第5話「飛竜を射抜く弓」③
森から戻る頃には、空の端が赤く染まり始めていた。
家へ着くなり、私は荷物を作業場へ運び込んだ。
「よし。これで全部だな」
床に並べたのは、切り出してきた木材と化け葛の蔓。それから補強に使えそうな素材がいくつか。
朝凪はその中でも、真っ先に木材へ目を向けた。
「これが弓になるの?」
「ああ。たぶんな」
「たぶん」
「作る前から絶対って言い切る方が怖いだろ」
「それもそう」
納得が早い。
篠が荷物を置きながら、私の手元を覗き込む。
「今から作るんですか?」
「さすがに今日は下準備だけかな。朝凪も疲れてるだろ?」
「平気」
「私は疲れました」
「篠は吊られてたからな」
「誰のせいで助けるのが遅れたと思っているんですか」
「化け葛?」
「霧江さんです!」
朝凪が小さく笑った。
やっぱり、さっきから篠をからかう時だけ少し楽しそうだ。
その日は下準備に必要なものだけ作業場へ取り分け、朝凪はいったん自分の家へ帰った。
*
翌朝。約束した時間になると、朝凪は古い弓を背負って再びやってきた。
私は朝凪の古い弓を机の上に置き、その隣へ昨日持ち帰った木材を並べた。
「まずは、今の弓と同じところを作る」
「同じものを作るの?」
「最初はな。朝凪が三年使ってきた弓だろ。握る場所も、引く長さも、体が覚えてる。そこを無視して一から変えたら、どれだけ強くても使いにくい弓になる」
朝凪が古い弓へ視線を落とす。
「だから、今の形を基準にする」
「分かった」
私は二本を見比べながら、木材へ印をつけていく。
長さ。
握りの位置。
弓の厚み。
左右のしなり方。
元の弓をそのまま写せばいいわけではない。昨日持ち帰った木は、朝凪の弓に使われている木より粘りが強い。同じ厚みに削れば、引いた時の感触が変わってしまう。
少し削る。
曲げる。
戻り方を見る。
また削る。
「朝凪、ちょっと持ってみて」
「まだ弓になってないけど」
「握った感じだけでいい」
朝凪が削りかけの木を受け取る。
「どう?」
「少し太い」
「どの辺?」
「ここ」
指で示された場所へ印をつける。
「親指が当たる?」
「うん。今の弓だと、もう少し薄い」
「じゃあ、ここを落とすか」
鉋を当て、少しずつ削る。
もう一度渡す。
朝凪は目を閉じるようにして握りを確かめた。
「……今度はいい」
「よし」
こういうやり取りは面白い。
金剛を作った時は、篠の武器が壊れるという問題をどうにかすることが一番だった。
今回は違う。
朝凪には、すでに完成した射ち方がある。
なら、私が合わせるべきなのは武器の方だ。
使う人に合わせて、ほんの少し削る。
ほんの少し曲げる。
それだけで手に馴染み方が変わる。
――こういうのも、造作師の仕事なんだな。
前世で木をいじっていた時にも似た楽しさはあった。でも今は、その先に実際に使う人がいる。
それが何だか嬉しかった。
「霧江さん、楽しそうですね」
隣で道具を整理していた篠が言った。
「分かる?」
「すごく」
「だって面白いんだよ。ちょっと削るだけで全然違うんだぞ」
「はいはい」
「興味なさそうだな」
「そんなことありません。霧江さんが楽しそうなら、私も嬉しいですよ」
さらっと言われて、一瞬手が止まった。
「……そういうこと急に言うの、ずるくない?」
「何がですか?」
今度は篠が分かっていない顔をしている。
朝凪が私たちを交互に見た。
「やっぱり仲いいね」
「朝凪さんは黙っていてください」
「まだ何も言ってない」
「これから言いそうだったので」
「鋭い」
「褒めていません!」
朝から元気だな、この二人。
形を整えた木材をゆっくり曲げ、弓としての反りを作っていく。
次は弦だ。
こちらもただ丈夫ならいいわけではない。太すぎれば指にかかる感触が変わるし、細すぎれば耐久性が足りない。
朝凪の古い弓から弦の太さを測り、それに近づけながら、より張りの強い素材を撚っていく。
「朝凪、指見せて」
「指?」
「弦を引っかけるところ。擦れ方を見たい」
