ep.2
昼休みの売店はいつも通り混んでいた。二階にしか無い売店に全校の生徒が押し寄せるので、少しでも遅れるとこうなる。階段の途中まで列が伸びていて、購買のおばちゃんの声と、生徒たちのざわめきが入り混じっている。
長い列に並んで、おにぎり一個とお茶を手に取る。おにぎりは何の具を選んだのか気にしていない。もう、胃に入れば何でも良かった。
横を見ると、奏多が二つ三つと迷いなく掴んで抱えている。カレーパン、カツサンド、ジャムパンにいちごミルク、そしてコーラ……。炭水化物と砂糖ばかりの見ているだけで胃が重くなりそうな組み合わせだ。「こいつの食べ盛りはいつまで続くのだろう」と思う。
奏多は小学校の頃から、漫画のような盛り方をしたご飯を二、三杯軽く平らげるようなやつだった。そのおかげなのか、気がついた時には自分より一回り身長が高くなっていた。けれど、その恵まれた身長を活かすこともなく科学部に入っている。大量の食事で蓄えたそのエネルギーの使い道は未だに謎だ。
「お前、それで足りんのかよ」
僕が手に取ったおにぎりを見て奏多が言う。ありえねえと訝しむような声だった。いや、そっちの方がおかしいって。
「……まあ」
僕がそう返すと、「だから朔はもやしなんだよ」と奏多はわざとらしく言う。少しだけ、いつもの調子に戻れた気がした。二人で会計を済ませて生徒の列から外れる。
昼休みの廊下はパンの袋を抱えた生徒や急いで教室へ戻る生徒でごった返していた。
騒がしさも熱気もひどい。まだ春だというのに、空気が人肌のようだ。奏多はそっちを一瞥しただけで、迷わず反対側の廊下へ曲がった。
「あれ、学食行かないの」
「今から行ったら席ねえし、うるせえし、落ち着かねえだろ」
それだけ言って、また先に歩き始める。人気の少ない特別教室棟まで来ると、さっきまでの喧騒が嘘みたいに遠のいた。窓から差し込んだ柔らかな昼の光が静かな廊下に伸びている。
「よっと」
奏多が教室の扉をつま先で押し開ける。中には誰もいなかった。奏多がここを選んだのは、たぶん偶然じゃない。何も気にしていないように見えて、人のことをちゃんと見ているのだろう。こいつがモテるの、わかるなとこっそり思う。
「で?昨日、雫ちゃんと何があったんだよ」
奏多が椅子にどかっと座り、抱えてきたパンを机に並べていく。「どれから食べようか」と、さも楽しげに手を擦り合わせるのは奏多のいつもの癖だ。
「告白、されて……振った」
「なんか、色々端折ってねえか?」
「本当にこれだけなんだよ。話したこともないし」
「いや、昨日一日で起きたこととしては濃すぎるだろ、それ」
奏多が呆れたよう様子でカレーパンの袋を開ける。僕も同じくおにぎりの包みを開けた。
「普通さ、告白されたなら『なんて言われた』とか、『なんて返した』とかあるじゃん」
「好きです、付き合ってくださいって」
「うっわ、直球だな。言われてみてえ」
「それで、付き合えないって返した」
「お前もだいぶ直球じゃねえか」
思わず黙ってしまう。ただ、何も考えられなくなって、口から一番先に出た言葉がそれだった。もっとましな返し方はいくらでもあったはずだ。少し待ってほしいとか、急で驚いたとか、ちゃんと話したいとか。今ならいくつも浮かぶのに。
「で? 雫ちゃんはどうしたんだ」
「理由聞かれて答えたら……走っていなくなった」
答えた瞬間、昨日の光景がそのまま戻ってくる。途中で途切れた僕の言葉。背を向けて遠ざかる中原さんの足音。追いかければまだ間に合ったかもしれないのに、僕はその場から動けなかった。何も伝えられないまま、彼女を傷つけただけで終わってしまった。あの時の自分を思い出すほどに情けなくなる。
「ほら、やっぱ色々あんじゃねえか」
「……うん」
小さく返しながら、どうして人は他人の恋愛模様がそんなに気になるのだろうと思う。ドラマや小説とかの創作なら百歩譲ってもいい。譲ってやってもいい。姉の怜奈が一時期見ていた恋愛リアリティショーもギリギリ許そう。あれはフィクションだと業界人である彼女が言っていたし。
