プロローグ:重すぎる愛9
その空間には、光が満ちていた。
白いヴェールが揺れる。
花の香りが、柔らかく空気に溶けている。
大勢の祝福の拍手が響く。
たくさんの笑顔が咲いている。
あたたかい視線が式場を満たす。
その中心に、ユリカはいた。
ドレスの裾を少しだけ持ち上げて、ゆっくりと歩く。
隣には――美しいマリアがいた。
それだけで、胸がいっぱいになる。
「綺麗だね」
参列席の誰かが言う。
「本当にお似合いで、素敵」
同じ場所から別の誰かが笑う声がする。
両親も、親族も、顔も思い出せないような、周囲の人間も。
みんなが笑顔で祝っている。
あんなにマリアを軽く見ていた、あの人たち全員が。
今さら祝福している。
やっと理解したのだ。
マリアがどれほど素晴らしい人なのかを。
「いい人と出会えたね」
「二人で支え合って暮らすのよ」
そんな言葉を、平然と口にする。
完璧な笑顔でユリカは笑う。
(ほらね)
心の中で自信を持って囁く。
(私はちゃんと証明できた)
マリアは隣で、静かに立っている。
少しだけぎこちないけれど、逃げるそぶりなどない。
離さないように、その手をぎゅっと握りしめる。
「誓いますか?」
問いかけに、マリアは一瞬だけ目を閉じる。
次の瞬間には顔を上げて、しっかりとユリカに視線を合わせる。
「はい、誓います」
その一言で、理想の世界が完成する。
拍手がいっそう大きくなる。
賑やかな歓声が広がる。
ユリカは満面の笑みで確信する。
(これでもう、大丈夫)
誰にも否定されない関係を、やっと手に入れた。
「おめでとう」
輪郭の薄い人々に囲まれて、何度も祝福される。
「二人とも、幸せになってね」
ユリカは深く頷く。
(もう、なってる)
隣には、綺麗なドレスを纏った美しいマリアがいる。
それだけで、世界は完璧だった。
「……ねえ、ユリカ!聞いてるの?」
冷めた声で、ふと目が覚める。
白いヴェールの匂いは、もうどこにもなかった。
いつもの、自宅のリビングのソファ。
夢だった、とゆっくり理解する。
胸の奥に残っていた幸せが、ぼんやりと消えていく。
「……なに?」
思わず不機嫌な声が出る。
目の前には、かつて幼いユリカをマリアに押しつけた母親がいた。
聞き分けのない子どもを見るような、困った顔をしている。
「あの子の家、まだ通っているの?」
その一言で、はっきりと現実に落とされる。
「……ママには関係ないでしょ」
「関係あるわよ!」
「だってあの子……ちょっと普通じゃないっていうか……」
言葉を濁すけれど、意味は十分伝わる。
「もっとちゃんとした人なら、いくらでもいるでしょ?」
ユリカは何も言わずに、ニュースを読み上げるテレビを見ていた。
続けて、別の声がする。
「あんなのといるのは悪影響だよ」
「あなたの将来が心配だわ」
「共倒れになるわよ」
「時間の無駄だってわからないの?」
周囲の不快な声がノイズのように重なる。
夢の中では祝福していたはずの人たちが。
現実では、同じ口で否定ばかりする。
「……うるさいな」
心底うっとおしくて、それだけを呟く。
「ユリカのために言ってるのよ!」
その言葉が、一番嫌いだった。
(私のため?)
胸の奥で、何かが冷たく固まる。
「マリアのこと、何も知らないくせに」
「ちょっとあんた、何言ってるの!」
母親の悲鳴のような声が響く。
「……もう、放っといて」
それだけ言って、立ち上がる。
背中にまだ何か言われている気がするけれど、聞かない。
スマホだけ持って、外に出る。
「……今日の夕飯、何作ろう」
頬を撫でる空気は冷たい。
夢の中の光は、現実にはどこにも存在しない。
(……くだらない)
うんざりして、小さく吐き捨てる。
あんなふうに祝福されることなんて、ありえない。
そんなこと、最初からわかっていたはずなのに。
それでも、夢を見た。
小さく息が漏れる。
現実のマリアは、あんなふうにユリカを見つめない。
今は、まだ。
そもそも、人前に立つことすらできない。
(でも)
足を止めて、一人考える。
(それでもいい)
誰に何を言われても。
「……そんなの、関係ない」
祝福なんていらない。
理解なんてされなくていい。
あの人がいれば、それだけでいい。
夢の続きを現実で作るように、ユリカは歩き出す。
少しだけ、不機嫌な顔のまま。
けれどその奥には、消えないものが残っている。
誰にも共有されない、歪んだ幸福の輪郭が。
夕暮れの赤い空に、黒いカラスが横切った。




