第5話「飛竜を射抜く弓」②
必要な物を簡単にまとめると、私たちはその日のうちに森へ向かった。
目当ては弓の芯に使う木材だ。手元にも硬い木はあるが、朝凪の射ち方に合わせるなら、硬いだけでは足りない。十分な長さがあって、強く引いてもしなやかに戻る物が欲しい。
弦に使う材料や補強用の素材は、手持ちでどうにかなりそうだ。だから今日の一番の目的は、弓本体に向いた木を探すことだった。
「この辺りなら、いい木があると思う」
先を歩く朝凪が言った。
「詳しいんだな」
「よく来るから」
「一人で?」
「だいたい」
そう答える声には、特別なことを話している感じがない。
森に入ってからの朝凪は、家に来た時以上に迷いがなかった。獣道を選ぶのも早いし、足元の痕跡にもよく気づく。ときどき立ち止まったかと思えば、少し離れた木の枝や地面を見て、何かを確かめている。
弓の腕だけじゃない。狩人として、この森そのものに慣れているのだろう。
「朝凪さん、普段からこの辺りで狩りを?」
篠が尋ねる。
「うん」
「お一人で危険ではありませんか?」
「慣れてる」
「そういう問題では――」
「篠も一人だったんでしょ?」
「……そうですけど」
「じゃあ同じ」
「同じではない気がします」
篠が納得いかなそうな顔をする。
今日も今日とて、二人の会話は妙に噛み合わない。
私は苦笑しながら、目についた木の枝を一本ずつ確かめていった。
太さ。重さ。曲げた時の戻り。
元の霧江が知っている木の種類と、自分の指先で感じた感触を照らし合わせる。
「これはちょっと硬すぎるな」
「こっちは?」
朝凪が細長い枝を指さす。
「悪くない。でも、もう少し粘りが欲しい」
「注文が多いですね」
「朝凪専用にするって決めたからな。妥協したくない」
そう言うと、朝凪がこちらを見た。
「……そう」
ほんの少しだけ、声が柔らかくなった気がする。
気のせいかもしれないけど。
さらに森の奥へ進んだところで、不意に篠の足が止まった。
「…………」
「どうした?」
その視線を追って、私も足を止める。
木の根元に、見覚えのある色と形をしたキノコが生えていた。
「あ」
「……」
「篠」
「何も言わないでください」
「まだ何も言ってないぞ」
「言おうとしました」
ばれていた。
私がこの身体で目を覚まして間もない頃、篠が食べて盛大に倒れた毒キノコだ。
私たちが出会うきっかけになった、ある意味では思い出深い一品でもある。
「食べるなよ?」
「食べません!」
即答だった。
朝凪が毒キノコと篠を交互に見る。
「……食べたことあるの?」
「ありません」
「あるよ」
「霧江さん!」
「だってあるだろ」
「知らなかっただけです!」
朝凪の目が少し細くなる。
「毒キノコを食べる狩人……」
「その言い方はやめてください!」
「でも食べたんでしょ?」
「一度だけです!」
「一度でも十分だと思う」
「朝凪さんまで……!」
篠が悔しそうに毒キノコを睨む。
キノコに罪はない。いや、毒はあるけど。
「とにかく、今回は絶対に間違えませんから」
「分かった分かった」
「本当に分かっていますか?」
「分かってるって」
篠はなおも警戒するように毒キノコを見つめながら、その脇を大きく避けた。
その時だった。
ぴくり、と地面の蔓が動いた。
「え?」
篠が足元を見る。
遅かった。
枯れ枝にしか見えなかった太い蔓が、いきなり足首へ巻きついた。
「きゃっ!?」
一本だけではない。
草の陰から伸びた別の蔓がふくらはぎへ、太腿へ、腰へと絡みつく。
「篠!」
私が手を伸ばすより早く、篠の身体がぐいっと持ち上げられた。