けれど、実在する人間の恋愛を見て一喜一憂するのはなんだか趣味が悪くないか。仮に中原さんと付き合ったとしても、さっきの女子は裏で色々言うはずだ。もしかしたら直接言ってきたかもしれない。こんな愚痴を奏多にぶつけるのも違う気がするし、頭の中だけ饒舌な自分が嫌になってくる。
「でも、学校一可愛い言われてる子を振るのはありえねえって。女優もやってるし、結構有名だぞ。俺インスタフォローしてる」
奏多に捲し立てられる。中原さんのことを僕は何も知らないと改めて思う。学校一可愛いと言われている女子を振ったのなら、噂になるのは当然かもしれない……いや、待て。今、女優って言ったか?芸能人が同じ学校にいて、それを知らないというのは流石に人に興味がなさすぎるな。もしかしたら、僕よりも怜奈の方が中原さんのことを知っているのかもしれない。
「この前も深夜ドラマ出てたな。おっさん刺し殺してた」
「情報の出し方が最悪だろ」
「いや、マジで演技上手かったんだって。めちゃくちゃ怖かったぞ」
カレーパンを三口で平らげた奏多はカツサンドの袋を開けながら肩をすくめる。包装のビニールが派手に鳴って、揚げ物の匂いが広がった。
「もっと普通にさ。『話題作出てた』とか」
「一番印象残ったのそこなんだよ。無表情で刺しまくるの。こう……グサグサッて」
「再現するな」
「しかも、その後返り血まみれで笑い転げるのがやばかったな。ほんと名演技。常人にはできねえわ」
「昼飯時にする話じゃないって……」
奏多は気にせずカツサンドを貪っている。こいつの食欲はたぶん多少の流血表現では揺るがない。
「で、ドラマのタイトルは」
「知らん」
「知らないのかよ」
「俺テレビあんま見ないからさ。母ちゃんが見てたの横で見ただけ」
「情報源が薄すぎる」
「でも雫ちゃんってのはすぐ分かったぞ。超可愛いし、学校でも目立ってるから」
「……そうなんだ」
「そうなんだ、じゃねえよ。お前どんだけ周り見てねえんだ」
「女優なのも知らなかった」
「嘘だろ」
「本当」
信じられないものを見るような様子だった。
「今やってるアイスのCMは」
「知らない」
「映画は」
「見ない」
「テレビは」
「見ない」
「……お前、山奥で育ったの?」
「東京だけど」
「絶対嘘だ。野生児だろ」
おちゃらけた様子の奏多が、そこでカツサンドを机に置いた。さっきまで軽かった声が少しだけ真面目さを帯びる。
「でも、なんで振っちまったんだよ。性格もいいって有名だし。あんな子に告られたら絶対付き合うだろ」
「……分からないんだよ」
奏多から「は?」と間の抜けた声が返ってくる。
「いや、分からないって何が」
「中原さんのこと」
分からないのは彼女の情報だけじゃない。もっと重要なものが欠けている。僕はそれを言葉にしたくなくて、椅子にもたれて顔を手で覆った。目を閉じると、昨日の桜の木が目に焼きついたままだ。
「……ああ、そういうことか」
短く、納得したように言った。それ以上は踏み込んでこないところが奏多らしかった。普段は土足で人の会話に入ってくるくせに、こういう時だけ勘がいい。
「仕方ねえか。でも、もうちょい話してからでも良かったんじゃね?」
「……そうかも」
それきり、会話が途切れた。各々の口を動かす音だけが響く。少し気まずさを感じていると、奏多がいちごミルクを軽く押し出してきた。
「これ、やるよ。今日は特別に恵んでやる」
戸惑いながらも受け取る。いちごミルクを飲むのはいつぶりだろうか。普段からジュースは飲まない方だし、いつもおにぎり一個とお茶で昼ご飯を済ませているからなんだか不思議な気持ちになる。ストローを差し込んで飲んでみると、思っていたより甘さは控えめで、牛乳のまろやかさの中にいちごの香りがちゃんとある。
「美味しい」
「うまいだろそれ。いつもはすぐ売り切れるんだけど、運良く残ってた」
奏多はコーラのキャップを回した。炭酸の抜ける音が鳴る。
『最初から、僕に渡すつもりで買っていたのかもしれない』と思ったのは、それから少し経ってからだった。もちろん本人に聞けば、「余ってたから」とでも言うのだろうけど。




