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三十八歳、触れないまま恋をする〜重すぎる愛と、静かな恋の間で~  作者: ail38


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ナツメルートif:あの日の君へ

※これは、もし二人がもっと早く出会っていたらという、小さなifのお話です。

春の日差しが眩しかった。

学校へ続く道には両脇に桜の木が植えられていて、新入生を歓迎するように優しく揺れていた。


「今日から、一年生だ」


マリアは小学校へ続く道を歩きながら、緊張して呟く。


幼稚園ではちょっとどんくさい、のろいと言われてきた。


でも、今日からは小学一年生だ。

少しお姉さんになったのだから、きっと小学校ではうまくやれる。


根拠はないけれど、なぜかマリアはそう信じていた。

大丈夫、きっとうまくいくと。


桜色の絨毯を歩きながら、マリアは新しい生活への期待に胸を踊らせていた。


だが、授業が始まってすぐ気づく。

みんなの速さに、ついていけない。


マリアが教科書を準備する間に、黒板に先生が文字を書いていく。

ノートを用意する頃には、黒板には新しい文字がどんどん増えていく。

書き写す作業が追いつかないまま、黒板の文字は消されてしまう。


まずい、とマリアは思った。

これでは幼稚園と何も変わらない。


(どうしよう、どうすればいい)


マリアは冷や汗をかきながら必死に考える。

でも、良い案は何も思い浮かばなかった。


肩を落としたまま、ランドセルを背負う。

結局、みんなの速さについていけないまま一日が終わった。


自分はこのまま、幼稚園と変わらずにどんくさいと言われる子になってしまうのか。

俯いたまま、桜色の絨毯を歩く。


朝はあんなに期待に胸を踊らせたのに、今は何もかもが色褪せて見えた。

桜の木を見上げることすらできない。


「おい、あんた」


その時、後ろから声が聞こえた。

マリアは反応せず、下を向いて歩き続ける。


「そこの、茶色い頭のあんた!」


そう言われて、やっと足を止める。

茶色い頭とは、もしかして自分のことだろうか。


疑問に思ったマリアは、恐る恐る振り返る。

もし自分じゃなかったら、とんでもなく恥ずかしい。


振り向いた先には、髪の短い女の子がいた。

ランドセルが新品のようにぴかぴかなので、同じ一年生だろう。


「やっとこっち見たか」


どうやら、呼ばれていたのは自分で間違いなかったらしい。

マリアはとりあえず安心した。


だが、この女の子に呼び止められた理由がわからない。

マリアは素直に聞いてみることにした。


「あの、なんで私に声かけたの?」


「お前、同じクラスだろ」


「……そうなんだ」


「まあ初日だし、私のこと知らなくても別にいいけど」


妙に男の子っぽい喋り方をするな、とマリアは思う。

その考えが顔に出ていたのか、


「今お前、失礼なこと考えただろ」


と言われてしまう。


「話すの、男の子みたいだなって」


マリアは自然と返事をしていた。

言った後、失礼だと気づいて慌てる。


「ごめんなさい、嫌なこと言って……」


「ただの事実だし、気にしない」


「そうなんだ……」


強い、そう感じた。

こんなふうに言い返せる強さがあれば、きっと学校は楽しいはずだ。

マリアはこの子が、羨ましいと思った。


「あんた、マリアだろ」


「そうだけど、何で」


「自己紹介で覚えただけ」


言い終わる前に、言葉が返ってくる。

マリアは思わず唇を噛んだ。


自己紹介はクラス全員がおこなった。

でもマリアは失敗しないように集中するのに精一杯で、他の子の話など聞いていなかった。

だから、目の前の子の名前を知らない。


「……あなたの、名前は」


「私はナツメだ」


目の前の子、ナツメは気分を害した様子もなく名前を教えてくれた。

やっぱり、強い。

マリアは心の中でもう一度思う。


ナツメが眩しく見えて、マリアはまた桜の絨毯を見つめる。


「マリア、なんで下向くんだよ」


「……ちょっと、まぶしくて」


「はあ?夕日がまぶしいのか?」


ナツメは馬鹿にしている風でもなく、ただおかしそうに笑った。


「ナツメは、なんで私を呼んだの」


ナツメの笑顔に背中を押されて、マリアは視線を合わせてたずねる。


「ああ、それはマリアがこれ忘れてたから」


そう言ってナツメはノートを差し出す。


「宿題やるのに、ノート忘れたら困るだろ」


なんでもない事のようにナツメは話している。

だが、マリアには衝撃だった。

初対面の相手に、わざわざ忘れ物を届けてくれる。

普通の速さについていけないマリアには、十分驚く出来事だった。


「あの、ありがとう……」


「どういたしまして」


マリアは、ナツメを心から尊敬した。

どんくさいマリアに忘れ物を届けてくれる、優しい子。


きっと愛されて育ったんだろうな、と思った。

だから人にも優しさを配れる。


余裕がないと、他人に優しくできない。

そんな言葉を本で読んだ気がする。


「どうした、なんでだまる」


「なんでが多くない?」


「それはお前のせいだろ」


図星だったので、マリアは言葉に詰まる。

それでも何か言わなきゃ、と思って、考えるより先に言葉が飛び出す。


「わ、私と、友だちになってくだしゃい」


噛んだ。

大事なところで。

恥ずかしくて、マリアは顔を赤く染める。


「しゃいって、お前……」


マリアはナツメの言葉が理解できずに、首を傾げた。

そこでふと、ナツメの身体が震えているのに気づく。


「……ナツメ?」


「しゃいって、マリア、ほんと……ふぐっ」


ナツメは笑っていた。

どうやらツボに入ったらしい。


マリアは更に恥ずかしくなった。

けれど、大事なことがまだ残っている。

ここで引くわけにはいかなかった。


「ナツメ、笑ってないで、返事は?」


「あー、笑った。ごめんって、怒るなよ」


「怒ってない、あせってるの」


「そう?じゃ、今日から友だちだ」


「……!」


今度はマリアの身体が震える。

どんくさいのに、みんなの速さに追いつけないのに。

友だちは、できた。


その事実が胸にじんわり染み込んでいく。


(友だち、初めての友だち)


嬉しくて、呪文みたいに繰り返す。


そのとき、ふいにナツメが手を繋いだ。

驚いてマリアがナツメの顔を見る。


「友だちになったんだし、一緒に帰ろう」


ナツメは満面の笑顔でそう言った。

マリアは目を少し潤ませながら、


「……うん、帰ろう」


と返事をする。


桜並木に囲まれた道を、ナツメと手を繋いで歩く。

学校を出たときには考えられない光景だった。


ナツメはマリアの隣で冗談を言う。

マリアはいつもよりはしゃいだ笑い声をあげる。


桜色の絨毯が、優しく二人の歩みを彩っていた。


別れ道にたどり着くまで、手は繋いだままだった。

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