「ひゃあっ!?」
そのまま、あっという間に地面から離れていく。
さらに数本の蔓が腕と胴へ巻きつき、篠は木々の間で宙吊りになった。
「な、何ですかこれ!?」
「化け葛」
朝凪が平然と言う。
化け葛。
名前だけなら元の霧江の記憶にもあった。地面や木々に蔓を這わせ、近づいた獲物を絡め取る大型の食虫植物だ。
……虫という大きさじゃない獲物まで捕まえてるけど。
「篠、今助ける!」
「待って」
飛び出しかけた私の腕を、朝凪が掴んだ。
「なんで!?」
「化け葛は捕まえた獲物をすぐには食べない」
「そうなのか?」
「先に蔓で締めて、暴れなくなるまで弱らせる。それから根元まで引っ張る」
言われて見ると、たしかに篠は吊り上げられてはいるものの、どこかへ運ばれている様子はない。
「じゃあ、少しくらいなら大丈夫?」
「大丈夫」
「大丈夫じゃありません!」
頭上から篠の声が飛んできた。
「早く助けてください!」
「もちろん助けるって」
危険がないと分かって、ひとまず肩の力を抜く。
そして改めて、上を見た。
「…………」
蔓に捕らえられた篠は、両腕をやや上へ引かれ、片脚も持ち上げられた格好で吊られていた。
普段の服が蔓に押され、身体の線がいつもよりはっきりしている。
特に、胸元が。
……うん。
これはなかなか。
「霧江さん」
「何?」
「今、助けるのを忘れていませんか?」
「忘れてない忘れてない」
「ではなぜ、じっと見ているんですか!」
「救出方法を考えてるんだよ」
「絶対嘘です!」
鋭い。
隣を見ると、朝凪も同じように篠を見上げていた。
その視線が、篠の胸元で止まる。
次いで、自分の胸元へ落ちる。
もう一度、篠を見る。
「……腹立つ」
「何がですか!?」
「別に」
「今、明らかに私の胸を見て言いましたよね!?」
「見てない」
「見ていました!」
朝凪はいつもの無表情に戻っている。
けれど、ほんの少しだけ眉間にしわが寄っていた。
――この人、そういうところ気にするんだな。
ちょっと意外だった。
「霧江さんも感心してないで助けてください!」
「感心はしてないぞ」
「では、その顔は何ですか!」
「……感謝?」
「霧江さん!」
さすがにこれ以上は怒られそうだ。
いや、もう十分怒られている。
「朝凪、どこを切ればいい?」
「あれ」
朝凪が指さした先には、篠に絡みついた何本もの蔓が合流する太い一本があった。
「あれが支えてる。切れば落ちる」
「分かった。篠、ちょっと待ってろ」
「もう十分待っています!」
腰に差していた小刀では心許ない太さだった。
私は篠の腰にある金剛へ手を伸ばす。
「篠、借りるぞ」
「どうぞ! ですから早く!」
鞘から抜いた金剛で、太い蔓へ刃を当てる。
力を込めた途端、驚くほどあっさり切れた。
「えっ」
支えを失った篠の身体が落ちる。
「霧江!」
「分かってる!」
慌てて金剛を放り出し、両腕を広げる。
「きゃっ!」
「ぐえっ!」
受け止めた――つもりだった。
勢いまでは殺しきれず、そのまま私は仰向けに倒れ、篠も覆いかぶさるように落ちてきた。
そして。
むにゅっ、と柔らかなものが顔の左右から押し寄せた。
「んむっ!?」
目の前が暗い。いや、正確には目の前どころか顔ごと何かに包まれている。
柔らかい。温かい。そして――息ができない。
篠の胸だった。
(苦しい……! 息が……!)
本能が、一刻も早く顔を引き抜けと警鐘を鳴らす。
だが同時に、前世から引き継いだどうしようもない煩悩が、全力でそれに抗っていた。
(だが、この時間を……もう少しだけ堪能したい……!)
