことを考えている。
「……誰?」
思わず口から漏れた。
「朝凪」
「知ってるよ」
「何が?」
「いや、何でもない」
森で無表情にフヨウを追っていた女と同一人物とは思えない。
夕凪が苦笑する。
「お姉ちゃん、ずっとこんな感じなんです」
「夕凪が危なっかしいから」
「お姉ちゃんが心配しすぎなの」
「そんなことない」
「あります」
即答だった。
朝凪が少し不満そうに黙る。
何だろう。
ちょっと面白い。
「とりあえず、座ってください。お茶、入れますね」
夕凪がそう言って台所へ向かおうとすると、朝凪がすぐ立ち上がる。
「私が入れる」
「お姉ちゃんは狩りから帰ったばっかりでしょ。座ってて」
「でも」
「座ってて」
「……うん」
朝凪が素直に座った。
本当に妹には弱い。
やがて湯気の立つ茶が並ぶと、夕凪が私たちへ向き直った。
「本当に、ありがとうございました」
深く頭を下げる。
「お姉ちゃん、あのフヨウのこと、ずっと気にしてたから」
「夕凪」
「私がもう大丈夫だって言っても、ずっと一人で追いかけてたでしょ」
「…………」
朝凪は否定しなかった。
「だから。倒せてよかった」
夕凪が笑う。
「お姉ちゃんを助けてくれて、ありがとうございます」
「助けてもらったのは、私だけじゃない」
朝凪が言った。
夕凪が姉を見る。
「霧江が罠で止めた。篠が前に出た。私は射っただけ」
「射っただけではないでしょう」
篠がすぐに言う。
「最後に仕留めたのは朝凪さんです」
「でも、一人じゃ無理だった」
朝凪はそう言って、私たちを見る。
「二人がいたから倒せた」
そして、ほんの少しだけ笑った。
「ありがとう」
弓を渡した時にも、同じ言葉を聞いた。
でも。
今度の「ありがとう」は、少し違って聞こえた。
「どういたしまして」
私は笑って返す。
篠も隣で頷いた。
朝凪の家を出る頃には、日はずいぶん西へ傾いていた。
背負った荷物は重い。
フヨウの鱗。
鉤爪。
翼膜。
骨。
そして、竜核。
初めて手に入れた飛竜の素材が山ほどある。
死ぬほど怖い目には遭った。
いや、あの鉤爪を思い出すと、本当に死にかけた気もする。
それでも。
私は荷物を背負い直した。
(さて)
帰ったら、まず素材を調べよう。
何が作れるのか。
どんな力が宿っているのか。
考え始めると、疲れているはずなのに足が少し速くなる。
「霧江さん」
「何?」
「また、にやにやしています」
「してない」
「しています」
前にも似たようなことを言われた気がする。
まあいい。
飛竜を倒した。
朝凪の依頼も終わった。
そして、新しい素材まで手に入った。
――次は、何を作ろう。




