第5話「飛竜を射抜く弓」①
隼たちとの騒ぎから数日が経った昼下がり。
私は篠と二人、家の一角を占領した作業場で、採ってきた素材の整理をしていた。
「これは鉄鉱石。こっちは硬い木。で、この草は……なんだっけ」
「止血草です。昨日も同じことを聞いていましたよ」
「そうだった」
言われてみれば、そんな気もする。
元の霧江の記憶を探れば名前くらいは出てくるのだが、自分で見て触って覚えた物と、頭の中に最初から入っている知識とでは、どうにも馴染み方が違う。
篠が小さく息を吐きながら、束ねた薬草を種類ごとに分け直していく。
「霧江さんは、物を作ることに関しては本当にすごいのに、こういうところは妙に抜けていますね」
「褒められてるのか、それ」
「半分くらいは」
残り半分が気になるところだった。
そんな他愛ないやり取りをしていると、戸を叩く音がした。
篠と顔を見合わせる。
ここへ訪ねてくる者は、まだ多くない。と言うよりも、初めてではないだろうか。
「私が出ます」
篠が立ち上がり、戸を開けた。
外に立っていたのは、見覚えのない女だった。
年の頃は私と同じくらいだろうか。
そして、何より――美人だった。派手に着飾っているわけでもないのに、整った顔立ちは否応なく目を引く。涼しげな表情も相まって、黙って立っているだけでも妙に絵になる。
すらりとした細身の体つきで、背には弓を負っている。余計な飾りのない服装も相まって、全体に引き締まった印象を受けた。
何より目につくのは、その佇まいだった。
愛想がない、というのとは少し違う。
こちらを値踏みしているわけでもない。ただ、必要のないことを話す気が最初からないような、静かな雰囲気。
「霧江はいる?」
「……どのようなご用件でしょうか」
篠の声が、ほんの少しだけ硬くなる。
「仕事を頼みたい」
「あ、私が霧江だよ」
奥から声をかけると、女の視線がすぐ私へ移った。
「朝凪」
「え?」
「私の名前」
「ああ。私は霧江。こっちは篠」
「知ってる」
篠の眉がわずかに動いた。
朝凪は気にした様子もなく、背負っていた弓を外すと私の前へ差し出した。
「弓を作ってほしい」
「弓?」
「飛竜の鱗を射抜けるものを」
私は思わず、差し出された弓ではなく朝凪の顔を見た。
「……飛竜?」
「そう」
ずいぶん物騒な依頼が来たものだ。
もちろん、その言葉自体は知っている。
元の霧江の記憶にも、飛竜種についての知識はあった。
鱗や甲殻に覆われ、卵から生まれ、他の魔獣と比べても生命力が強い竜種。その中でも、翼を持ち空を飛ぶものを飛竜種と呼ぶ。
――知識としては、そうだ。
だが、転生してからの私はまだ一度も実物を見ていない。
「どの飛竜を狙ってるんだ?」
「フヨウ」
その名にも覚えがあった。
けれど、せっかく目の前に実際にそいつを狙っている狩人がいる。私は記憶に頼るより、朝凪の口から聞いてみることにした。
「どんなやつ?」
朝凪は少しだけ首を傾けた。
「知らないの?」
「知識はある。でも、実際に見たことはないんだ。狩る側からすると、どういう魔獣なのか聞いておきたい」
「なるほど」
朝凪はあっさり納得した。
「フヨウは飛竜種。森や山にいることが多い。翼で高く飛んで、上から一気に降りてくる」
そう言いながら、朝凪は片手を高く上げ、斜め下へ振り下ろした。
「鉤みたいな爪で獲物を掴む。火は吐かない。毒もない。その代わり、速い」
「ブレスなしの肉弾戦型か」
「ぶれす?」
「あ、いや。何でもない」
つい前世の感覚で口に出してしまった。
「鱗も硬い。急所に当てても、浅ければ矢は止まる。頭や腹側ならまだ通るけど、飛んでいる相手に都合よくそこを射たせてもらえるとは限らない」
