第6話「三人の狩り」②
さっきまで空の上にいたフヨウが、見る間に大きくなっていく。
速い。
想像していたより、ずっと速い。
(ちょ、ちょっと待て! これ、本当にぎりぎりまで引きつける必要ある!?)
鉤爪が見える。
曲がった刃物みたいな爪が、真っすぐ私へ向いている。
あれに掴まれたら、たぶん「痛い」では済まない。
逃げろ、と身体中が叫んでいた。
でも、まだ動けない。
「霧江!」
朝凪の声が飛ぶ。
合図じゃない。
まだだ。
私は奥歯を噛んで、その場に踏みとどまる。
フヨウの翼がさらに畳まれる。
風を切る音が聞こえた。
もう顔を上げなくても分かるくらい、巨大な影が迫ってくる。
(まだ……!)
足が勝手に後ろへ下がりそうになる。
昨日、三人で何度も確認した。
早すぎれば駄目だ。
フヨウが進路を変えられる距離で動けば、全部無駄になる。
もっと近く。
こちらへ突っ込む以外にないところまで。
「まだ!」
朝凪の声。
(分かってるって!)
心の中で叫ぶ。
分かってはいる。
分かっているけど、怖いものは怖い。
フヨウが口を開く。
鋭い歯。
その向こうに、獣臭い息まで感じた気がした。
「――今!」
その瞬間。
私は横へ飛んだ。
「うおおっ!」
地面を転がるようにして太い幹の陰へ滑り込みながら、足元へ伸ばしてあった一本の蔓を掴む。
そして、力いっぱい引いた。
蔓の先につないだ留め具が外れ、乾いた音を立てた。
次の瞬間。
あらかじめしならせて固定していた枝が、一斉に元の位置へ戻る。
その力に引かれ、地面すれすれに伏せていた無数の蔓が左右から跳ね上がった。
絡み合った蔓。
幾重にも編まれた網目。
それが一瞬で広がり、フヨウの真正面を塞いだ。
化け葛の蔓から構築された新しい制作法。
――絡み罠。
フヨウは止まれない。
翼を広げようとする。
けれど、もう遅い。
巨大な身体が、そのまま網へ突っ込んだ。
直後、腹の底まで響くような重い衝撃音が森に轟いた。
張り詰めていた網が大きくたわむ。
「うわっ!」
木の幹に隠れていた私まで、思わず頭を抱えた。
その衝撃が両脇の木へ伝わる。
幹が大きくしなり、軋んだ。
けれど、切れない。
化け葛の蔓は、篠を宙吊りにしても千切れなかった。
その丈夫さと弾力を利用して、何本もより合わせ、網状に編んだ。
さらに、翼や爪が入り込めば簡単には抜けないよう、網目の大きさもばらばらにしてある。
フヨウが暴れた。
翼をばたつかせる。
鉤爪を振り回す。
そのたびに蔓が翼の付け根へ、脚へ、首へと食い込んでいく。
フヨウが耳をつんざくような咆哮を上げた。
怒りと痛みを帯びた声が森に響く。
フヨウの身体が網ごと大きく振られた。
そして、支えきれなくなった巨体が地面へ落ちる。
土と枯れ葉が盛大に舞い上がった。
「……かかった!」
思わず声が出た。
「成功です!」
離れていた篠も、思わずというように声を上げる。
でも。
朝凪だけは違った。
「霧江、離れて」
「え?」
「射つ」
すでに弓を構えていた。
さっきまで私へ向かっていた切れ長の目が、今は地面のフヨウだけを見ている。
「あ、ああ!」
慌ててさらに木の陰へ下がる。
朝凪が矢をつがえる。
絡み罠に捕らわれたフヨウは、まだ必死に暴れていた。
完全に動きを止めたわけじゃない。
それでも。
空を飛び回っている時とは、比べものにならない。
朝凪の得意な距離。
朝凪の得意な姿勢。
そして。
私が作った、新しい弓。
朝凪が弦を引く。
昨日と同じだった。
肩は上がらない。
腕にも余計な力は入らない。
三年使ってきた古い弓を引いている時と、ほとんど同じ。
でも。
張り詰めた弦から感じる力は、まるで違う。
「……」
朝凪が息を止める。
ほんの一瞬。
フヨウの暴れ方が弱まった。
そこで。
弦が鳴った。
矢が空気を切り裂くように、一直線に走った。
狙いは、フヨウの肩口。
硬い鱗に覆われた場所だ。
私は思わず目を凝らした。
二月前。
朝凪は何本もの矢を放ったと言っていた。
けれど、そのほとんどが鱗に弾かれた。
その結果、フヨウを追い払うことしかできなかった。
今度は。
乾いた音がした。
矢が、止まった。
「……!」
いや。
止まったんじゃない。
刺さっている。
黒っぽい鱗の一枚を矢尻が貫き、その奥へ深く食い込んでいた。
「通った……」
自分でも気づかないうちに呟いていた。
朝凪も動かない。
目を見開いて、自分が射た矢を見ている。
「朝凪!」
篠の声で、朝凪が我に返った。
フヨウが咆哮する。
肩口に刺さった矢を振り払おうとするように、身体を激しく捻った。
それでも矢は抜けない。
血が鱗の間から滲んでくる。
「……刺さった」
朝凪が小さく言った。
その声に、信じられないような響きが混じっていた。
二月前は、同じ相手の鱗に弾かれた。
今度は、その鱗そのものを貫いた。
「……通ったな」
「うん」
嬉しかった。
試射では木を深く貫いた。
でも、木と飛竜の鱗は違う。
本番で本当に通用するのか。
どこかで不安は残っていた。
今、それが消えた。
私の作った弓は。
朝凪の矢を、ちゃんとフヨウの鱗の向こうまで届けた。
「もう一発いける!」
「分かってる」
朝凪はすぐに次の矢を取り出した。
今度はさっきより表情が違う。
迷いがない。
矢をつがえ。
弦を引き。
フヨウへ狙いを定める。
その時だった。
太い蔓の一本が繊維を裂きながら途中から千切れた。