命か。胸か。
我ながら最低の二択だった。
「霧江さん!? 大丈夫ですか!?」
私がじたばたしていることに気づいた篠が、慌てて身体を起こそうとする。
「ま、待って……!」
「え?」
反射的に止めてしまった。
篠が怪訝そうに固まる。私は残り少ない理性を総動員した。
「……いや。何でもない」
「本当に大丈夫ですか……?」
惜しい。いや、助かった。たぶん助かった。
ようやく篠が身体を起こし、新鮮な空気が肺へ流れ込んでくる。
その様子を、朝凪が無言で見ていた。
篠の胸を見る。私を見る。そして、自分の胸元へ視線を落とす。
「……腹立つ」
「またですか!? 今度は何なんですか!」
「別に」
朝凪はぷいと顔を背けた。さっきよりも眉間のしわが深い。
……何に腹を立てているのかは、さすがの私にも何となく分かった。
私の体もなかなかのナイスバディなので、ちょっぴり申し訳ない。でも、不思議と自分の体にはいやらしい気持ちが起こらないんだよな。
私は名残惜しさを振り払いながら起き上がり、背中をさすった。
そのとき、そばに落ちていた切断済みの蔓が目に入った。
「それ、捨てた方がいい」
朝凪が言う。
「切ってもしばらく動くから」
「へえ」
たしかに、手の中の蔓はまだかすかにうねっている。
丈夫で、弾力もある。これだけ引っ張られても簡単には切れなかった。
何となく興味が湧いて、指先で感触を確かめる。
その瞬間。
視界の端に、見慣れた光が浮かんだ。
《素材を確認しました》
続けて、もう一つ。
《新たな制作法を構築しました》
「……あ」
「どうしました?」
篠が覗き込んでくる。
私は目の前に現れた表示を読む。
そして、もう一度手の中の蔓を見る。
「……なるほど」
「何か作れるようになったんですか?」
「うん。ちょっと面白いもの」
「その蔓、何に使うの?」
「これはだな――」
私は二人を手招きすると、今しがた頭に浮かんだ使い道を説明した。
篠と朝凪は黙って聞いていたが、話が終わる頃には二人とも手の中の蔓を見る目が変わっていた。
「……なるほど。すごくいいと思う」
朝凪の切れ長な目が、少しだけ丸くなる。
「私もいいと思います。うまくいけば、かなり心強いですね」
「だろ? あとは実際に作ってみて、ちゃんと使えるか確かめないとな」
私は化け葛の蔓を何本かまとめて持ち上げる。
さっきまで篠を吊り上げていた時には迷惑なだけだったけれど、見方を変えれば立派な素材だ。
これで、朝凪の弓とは別にもう一つ、フヨウに対する手札が増えた。
私は満足して、蔓を荷物に加えた。
「それより、本命の材料を探そう。篠も今度は足元をちゃんと見てな」
「誰のせいで毒キノコを気にしていたと思っているんですか!」
「私のせいなのか?」
「半分くらいは!」
「また半分か」
朝凪が小さく息を漏らす。
今度こそ、笑ったのが分かった。
その後もしばらく森を歩き、何本もの木を確かめた。
そして日が傾き始める頃、ようやく目当てに近い一本を見つけた。
太すぎず、細すぎず。力をかければよくしなり、離せば素早く元へ戻る。
「これならいけそうだ」
「本当?」
朝凪がすぐ隣まで来る。
「ああ。今の弓より強くできる。でも、引いた時の感覚はなるべく近づけられると思う」
「それがいい」
「決まりだな」
必要な分だけ切り出し、持ち帰れる大きさに整える。
そのほかにも補強に使えそうな素材をいくつか拾い、荷物は来た時よりずいぶん増えていた。
「これだけあれば足りる?」
朝凪が尋ねる。
「十分。あとは家にある素材と合わせれば作れる」
「じゃあ帰ろう」
「そうだな」
森を出る前、篠がふと振り返った。
少し離れた木の根元には、さっきと同じ毒キノコがひっそり生えている。
「……何ですか」
「いや、別に」
「絶対に食べませんからね」
「何も言ってないって」
「顔に書いてあります」
朝凪が横から言う。
「食べたいなら持って帰れば?」
「食べません!」
篠の声が森に響いた。
弓のための材料は揃った。
それに、予定にはなかった妙な拾い物まで手に入った。
あとは――作るだけだ。