「人間も襲うのか?」
「襲う。人だけを狙うわけじゃないけど、餌だと思われれば同じ」
さらりと言われて、私は少し黙った。
頭の中にあった知識が、急に生々しくなる。
空を飛ぶ巨大な爬虫類じみた魔獣が、森の向こうでは本当に獲物を探して飛び回っている。
魔獣のいる世界に来た、なんて感覚はとっくにあったつもりだった。
けれど、こうして「飛竜を狩りたいから武器を作ってくれ」と真正面から頼まれると、改めて思う。
――本当に異世界なんだな、ここ。
「それで、どうしてそのフヨウなんだ?」
素材目当てなら、わざわざ特定の一頭にこだわる必要もないだろう。
問いかけると、朝凪の表情からほんの少しだけ温度が消えた。
「二月前、妹が襲われた」
「妹?」
「夕凪。十四歳」
朝凪は淡々と続ける。
「その日、私が獲物を取れなかった。だから夕凪が食べられるものを探しに森へ入った。そこでフヨウと鉢合わせた。私が気づいて追いかけたけど、駆けつけた時には血まみれで倒れてた。……間に合わなかった。私が獲物を取れていれば、あんなことにはならなかったのに」
いつもと変わらない声音なのに、その言葉だけは自分を責めているように聞こえた。
その言葉に、胸の奥が少し重くなる。
「何本も射った。でも、ほとんど鱗に弾かれた」
朝凪の手が、差し出した古い弓を強く握る。
「追い払うことはできた。でも殺せなかった」
「……」
「だから、次は殺す」
声音は静かだった。
怒鳴りもしない。歯を食いしばるでもない。
それなのに、その一言だけは妙に重かった。
私は何と返せばいいのか迷った。
血まみれで倒れていた。
間に合わなかった。
そして、あのフヨウを必ず殺すと言う。
――妹さん、亡くなったのか。
そう思うと、下手な慰めを口にする気にはなれなかった。
「……分かった。作ろう」
結局、それだけ言った。
朝凪が一度だけ頷く。
「ありがとう」
「ただ、先に今の弓を見せてくれ。どういうのを作るか決めたい」
「これ」
改めて弓を受け取る。
第一印象は、よく使い込まれている、だった。
握りには長年使った跡がある。弦も新品ではない。それでも、雑に扱われた傷はほとんど見当たらなかった。
私は指先で弓の表面をなぞる。
「これ、かなり長く使ってる?」
「三年くらい」
「三年……」
隣で篠がわずかに目を逸らした。
私は見逃さない。
「篠、今なんで目を逸らした?」
「何でもありません」
「あなたの刀より長持ちしてる」
朝凪がぼそりと言った。
篠の頬が引きつる。
「……どこでそれを?」
「噂」
「噂だけで人を判断するのは感心しません」
「この前も盾を斬ってた」
「あの時は壊していません!」
「盾は壊れてた」
「私の刀は壊れていません!」
何だろう。
会ってまだ少ししか経っていないのに、この二人、妙に噛み合わない。
「まあまあ。朝凪は、あの騒ぎも見てたのか?」
「遠くから。あのあと、あの刀を作ったのは霧江だって聞いた」
見られてたのか。
変な噂が広まらないといいけど。
「最初は白銀に頼むつもりだった」
「白銀に?」
「腕のいい造作師がいるって聞いたから。でも、あの刀を見た」
朝凪の視線が篠の腰の金剛へ向く。
「大盾を砕いて、刃こぼれもしなかった。あれを作ったのが霧江なら、こっちに頼んだ方がいいと思った」
「なるほど」
依頼人としては合理的な判断だ。
篠は少し複雑そうな顔をしているが、私は素直に嬉しかった。
自分の作った物を見て、仕事を頼みに来てくれた。
造作師としては、かなり嬉しい出来事じゃないだろうか。
「じゃあ、今度は実際に射ってみてくれない?」
「ここで?」
「裏なら大丈夫。どんな引き方をするか見たい」
