ナツメルート後日談短編:いつか、そのときは
冬の空は厚い雲に覆われていた。
昼間なのに日差しは届かず、灰色の部屋はいつもより沈んで見えた。
マリアはお気に入りのクッションを抱きしめながら、ソファに身体を預けていた。
時計の針の進む音に耳を傾ける。
それだけで心が凪いでいった。
昨夜はよく眠れなかった。
睡眠薬の量を減らしてみようと、主治医と相談したばかりだった。
まだ薬が身体に馴染まないのか、いまいち効果を実感できない。
だが、急に薬の効果や副作用を判断できるわけではない。
こればかりは、時間をかけて効き目を見極めるしかない。
薄い眠気に包まれて、マリアはソファで目を閉じる。
マリアの身体がゆるやかに傾いて、大量のクッションが置かれたソファに埋もれる。
そのまま、マリアのまぶたは開かれなかった。
ナツメはコンビニから帰宅したリビングで、マリアを発見する。
二人で選ぶうちに、ソファにはどんどんクッションが増えていった。
その色とりどりのクッションに埋もれて、マリアが眠っている。
長い睫毛が動く気配はない。
ナツメはそっとマリアに近づいた。
コンビニにエコバッグを持って行ってよかったと思う。
ビニール袋のささいな音でさえ、マリアの睡眠を邪魔したくなかった。
マリアの寝顔は穏やかだった。
それだけで、灰色の部屋に色が戻る。
朝から眠そうだったので、昼寝をしているのだろう。
マリアの顔を間近で眺めながら、ナツメはそう考えた。
そのとき、ふとマリアの髪を視界にとめる。
波打つような長い栗色の髪が、綺麗だった。
だがナツメは少しの違和感を覚える。
マリアの髪に顔を近づけて、よく観察する。
そうして、違和感の正体に気づいた。
白髪だ。
マリアの栗色の髪に、一本だけ白髪が混じっている。
ナツメは不思議な気持ちになった。
学生時代からマリアは綺麗だった。
三十八歳で再会してからも、ずっと。
ナツメの中でマリアは綺麗な存在だった。
綺麗というより、美しい、だろうか。
壊れた身体と心を引きずりながらも、他者を傷つけないでいようとする姿勢。
そういう優しい心根はいつも変わらなかった。
だから色褪せたパーカーでも、雑に纏められた髪を見ても、マリアのことを綺麗だと思う気持ちに変わりはなかった。
でも今、白髪を見つけて思う。
ここまで来たんだな、と。
中学生の頃、マリアの髪に花を挿したことがある。
あの頃はもちろん、白髪なんて一本もなかった。
三十八歳で再会してから今日まで、二人のペースで共に歩んできた。
気づけば四十歳を越えて、数年が過ぎていた。
年齢を考えれば、マリアの髪に白髪があるのは当然だった。
中学生の頃の自分に教えたら、冗談だと思って笑われるだろう。
でもナツメは今、白髪を見つけられる距離で、マリアのそばにいる。
その事実が、どうしようもなく胸を熱くさせた。
ナツメの目元が少しだけ潤む。
涙は出なかった。
その代わり、ソファの近くに座り込んで、マリアの身体に頭を寄せた。
穏やかな寝息が聴こえる。
その寝息に耳を傾けながら、深く深呼吸してみる。
だんだんと、ナツメも眠くなってきた。
厚い雲がやっといなくなって、部屋には白い日差しが差し込んできた。
その眩しさに押されるように、ナツメはまぶたを開ける。
どうやら、マリアと一緒に昼寝をしていたらしい。
背後で動く気配があった。
マリアも、昼寝から目覚めようとしていた。
ナツメは振り向いて、マリアの髪を優しく撫でる。
長い睫毛が震えるのを見て、静かに声をかける。
「おはよう、マリア」
「……あれ?」
「……寝てた?」
「うん」
マリアはまだ眠そうな目をこすりながら、身体を起こす。
クッションを抱きしめたまま、あくびをしている。
その隣に座りながら、ナツメもクッションを一つ手に取る。
深い青色をしたクッションは、マリアが選んだものだ。
「眠そうだな。まだ夕飯まで時間あるし、寝ててもいいぞ」
「いい、ナツメと話したい」
マリアは最近、照れずにこういうことを言ってくれる。
ナツメの胸にあたたかいものが広がる。
「そういえばさ、マリア」
「髪に白髪あった。一本だけど」
「……え」
マリアは少しショックを受けた顔になる。
「どこ?」
「ここ、これだよ」
ナツメが細い髪を一本すくって、マリアに見せる。
「本当だ」
「な、ここまで来たんだなあと思ったよ」
「どういう意味?」
「いや、これから白髪が増えていくんだろうなって」
「……悪口?」
マリアは複雑そうに眉を寄せる。
「違う。白髪が増えても、マリアがそばにいるんだと思った」
「それが嬉しいんだ」
「そっか」
「……私も、嬉しい」
マリアはナツメの短い黒髪に触れる。
「ナツメも、白髪ないかな」
「探すか?」
「ううん、いい」
「いつか、自然に見つけたい」
ナツメはくすぐったそうに目を細める。
「うん、そうか」
「うん、そうだよ」
おうむ返しにしながら、マリアがおかしそうに笑う。
「病めるときも健やかなときも、白髪が増えても」
「そばにいることを、誓います」
マリアの不意打ちに、ナツメの耳が赤くなる。
「……そうだな。誓うよ」
ぶっきらぼうに返しながら、ナツメは苦笑した。
自分はきっと一生、マリアに弱いままだ。




