第3話「金剛不壊の刀」④
「壊れたら、また作る」
私がそう言うと、篠はしばらく何も言わなかった。
差し出した金剛と、私の顔を交互に見る。
「……また、ですか?」
「ああ」
「でも、こんな刀をもう一度作るのは大変ですよね」
「そりゃ楽ではないけど」
炉だってある。
作り方も分かった。
材料さえ集めれば、二本目は今回よりずっと早く作れるはずだ。
「だから、壊れたらその時考えればいい」
「…………」
「今から壊れる心配して、使わない方がもったいないだろ」
篠の手が、ようやく伸びた。
金剛の柄を握る。
その手つきは、これまで見てきたどの時よりも慎重だった。
「……重さは?」
「ちょうどいいです」
篠は両手で持ち、ゆっくりと刀を構えた。
「前の刀より、少しだけ重い気がします。でも……変な重さじゃありません」
「ならよかった」
「握りやすいです」
「お前の手に合わせたからな」
「私の……」
篠が柄へ視線を落とす。
そして、少しだけ口元を緩めた。
「ありがとうございます」
「礼は、壊れないって分かってからでいい」
「……はい」
言葉ではそう返したものの、篠の表情から緊張は消えていなかった。
無理もない。
何本も壊してきた。
高い武器も、安い武器も。
期待して使ったものほど、壊れた時の落胆も大きかったはずだ。
「試すか」
私が言うと、篠の肩がわずかに揺れた。
「……今ですか?」
「今じゃなきゃ、いつやるんだ」
「そう、ですよね」
返事はした。
でも動かない。
「怖い?」
「…………少し」
正直だな。
「じゃあ、最初は軽くでいい」
「はい」
*
小屋から少し離れた場所に、薪割り用の太い丸太を立てた。
本来なら斬るためのものではない。
けれど、試し斬りの相手としてはちょうどいい。
「これを?」
「まずはな」
篠は金剛を抜いた。
夕方の光が刀身を滑る。
「…………」
構える。
けれど、やっぱり動かない。
「篠?」
「……すみません」
篠は自分でも困ったように笑った。
「振ろうとすると、考えてしまって」
「何を?」
「これも折れたらって」
刀を見る。
「こんなに綺麗に作ってもらったのに、私が使ったせいで……って」
「だから」
私はさっきと同じことを言う。
「壊れたら、また作る」
「…………」
「それに、壊れるかどうか確かめるために振るんだろ」
「はい」
「なら、遠慮するな」
篠は一度目を閉じた。
ゆっくり息を吐く。
そして。
「……いきます」
金剛が振り下ろされた。
丸太の表面へ刃が食い込む。
思ったより浅い。
というより。
「手加減しただろ」
「しました」
「正直すぎる」
「だって怖いんです!」
篠が珍しく声を上げた。
「分かった分かった。じゃあ刀見ろ」
「え?」
「いつもやってるだろ」
篠がはっとする。
すぐに刀身を持ち上げた。
刃先を見る。
刃元を見る。
柄を握り直す。
鍔の周りまで確かめる。
「……ない」
「何が?」
「刃こぼれも、ひびも……ありません」
「なら、もう一回」
「…………はい」
二度目。
さっきより強い。
刃が丸太へ深く沈んだ。
篠はすぐに刀を確かめる。
「……大丈夫です」
「もう一回」
三度目。
今度は、いつもの篠らしい速さだった。
丸太が斜めに断たれ、上半分が地面へ落ちる。
「…………」
篠は刀を見る。
何度も。
角度を変えながら。
「どう?」
「大丈夫……です」
「まだ足りない顔してるな」
「え?」
嬉しそうではある。
でも、まだ目の奥に疑いが残っている。
今までだって、一度や二度の戦いには耐えた武器があったのだろう。
「篠」
「はい」
「次、本気でやれ」
「…………」
「お前が普段戦う時と同じように」
「でも――」
「本当に壊れないか知りたいんだろ?」
「……はい」
「私も知りたい」
せっかくSランクなんて大層な文字が付いているんだ。
