ナツメルート後日談:歩くような速さで
休日の静かな早朝を、突然のアラームが切り裂いた。
ナツメは驚いて音の発信源を見る。
マリアのスマホだった。
一体誰かと思ってスマホを覗くと、『母』とだけ表示されていた。
マリアに視線を移すが、睡眠薬が効いているのか、起きる気配はない。
迷ったナツメは、結局無視することにした。
ナツメはマリアと結婚したが、マリアの家族には報告していない。
親や親族にいい顔をされないことがわかりきっていたからだ。
唯一、弟のスバルにだけはマリアが自分で伝えていた。
「結婚?女の人と、したんだ……」
「いや……うん、おめでとう」
スバルは最初、マリアが結婚、しかも同性婚をしたことに驚いていた。
それでも、戸惑いながら祝福してくれた。
後日、お洒落なハーバリウムが結婚祝いとして届いた。
スバルではなく、奥さんが選んでくれたらしい。
そうしたやり取りを経て、今ではたまに四人で食事に出かけるような仲になった。
だが、いまだにスバル以外の家族に連絡することはない。
ナツメは何を言われても言い返せる自信があるが、マリアはそうではない。
もちろん、ナツメとの結婚について何か言われたら反論しようとするだろう。
ナツメはそれくらいには自惚れていた。
それだけの日々を積み上げてきた。
だが、反論できることと、傷つくことは別だ。
ナツメはマリアに、家族の言葉で傷ついてほしくない。
だからナツメは、マリアの家族へ連絡しなくていいと最初に断りを入れていた。
マリアは申し訳なさそうに俯いて、ただ「ごめん」と言った。
そのときは謝らなくていい、とだけ返した。
それ以来、スバル以外の家族の話をお互い避けるようになった。
しかしここに来て、マリアの母親からの電話。
正直、嫌な予感しかしない。
だがもしかしたら、ちょうどいい機会なのかもしれない。
長いアラームが止んだスマホを見つめながら、ナツメは密かに決意した。
「……おはよう」
スマホが静かになってから数時間後、マリアが眠そうな目をこすりながらリビングへと顔を出す。
「おはよう、マリア。眠そうだな」
「薬、新しくなった。効いてるのかも」
「そりゃよかった」
洗顔と歯みがきを終えたマリアが、朝食の席につく。
マリアが小さな口でパンをかじるのを眺めながら、先に朝食を終えたナツメはコーヒーを飲む。
マリアが食べ終えるのを見届けてから、ナツメは思い切って話しかけた。
「なあ、マリア」
「何?」
「実は朝、マリアの母親から電話があった」
マリアは顔色を悪くする。
「電話、でたの?」
「いや、無視した」
マリアは俯いてしまう。
「ごめん、ナツメに嫌な思いさせた」
「別に、会話してねえし気にしない」
「でも……」
「あのさ、マリア」
ナツメの真剣な声に、マリアは顔を上げる。
「一回だけ、マリアの家族に会わないか?」
「……え、なんで?」
「一応、結婚の報告だけ。それだけしたくてさ」
マリアの顔色を観察しながら、慎重に言葉を探す。
「マリアが嫌なら、無理にとは言わない」
「嫌、というか……」
「むしろ私は、ナツメが心配なの」
「あー、私こんなだしな」
「そうじゃなくて」
違う、と訴えるようにマリアは顔を振る。
「私の両親は、絶対ナツメのこと傷つける」
「私はそれを、よく知ってる」
実感のこもった冷たい声に、ナツメは言葉が途切れてしまう。
「それでも、どうしても、っていうなら……」
マリアも言葉に迷うように、たどたどしく話す。
「両親は、絶対ダメ。でも、姉さんなら……」
「ああ、ユリカの母親か」
「そう。姉さんに、紹介するだけなら、なんとか……」
マリアが差し出した妥協案に、ナツメは納得して頷き返す。
「それでいい。挨拶程度に報告するだけだしな」
「わかった。日程、こっちで調整するね」
「頼んだ」
話が終わる頃には、マリアのカップのコーヒーは冷めていた。
そうして、一月後。
場所はクラシック音楽が流れる、古い喫茶店だった。
店の長い歴史を象徴するように、使い込まれた、でも味のある調度品が並んでいる。
マリアの姉、チズコは約束の時間に遅れてやって来た。
悪びれもせずに、席について早速メニューを開く。
紅茶とアップルパイを頼んでから、「で?」とやっとマリアたちの方を見る。
「あんた、本当に女と結婚したのね」
「……うん。私の奥さんの、ナツメ」