朝凪が右手を差し出した。
細い指だったが、指先には弓使いらしい硬い部分がある。
私はその指を軽く持ち上げ、角度を変えて眺める。
「なるほど。この辺にかかるんだな」
「そう」
「じゃあ弦を太くしすぎると邪魔か」
「たぶん」
横から視線を感じた。
見ると、篠がじっとこちらを見ている。
「……何?」
「いえ。仕事なら仕方ありません」
「仕事だけど?」
「ですから、仕方ありません」
なぜ二回言った。
朝凪は篠を見て、私を見て、それから何も言わずに口元だけ少し緩めた。
「朝凪も何か言いたそうだな」
「別に」
絶対分かってる顔だった。
弓の形がだいたい整ったところで、私は用意しておいた小さな精錬鉄を取り出した。
以前に確認した、《攻撃力上昇(中)》を持つ素材だ。
これを薄く加工し、弓の要所へ補強として組み込む。
「金属も使うの?」
「少しだけ。このままでも前の弓より強くできると思う。でも、フヨウの鱗を抜くなら念を入れたい」
「重くならない?」
「そこは大丈夫。重さが変わりすぎないように削る」
「なら任せる」
迷いなく言われて、少しだけ背筋が伸びる。
任されたなら、ちゃんと応えたい。
精錬鉄を加工している途中、私は握り近くの補強に使う硬い木の薄片を手に取った。
これも以前に解明してある素材だ。
そこには、別の付与スキルがついている。
《炎属性付与(微)》
「そういえば、こっちにも付与スキルがあったな」
朝凪が聞く。
「すきる?」
朝凪が聞き返した。
そうか。篠にはもう話していたけど、朝凪は知らない。本当ならむやみに話したくないが、これから一緒にフヨウを狩る相手に武器のことを隠すのも違う。
昨日から見ていても、朝凪は必要のないことを言いふらす性格には見えなかった。
「朝凪。この話、他では言わないでくれ」
「分かった」
「素材には、物を作った時に完成品へ引き継げる特殊な力がついていることがあるんだ。私はそれを付与スキルって呼んでる」
「そんなものがあるんだ」
「ああ。ただ、この表示が見えるのは今のところ私だけみたいなんだ」
「何のスキルですか?」
話を知っている篠が、私の手元を覗き込む。
「炎属性付与。ほんの少しだけだけど」
「それも弓に使うの?」
朝凪が聞く。
「補強にはちょうどいいからな。スキルはともかく、素材としては使える」
私はそのまま作業を続けた。
攻撃力上昇の精錬鉄。
炎属性付与の硬い木。
二つとも必要な場所へ組み込み、弦を張る。
最後に握りを巻き、全体の歪みを確かめる。
弓らしい形になった。
「……できた?」
朝凪が聞く。
「あと少し」
仕上げに入ろうとした、その時だった。
目の前に半透明の表示が浮かび上がる。
【どのスキルを継承しますか(継承可能数:1):攻撃力上昇(中)/炎属性付与(微)】
「……あれ?」
思わず声が出る。
「どうしたの?」
「ちょっと待って」
私はしばらく、その文字を見つめた。
今までは、素材に付いているスキルを使えば、そのまま完成品へ引き継がれていた。
いや――そう思っていただけだ。
考えてみれば、今まで一つの制作物に複数の付与スキルが候補として並んだことがなかった。
「……なるほど」
「また何か分かったんですか?」
篠に聞かれ、私は頷く。
「付与できるスキルの候補が二つ出た。でも、今の私だと一つしか付けられないみたいだ」
「一つを選ぶ必要があるんですね」
「そゆこと」
朝凪が完成間近の弓を見る。
「どっちを選べるの?」
「攻撃力上昇と、炎属性付与」
「なら攻撃」
即答だった。
「だよな」
「今回はフヨウを射抜くための弓だから」
「私もそう思います」
篠も頷く。
迷う理由はなかった。
炎属性付与だって役に立つ相手はいるだろう。
でも、この弓を作り始めた目的は最初から一つだ。
フヨウの硬い鱗を射抜く。
そのために、わざわざ攻撃力上昇の素材を使った。
「じゃあ、これだ」
私は《攻撃力上昇(中)》を選ぶ。
【「攻撃力上昇(中)」を継承しました】
【完成品:弓】
