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三十八歳、触れないまま恋をする〜重すぎる愛と、静かな恋の間で~  作者: ail38


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幕間:後悔

スバルは昔から、家族が嫌いだった。


機嫌次第で怒鳴る父。

世間体ばかり気にする母。

そして、自分が世界の中心だと思っている姉。


特にチズコが嫌いだった。


「私が一番かわいそう」


「私が一番大事にされるべき」


それを本気で信じている女だった。

家族全員が振り回されているのに、本人だけは悲劇のヒロインぶって被害者の顔をする。


けれど、もっと嫌だったのは両親だった。

スバルの成績が悪いとため息をつき、マリアの模試結果を見て笑う。


「さすが、マリアはすごいわねぇ」


「まったく、お前も少しは見習え」


優秀さを比較されるたび、姉のことを正面から見られなくなっていく。


マリアは何も言わなかった。

ただ静かに座っていた。

その態度が、スバルは見下されているようで嫌だった。


――優等生ぶって。


――どうせ、自分だけ特別だと思ってるんだろ。


だから高校に入ると、すぐバイトを始めた。

金を貯めた。

この家から出て、嫌いな家族と離れるために。


そうして高校卒業と同時に、一人暮らしを始めた。


狭いワンルーム、古いキッチン。

安い家賃と比例するように、壁の薄いアパート。

隣の部屋からは、昼間からいかがわしい男女の声が漏れてくる。


それでも、自由になれた。

スバルはそれだけで満足だった。


だから実家に残ったマリアを、どこかで見下していた。


――なんで出ていかないんだ。


――嫌なら逃げればいいのに。


――引きこもるくらいなら、一人暮らしくらいできるだろ。


馬鹿だな、ずっとそう思っていた。


三十歳半ばの冬、久しぶりに実家へ寄った時だった。


母が、いつもの軽い調子で愚痴をこぼした。


「あの子、ほんと困るわ」


マリアのことだった。


「いまだに働きもしないで、情けない」


スバルは聞き流していた。

けれど次の言葉で、思わず手が止まった。


「昔はちゃんと家にお金入れてくれてたのに」


「……は?」


母は当然みたいに言葉を続ける。


「お姉ちゃんの借金も大変だったし、あの頃は助かったのよぉ」


スバルは眉をひそめた。


「……それって、どれくらい?」


「え、全部よ?」


「全部?」


「給料全額、渡してくれたわ」


一瞬、意味がわからなかった。


「はあ?」


動揺して、思わず聞き返す。

母は不思議そうな顔をしていた。


「だって生活費とか返済とか、あなたの学費だって必要だったでしょ?」


「……じゃあマリア姉ちゃん、自分の金、なかったのか?」


「実家暮らしだったんだから、そんなの必要ないじゃない」


その瞬間、スバルの頭の中で、繋がったものがある。

バイト禁止の進学校。

就職してからは給料を全部実家へ。


自分みたいに金を貯めて家を出るなんて、最初からできなかったのかもしれない。

そこまで考えたところで、スバルは黙り込んだ。


マリアはいつも静かで、文句を言わないから。

勝手に「余裕がある側」だと思い込んでいた。

優等生で、親に愛されていて、自分より恵まれていると。


でも違った。

マリアが笑っているところを、最後にいつ見たのか思い出せなかった。


スバルは、急に吐き気みたいなものを覚えた。

自分が昔言った言葉を思い出したからだ。


『逃げればいいじゃん』


『どうせ、甘えてるだけだろ』


電話越しに、そう言ったことがある。


マリアはその時、少し黙ってから、


『……そうだね』


とだけ答えた。

反論しなかった。


スバルはきつく唇を噛んだ。

三十過ぎになって、ようやく理解した。


自分は勝手に、姉のほうが弱い人間だと思っていた。


その日の帰り道。

スバルは珍しく、マリアにメッセージを送った。


『……今度飯でも行く?』


数時間後。

返事は短かった。


『ごめん、まだ人と会うの苦手』


それだけだった。

でも最後に、小さく続いていた言葉がある。


『誘ってくれてありがとう』


スバルはスマホを見つめたまま、しばらく動けなかった。

昔の自分なら、その一文すら「感じ悪い」と思っていたかもしれない。


けれど今は違う。


スバルは駅前のベンチに座り、深く息を吐いた。

胸の奥が、鈍く痛んだ。


ベンチの冷たさが、胸の痛みまで奪ってくれればいいのに。

スバルはふと、そう思った。

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