「ナツメです。マリアさんと結婚できた果報者です」
「ちょっと、ナツメ」
「いいだろ、ただの事実だ」
「……あのさあ」
二人の会話を、チズコが遮る。
「私の話、いい?」
「……うん、何?」
「マリアってさ、ユリカを育ててくれたじゃない」
「……そうだね」
「一応ね、反省してるのよ。あの頃は私、夫の浮気もあったからって、育児放棄しちゃったこと」
「そう、だったんだ」
マリアは浮気の件は初耳だったのか、驚いた様子だった。
ナツメは口を挟まず、黙っている。
アップルパイを食べながら、チズコは続ける。
「親の影響もあったけど、マリアにも、だいぶ酷いこと言ったし」
「まあ今さらなんだけど、それはごめん、と思ってる」
姉の謝罪がよほど意外だったのか、マリアは固まっている。
ナツメはコーヒーを追加で頼んだ。
「私の謝罪が、意外って顔ね」
「それは、まあ……」
「実はね、ユリカに怒られたのよ」
「『ママはマリアが何を考えているかなんてどうでもいいの?』って」
「『マリアは都合のいい人形じゃない。ママと同じ、人間だよ』ですって」
そこでチズコは、ゆっくり紅茶を飲む。
「それでチズコさんは、マリアと私の結婚を認めてくれる気になったんですか」
チズコを真っ直ぐに見つめながら、ナツメが言う。
「ユリカに言われて、過去を振り返ったのもあるけど」
「一番は、そもそも私、マリアが誰と結婚しようがどうでもよかったのよね」
その言葉で現実に引き戻されたのか、マリアの硬直が溶ける。
「でもまあ、私より金持ちの男と結婚したら嫉妬したかも」
「……想像つく」
「正直、逆に安心したわよ。社会的に私より劣った相手と結婚してくれて」
冗談のように言うが、これが本音だろうとナツメは思う。
「私は反省できるいい女だからこの程度で済むけど、両親はねえ……」
「あ、今電話すればいいのか」
「ちょっと、チズコさん」
ナツメが止める間もなく、チズコは勝手に母親に電話をしてしまう。
「母さん、久しぶり。突然だけど、マリア結婚したんだって」
スマホをスピーカーモードにしたチズコが、爆弾を投下する。
『マリアが結婚!?誰と!相手の年収は!?』
「お相手は女性よ。年収は知らない」
『は?女!?冗談でしょ、どこまで私たちに恥をかかせれば気が済むのよ!』
『私たちは認めないからね、そんな』
ティロンッ
チズコは勝手に電話して、勝手に通話を終わらせる。
「あの人たちは変わらないわね。やっぱり私は過去の反省をいかせる女よ」
いい女アピールを無視して、動揺から復活したマリアが姉を責める。
「勝手なことしないで。両親には知らせるつもりなかったのに……」
「どうせいつかは、どっかから知られたわよ」
「私はそれを、今日にしただけ」
アップルパイを食べ終えたチズコは、全く悪びれずに言う。
その態度が少しだけ、ユリカと重なった。
「あのねえ、マリア。同性婚の反応なんてうちの両親みたいのが大半よ」
「その度にいちいち傷つくの?反論する?そんなの、現実的じゃないでしょ」
「……それは、わかってる」
「いきなり強くなれとは言わないわよ。でも、自分の伴侶くらい自分で繋ぎ止めないと」
「暗い顔ばっかしてたら、愛想つかされるんじゃないの」
妙に実感のこもった声だった。
「私はマリア一筋です。大丈夫です」
「あなたはね。でも、マリアは違う」
正論を返されて、ナツメは黙る。
「私からは、以上よ。一応両親の暴言は止めるけど、そっちに電話あっても自分たちで対処してね」
「……わかった。今日はありがとう、姉さん」
「今日来たのは、ユリカが世話になった礼よ。これ以上は、関わらない」
「そうだね、お互い、その方がいい」
「あんたの幸せそうな顔見たら、暴言吐かない自信ないから」
「わかりました。今日は、ありがとうございました」
そう言って、ナツメは頭を下げる。
「じゃあね、お幸せに」
ひらひらと軽く手を振って、チズコはいなくなった。
「何ていうか、本当にユリカの母親だな、って感じ」
「けっこう、似てるよね」
マリアはやっと自分のミルクティーに口をつけながら、小さく頷く。
ナツメもコーヒーを飲みながら、マリアとは全く似ていないな、と思っていた。
「私も、アップルパイ食べたい」
「おう、頼め」
いや、甘党なところだけは似ている、と心の中で訂正した。