【特性:高弾性・高張力】
【Bランクスキル:「攻撃力上昇(中)」付与】
表示が淡く光り、ゆっくり消えていく。
同時に、手の中の弓が完成したのだと感覚で分かった。
「……よし」
私は弓を持ち上げる。
見た目は派手ではない。
朝凪が使っていた弓と比べても、少し新しく、少し形が洗練された程度だ。
でも、中身はまるで違う。
「朝凪。できたぞ」
弓を差し出す。
朝凪は両手で受け取った。
何も言わず、まず握る。
次に軽く弦を引く。
もう一度。
今度は少し深く。
切れ長の目が、わずかに見開かれた。
「どう?」
「……変な感じ」
「駄目?」
「逆」
朝凪が弓を見つめる。
「前より張りが強いのに、いつもの弓みたいに引ける」
「そこを狙ったからな」
思わず胸を張る。
「実際に射ってみよう」
*
家の裏へ出る。
昨日と同じように木片を標的へ立てた。
ただし今回は、さらにその後ろへ厚めの板も重ねてある。
「昨日より硬くない?」
「せっかくだからな。違いが分かりやすい方がいいだろ」
朝凪が新しい弓を構える。
私は横からその姿を見る。
相変わらず様になっている。
――いや、今日はちゃんと射ち方を見るんだ。
昨日みたいに見とれていたら、また篠の機嫌が悪くなる。
ちらりと横を見る。
篠と目が合った。
「……何ですか?」
「いや。ちゃんと弓を見てるぞ」
「私は何も言っていませんけど」
「そうだな」
何で先回りして弁解したんだ、私。
朝凪が弦を引き絞る。
動きは昨日とほとんど変わらない。
肩も上がらない。
腕にも無駄な力が入っていない。
いつもの射ち方のままだ。
けれど、弓そのものに蓄えられている力は明らかに違う。
「いくよ」
「ああ」
弦が鳴った。
――バンッ!
昨日より低く、強い音。
矢が標的へ突き刺さる。
いや、刺さったというより――食い込んだ。
木片を深々と貫き、後ろに重ねた板にまで矢尻が達している。
「おお……!」
私が声を上げる。
篠も目を丸くした。
「昨日とは全然違いますね」
朝凪だけは黙っていた。
標的を見つめ、それから自分の手元の弓を見る。
「朝凪?」
「もう一回」
「どうぞ」
二射目。
ほとんど同じ場所へ突き刺さる。
三射目も。
威力が上がったのに、精度は落ちていない。
朝凪が長い息を吐いた。
「……すごい」
小さな声だった。
でも、今まで聞いた朝凪の言葉の中では、一番素直な響きに聞こえた。
「気に入った?」
「うん」
朝凪が弓を握り直す。
「これなら、いける」
「フヨウに?」
「今度は射抜く」
その声に迷いはなかった。
私は頷く。
「じゃあ、弓は完成だな」
「ありがとう、霧江」
「どういたしまして」
造作師として仕事を頼まれて、使う本人にそう言ってもらえる。
思っていた以上に嬉しい。
金剛を作った時とは、また違う感覚だった。
篠のために必要な物を作るのも楽しい。
でも、誰かの困り事を聞いて、その人に合った物を作るのも面白い。
もしかすると、これが本来の造作師の仕事なのかもしれない。
「ところで」
篠が口を開く。
「弓はできましたけど、昨日のあれも作るんですよね?」
「ああ」
私は作業場の方を見る。
中には、化け葛から持ち帰った蔓が置いてある。
朝凪もそちらを見る。
「そっちも必要」
「分かってる。弓だけで全部どうにかしようとは思ってないよ」
飛竜は空を飛ぶ。
どれだけ矢が強くなっても、当てられなければ意味がない。
だからこそ、昨日思いついたもう一つの手がある。
「今日中に仕上げる。ちゃんと使えるかも試しておこう」
「手伝う」
朝凪がすぐに言う。
「私も手伝います」
篠も続いた。
「助かる」
新しい弓。
化け葛の蔓から生まれた、もう一つの切り札。
それぞれの準備が整えば――次はいよいよフヨウ狩りだ。
私は朝凪の手の中にある弓を見て、自然と口元が緩むのを感じた。
飛竜を相手に、自分の作った物がどこまで通じるのか。
怖くないと言えば嘘になる。
でも、それ以上に――ちょっと、わくわくしていた。