三人で家の裏へ回る。
適当な木片を標的代わりに置き、距離を取った。
朝凪が弓を構える。
その瞬間、空気が変わった。
足の位置。
腰の向き。
弓を持つ腕。
弦へ添える指。
どこにも余計な力が入っていない。
凛とした横顔に、無駄のない立ち姿。さっきから美人だとは思っていたが、弓を構えた朝凪はさらに様になっていた。私は射ち方を観察するという目的を一瞬忘れて、思わず見とれる。
「……霧江さん」
「ん?」
「朝凪さんのこと、ずいぶん熱心にご覧になっていますね」
「ああ。綺麗な構えだなって」
「……そうですか。綺麗、ですか」
篠は笑っている。笑っているのに、なぜか声だけが少し冷たい。
……何かまずいことを言っただろうか。構えが綺麗なのは事実なんだから、仕方ないと思うんだけど。
矢をつがえたと思った次の瞬間には、弦が鳴っていた。
乾いた音。
矢は標的のほぼ中央へ突き刺さる。
「もう一回いい?」
「いいよ」
二射目。
ほとんど同じ位置。
三射目も、そのすぐそば。
「……すごいですね」
篠が素直に感心している。
「これくらいは」
朝凪は何でもないように言った。
けれど、私は別のところを見ていた。
弓を引く長さ。
握る位置。
手首の返し。
弦を離した後の姿勢。
どれもほとんど変わらない。
力任せじゃない。
同じ動作を、寸分違わず繰り返している。
篠が前で戦う姿とは、まるで違った。
篠は強い。
速いし、力もある。そのうえ技術も高いから、どんな武器でもある程度使いこなしてしまう。
朝凪はたぶん逆だ。
自分の体と弓の動きを徹底的に合わせ、無駄を削って、一射の精度を極限まで高めている。
「朝凪」
「何?」
「強い弓なら何でもいいわけじゃないよな?」
朝凪がこちらを見る。
「当たり前」
「やっぱりか」
単純に硬い素材を使って、思い切り強く引かなければならない弓を作る。
それだけならできるかもしれない。
でも、それでは朝凪が今まで磨いてきた射ち方を全部変えさせることになる。
それは違う。
「今の引き方はなるべく変えたくない?」
「変えないで済むなら」
「分かった」
頭の中で形を組み立てていく。
必要なのは、ただ強い弓じゃない。
朝凪が今まで通り構え、今まで通り引き、今まで通り狙える。
それなのに、放たれる矢だけは今までよりずっと強い。
――朝凪専用の弓だ。
「作れそう?」
朝凪が聞く。
「たぶん。ただ、足りない素材がある」
「何が必要?」
「いくつか。手元にある物だけでも作れるけど、せっかくならちゃんと合わせたい」
「なら、採りに行く」
「いいのか?」
「私の弓だから」
即答だった。
私は少し笑う。
「じゃあ三人で行こう」
「私もですか?」
篠が聞く。
「もちろん。荷物持ちもいるし」
「霧江さん?」
「冗談冗談」
「半分くらいは本気ですよね」
さっき聞いた台詞をそのまま返されてしまった。
朝凪が小さく首を傾げる。
「仲いいんだね」
「そう見える?」
「少なくとも、一緒に寝ているって噂されるくらいには」
……こいつ、絶対に分かって言ってるな。
篠の顔が一瞬で真っ赤になった。
「どういう意味ですか!」
「そのままの意味」
「一緒に暮らしているだけです! 妙な言い方はやめてください!」
「嫌」
「どうしてですか!」
朝凪の口元が、ほんの少しだけ動いた気がした。
笑った――のだろうか。
たぶん、この二人はしばらくこんな感じなんだろう。
私は作業場へ戻りながら、必要な素材を頭の中で並べていく。
飛竜フヨウの鱗を射抜く弓。
そして、それを使う朝凪という狩人。
今までとは少し違う物作りになりそうだった。
――何だか、面白くなってきた。