丸太を少し斬った程度で安心されても困る。
「何か、もっと硬いものはありませんか?」
「硬いもの?」
「私が本気で振っても、遠慮しなくていいものです」
辺りを見回す。
少し離れたところに、大きな岩があった。
「……あれとか?」
「岩ですか」
「さすがに無理?」
「いえ」
篠の目つきが変わった。
まずい。
あの顔は、狩りをしている時の顔だ。
「やってみます」
「待て。別に斬れって意味じゃ――」
篠はもう岩の前へ立っていた。
金剛を両手で構える。
腰が落ちる。
空気が変わった。
さっきまで壊れることを恐れていた女と同じ人間には見えない。
狩人としての篠だ。
「……本当にいくぞ」
「はい」
「……壊れても怒らないでくださいね」
「怒らないって」
「絶対ですよ」
「むしろ壊れたら改良する」
篠が小さく笑った。
「それなら――」
一歩。
地面を踏み込む。
刀が振り抜かれた。
一瞬遅れて、岩の表面に亀裂が走る。
細い亀裂は途中で枝分かれし、大きく広がった。
岩の一部が崩れ落ちる。
「…………」
私は岩を見る。
篠を見る。
もう一度、岩を見る。
「……お前、やっぱりおかしいだろ」
「刀の確認が先です!」
「あ、はい」
篠は金剛を目の高さまで持ち上げた。
刃先。
刃元。
刀身。
鍔。
柄。
一つずつ、これまで何度も見てきた仕草で確かめる。
その手が止まった。
「…………」
「篠?」
「ない」
「何が?」
「何も、ないです」
篠の声が震えた。
「刃こぼれも……ひびも……歪みも」
もう一度、刀を見る。
「壊れてない」
今度は、はっきり聞こえた。
「壊れてません……!」
篠が私を見た。
笑っている。
でも、その目元が少しだけ濡れていた。
「霧江さん」
「うん」
「本当に……壊れてないです」
「見れば分かるよ」
「そうじゃなくて……」
篠は金剛を胸の前で大事そうに抱えた。
「今まで、ずっと怖かったんです」
ぽつりと零れる。
「戦うのは好きでした。強い魔獣と戦うのも、別に怖くありません」
「うん」
「でも、武器を振るのは……いつからか怖くなっていました」
戦えば壊れる。
壊れれば金がなくなる。
仲間に迷惑をかける。
また誰かを危険に巻き込む。
「だから、一人ならいいって思ってたんです」
「…………」
「壊しても、自分だけが困れば済むから」
森からの帰り道で聞いた言葉だ。
でも今の篠は、その時とは違う顔をしていた。
「でも、これなら」
金剛を見る。
「もう、怖がらなくてもいいんですね」
「ああ」
私は頷いた。
「たぶんな」
「そこは言い切ってください!」
「だって岩まで壊したんだから、もう十分だろ」
「今、大事なところですよ!?」
「じゃあ言い直す」
少し考える。
「これなら、お前がどれだけ暴れても大丈夫だ」
「言い方!」
篠が吹き出した。
笑いながら、目元を袖で拭う。
その笑顔は。
森で「仕方ないんです」と言っていた時のものとは、まるで違った。
*
小屋へ戻る頃には、すっかり日が暮れていた。
篠はずっと金剛を手放さなかった。
座ってからも膝の上へ置いている。
「そんなに気に入った?」
「はい」
即答だった。
「すごく」
「そっか」
「一生大事にします」
「いや、そこまで重く考えなくても」
「考えます」
なんでこいつ、こういう時だけ頑固なんだ。
篠は金剛を見つめたまま、何度目か分からないくらい嬉しそうに笑っている。
作った側としては、悪い気はしない。
むしろ。
……かなり嬉しい。
「それで、霧江さん」
「ん?」
「この刀、おいくらですか?」
「…………」
忘れてた。
「いくらって言われてもな」
「材料費と、制作費と、それから炉まで作っていますよね」
「材料はほとんど拾った」
「でも、霧江さんが作った時間があります」
「うーん」
値段。
