幕間:花を抱いて
待ち合わせ場所の駅前は、人で溢れていた。
休日の昼。
たくさんの笑い声、色々な種類の足音。
改札の電子音が耳に痛い。
人混みが苦手なマリアにとって、それだけで呼吸が浅くなる場所だった。
ナツメは少し早めに着いて、落ち着かないままスマホを見ていた。
メッセージ通知。
『ごめん、今日仕事入った』
アキラからだった。
『二人で行ってきて〜』
文の最後に、やたら軽い絵文字がついている。
「……あいつ、絶対わざとだろ」
ナツメは小さく呟いた。
先日まで「私も行こうかな」と言っていたくせに。
でも、その気遣いにも気付いてしまう。
途端に緊張してくる。
「いや別に、そんなんじゃ……」
誰に言い訳しているのか分からないまま、ナツメは耳を掻いた。
その時。
「……ナツメ」
振り向くと、マリアが立っていた。
白いシャツに薄いカーディガン。
栗色の髪を少し整えている。
マリアなりに頑張って、外に出てきたのが分かる格好だった。
ナツメの胸がどくりと高鳴る。
「おう」
思わず変な声が出た。
それにマリアは気付かないふりをする。
「アキラ、今日来られないんだって」
「らしいな」
「残念だね」
「……まあ、あいつ忙しそうだし」
本当は少しだけ、安心していた。
二人きりだ。
そう思っただけで落ち着かない。
だが、歩き始めて数分後。
マリアの足取りが少しずつ遅くなった。
人が多い。
すぐ近くを通る声。
ふらついて、ぶつかりそうになる肩。
人の声、電子音、駅のアナウンス。
マリアは無意識に、震える指で自分の腕を掴んでいた。
「……マリア?」
ナツメが気付く。
「だ、大丈夫」
声がこわばっていた。
本当は、大丈夫じゃない。
このまま人の流れに飲まれたら、消えてしまいそうだった。
すると。
ふいに、そっと手を掴まれた。
マリアが目を見開く。
ナツメの手だった。
少し大きくて、あたたかい。
ナツメ自身も緊張しているのか、指先の力が少し強かった。
「……私がいる」
低い声。
「大丈夫だ」
まっすぐな言葉だった。
ただそこにいる、と伝える声。
マリアは小さく息を吸った。
それを確認して、ナツメがゆっくり歩き出す。
なるべく人混みを避けるように。
マリアを引っ張りすぎないように。
迷子の子どもを導くみたいに、優しく。
マリアも、その手を振り払わなかった。
ナツメの手の温度だけに意識を向ける。
すると不思議なくらい、周囲の音が遠くなった。
「……ごめん」
マリアが小さく言う。
「何が」
「止まっちゃって」
「別に」
ナツメは前を向いたまま答える。
「今日は花だけ買いに来たんだし。急ぐ必要ないだろ」
その言葉に、マリアは少しだけ眩しそうに目を細めた。
目的地の花屋は駅の近くにある、大きな店だった。
ガラス扉を開けると、涼しい空気と花の香りが流れてくる。
その瞬間、マリアは自然と深呼吸していた。
「……綺麗」
ぽつりと呟く。
白い花。
黄色い花。
淡いオレンジ。
店内は静かで、今はちょうど人も少なかった。
ナツメはようやく手を離す。
離れた瞬間、指先が少しだけ心許なくなった。
マリアは、その感覚に自分で驚く。
「で、どれにする?」
色とりどりの花を眺めながらナツメが問う。
「……優しい感じがいい」
マリアは淡いオレンジの花を見つめながら言った。
「幸せになってね、って感じの」
その声は柔らかかった。
弟の話をするときのマリアは、以前よりずっと穏やかだった。
昔は家族の話さえ口にしなかったのに。
ナツメは横顔を見る。
マリアは真剣に花を選んでいた。
白いトルコキキョウを見て、小さな黄色いバラと比べて、時々困ったように首を傾げる。
オレンジのガーベラを手に取って、間近で見つめている。
花を抱えた横顔から、ナツメは目を離せなかった。
「これ……どうかな?」
マリアが振り向く。
白と淡いオレンジを中心にした花束だった。
派手じゃない。
でもあたたかい。
祝福みたいな色だった。
「いいと思う」
ナツメは即答した。
「きっと、喜ぶよ」
マリアは少し安心したように笑った。
店を出る頃には、空が少し夕方に近づいていた。
マリアは花束を両手で大事そうに抱えている。
壊れ物みたいに丁寧に。
「……今日は、本当にありがとう」
マリアが言う。
「私一人じゃ、無理だった」
ナツメは返事ができなかった。
花束を抱えるマリアに見惚れていた。
綺麗だと思った。
昔から、ずっと好きだった。
壊れてしまいそうなくらい危うい人なのに、それでも誰かの幸せを願える優しい人だった。
「……ナツメ?」
呼ばれて、ようやく我に返る。
「あ、いや……その花、似合うなって」
「花束が?」
「……持ってる姿、なんかいいなって」
言ってから固まる。
しまった、と思った。
耳まで熱くなる。
マリアは目を丸くしたあと、小さく笑った。
「そうかな」
小さな笑顔は、夕暮れの街並みに自然と似合っていた。




