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三十八歳、触れないまま恋をする〜重すぎる愛と、静かな恋の間で~  作者: ail38


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ユリカルート:あなただけが欲しくて、もう待てなかった3

夜の住宅街は静かだった。

ユリカは、マリアのアパートの前に立っている。


――会わない方がいい。


その言葉を思い出すたび、胸の奥が黒く煮えていく。

どうしてまた、自分だけが拒絶されるの。


ナツメとは会うのに。

自分は、こんなにマリアだけを見て生きているのに。


ユリカは唇を噛み、アパートの階段を上がった。


返していない合鍵が、ポケットの中で冷たい。

駄目だとわかっていた。

けれど、もう止まれなかった。


部屋に入ると、薄暗い空気が肌にまとわりつく。


薬の匂い。

閉め切ったカーテン。


マリアは布団の上でぼんやり座っていた。


「……ユリカ?」


かすれた声。

驚きより、疲労の方が強かった。


ユリカはその顔を見た瞬間、泣きそうになる。


「どうして、ここに」


「マリアに会いたかったから」


「……帰って」


「嫌」


即答だった。

怯えたマリアが目を伏せる。

その弱々しい仕草のせいで、ユリカはさらに止まれなくなる。


「私、頑張ったんだよ」


靴も脱がずに距離を詰める。


「ちゃんと働いて」


「普通の大人になって」


「マリアに認めてもらえるように」


声が震える。


「なのに、なんでいらないみたいに言うの」


マリアは悲しげに眉を寄せた。


「ユリカ……」


「私にはマリアしかいないのに」


沈黙。

それが肯定に見えてしまった。


ユリカはマリアの手を掴む。

冷たくて、骨の感触がする。


「もう、離さないから」


「やめて」


「嫌だ」


ユリカは笑う。

泣いているみたいな笑顔だった。


ユリカはマリアの手を強く握った。

ユリカの片手で掴んで指が余るほど、細い手首。


「ねえマリア」


「……やめて」


マリアの肩が震える。


「私は……そういうの、無理」


「無理じゃない」


ユリカは言い切る。


「マリアは、誰かに必要とされないと生きられないでしょ」


マリアは人形のような顔をしていた。


その夜から、ユリカはマリアの部屋へ毎日通い続けた。


「お風呂、今日はいい……」


「駄目。入らないと」


「……寒い」


「すぐ終わるから」


食事を作る。無理矢理食べさせる。

薬を飲ませる。嫌がっても口移しで飲ませる。

洗濯をする。体力がなくても毎日お風呂に入らせる。


「今日は食べられてえらいね」


ユリカが口元についたスープを指で拭う。

マリアは、何も言わない。


「最近ちゃんと眠れてるね」


「マリアが安心できて、私も嬉しい」


拒まれない日が続くたび、ユリカは少しずつ安心していった。

マリアは、食事の途中でぼんやり止まることが増えた。

スプーンを持ったまま、しばらく動かない。

口に運んでも、飲み込むまで時間がかかる。


ユリカはそれを見ているだけだった。


「大丈夫」


何度も言う。


「私がいるから」


そんなある日。


ナツメから着信が来た。

マリアのスマホが鳴っている。

ユリカは画面を見つめ、静かに電源を落とした。


「……もう、いらないよね」


着信履歴からナツメの名前を消して、ようやく息ができた。


最近、マリアは笑わなくなった。

それでもユリカは、静かな部屋に安心していた。


冬の終わり。

外は雪が降って、世界が白く染められていた。


ユリカは仕事を終え、急いで帰宅する。

マリアに会いたかった。


扉を開ける。

朝につけたままの、暖房の音だけがしていた。


「マリア?」


返事がない。

寝室へ向かう。

カーテンの隙間から、灰色の光が差し込んでいた。


マリアは床に座っていた。

壁にもたれたまま。

その足元には、空になった大量の薬のシート。


「……え」


ユリカの思考が止まる。


駆け寄って、指先に触れる。

冷たい。


「マリア?」


声が酷く震える。


「ねえ」


揺らしても、反応はない。


マリアの顔は、妙に穏やかだった。

苦しそうではなかった。

久しぶりによく眠っているように見えた。


ユリカはマリアを腕に抱いたまま崩れ落ちる。


「違う……」


涙が落ちる。


「こんなの、違う」


欲しかったのは、こんな結末じゃない。


部屋は静かだった。

雪が降っている。

誰も来ない。


ユリカはマリアの手を握りしめたまま、声を殺して泣いていた。


握った指は、もう握り返してこなかった。

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