困った。
そもそもこの世界で、Sランクスキル付きの刀がいくらするのかなんて知らない。
というより、普通に売っているのかすら怪しい。
「いくら持ってる?」
「えっ」
「払える範囲でいいなら」
「…………」
篠が黙った。
「どうした?」
「その……」
視線が泳ぐ。
嫌な予感。
「ほとんど、ありません」
「ないの?」
「武器を買って、壊して、また買ってを繰り返していたので……」
「ああ」
そうだった。
こいつ、武器貧乏だった。
「じゃあいらない」
「駄目です!」
今度は即答された。
「いいって」
「よくありません!」
「材料集め手伝ってもらったし」
「それとこれとは別です!」
「でも払えないんだろ?」
「うっ……」
篠が詰まる。
「じゃあ仕方ない、身体で――」
口にした瞬間。
篠の顔が真っ赤になった。
「か、身体で!?」
「働いて返せって意味だけど!?」
「…………」
「何想像した!?」
「な、何も想像してません!」
「嘘つけ!」
耳まで赤い。
私まで変な想像をしてしまったじゃないか。
危ない。
「と、とにかく」
篠が咳払いする。
「働けばいいんですね」
「ああ。素材集めとか、魔獣狩りとか。私一人じゃできないこと多いし」
「それなら……」
篠が少し俯いた。
「しばらく、霧江さんのお手伝いをしてもいいですか?」
「むしろ助かる」
「毎日でも?」
「毎日?」
「刀代を返すなら、そのくらい必要かと思いまして」
いや、値段決めてないけど。
「それに、その……」
篠の指が金剛の柄を撫でる。
「私、町では安宿を借りているんですが」
「へえ」
「これから毎日ここまで通うとなると、宿代ももったいないですし……」
「じゃあ、ここに住めば?」
「…………え?」
篠が顔を上げた。
「部屋ってほど立派じゃないけど、寝る場所くらいはあるぞ」
「ここに……ですか?」
「ああ」
「霧江さんと、一緒に?」
「他に誰がいるんだよ」
「…………」
また黙った。
今度はさっきより長い。
「嫌なら別に――」
「嫌じゃありません!」
食い気味だった。
「むしろ、その……」
篠の頬が少し赤い。
「置いていただけるなら、嬉しいです」
「そっか」
「はい」
やたら嬉しそうだ。
刀代を払えるから、というだけではなさそうに見える。
まあ。
私も嫌じゃない。
素材集めは楽になる。
狩りでは頼りになる。
話していて退屈もしない。
それに。
目の前で嬉しそうに笑っている篠を見る。
可愛い女の子と一つ屋根の下。
前世の私なら、まず縁のなかった話だ。
「……悪くないな」
「え?」
「いや、こっちの話」
「またですか?」
「気にするな」
篠が不思議そうに首を傾げる。
こうして。
毒キノコを食べて倒れていた女狩人は。
壊れない刀を手に入れ。
その刀の代金を返すという名目で、私の小屋に居着くことになった。
*
その夜。
篠は横になる前に、枕元へ金剛を置いた。
目を閉じようとして。
また開く。
同じ屋根の下には、霧江がいる。
少し前までは、ただ命を助けてくれた恩人だった。
昨日は、崖から落ちそうになった自分を助けてくれた。
一緒に泥だらけになって炉を作った。
今日は、汗だくになって、自分のために刀を鍛えてくれた。
そして。
『壊れたら、また作る』
あの言葉を思い出す。
「…………」
胸の奥が、また落ち着かなくなった。
崖で抱き留められた時と同じ。
でも、あの時よりも少し強い。
霧江の顔を思い浮かべるだけで、頬が熱くなる。
「……恩人だから、ですよね」
小さく呟く。
自分に言い聞かせるように。
返事をする人はいない。
篠は金剛の柄へそっと触れた。
「おやすみなさい、金剛」
それから少し間を置いて。
「……おやすみなさい、霧江さん」
今度こそ目を閉じた。
けれど、しばらく眠れそうにはなかった。




