ユリカルート:あなただけが欲しくて、もう待てなかった1
※本ルートは他ルートと比べて重い内容を含みます。バッドエンドが苦手な方はご注意ください。
朝四時。
ユリカは職場の休憩室で、紙コップのコーヒーを飲んでいた。
窓の外はまだ暗い。
夜勤明けの老人ホームは静かで、消毒液の匂いだけが漂っている。
「おつかれ、ユリカちゃん」
年配の先輩が笑いかける。
「先輩も、お疲れさまです」
自然に頭を下げる。
学生時代より、随分うまく笑えるようになったと思う。
利用者の名前を覚えるのも早く、すぐ打ち解けて笑顔で会話する。
食事介助も丁寧だし、怒鳴られても決して感情的にならない。
誰かの乱れたシーツを直している時だけ、少し安心する。
「ユリカさんって、本当に真面目だよねえ」
そう褒められるたび、ユリカは胸の奥で思う。
全部、マリアのおかげだと。
「大丈夫ですよ」
そう言う声だけが、やけに自然に出る。
ロッカーを閉めた瞬間、スマホを探してしまう。
連絡はない。
会わないと約束したのは、自分なのに。
ユリカは唇を噛む。
ーーなのにマリアは、ナツメとは会ってる。
それを思い出すだけで、胸の奥が黒く濁る。
公園のベンチ。
マリアの隣に座る女。
自分が必死に距離を置いている間に、ナツメはマリアの近くにいる。
ナツメの名前を思い出すたび、手に持った紙コップが少し潰れた。
「……ユリカさん」
声をかけられ、顔を上げる。
同じフロアの先輩だった。
二十代後半くらいの穏やかな男性。
「あ、はい」
「ちょっと話いいかな」
施設裏の自販機前。
夜明け前の空が白み始めている。
先輩は少し困ったように笑った。
「急にごめんね」
「いえ」
「ユリカさんのこと、前から素敵だなって思ってて」
ユリカは固まる。
「仕事に対する丁寧な姿勢が好ましくて……その、惹かれていきました」
真面目な声だった。
軽い冗談でも、遊びでもない。
ユリカは視線を落とす。
いい人だと思う。
優しいし、誠実だ。
こういう人と付き合えば、きっと楽なんだろうと思った。
それでも思い出すのは、布団の中の細い背中だった。
「……ありがとうございます」
ユリカは小さく頭を下げる。
「でも、ごめんなさい」
「そっか」
「私、好きな人がいるので」
先輩は少しだけ寂しそうに笑った。
「そりゃ勝てないな」
ユリカは曖昧に笑うしかなかった。
そう、勝てない。
誰にも。
断ったあとも、罪悪感より先にマリアの顔が浮かんだ。
数日後、ユリカは思い切って公園へ向かった。
マリアが病院帰りに立ち寄る日だった。
ベンチには、珍しく一人で座っている。
風に揺れる栗色の長い髪。
細すぎる肩。
公園の自販機に目が向く。
けれど何も買わなかった。
「……マリア」
マリアが振り返る。
「あ、ユリカ」
その声だけで泣きそうになる。
「久しぶり」
「うん」
ユリカは隣に座った。
少し距離を空けて。
ユリカは自分の膝を握る。
マリアが静かに言う。
「仕事どう?」
「普通」
「大変?」
「まあ……でも、向いてるかも」
「そっか」
マリアは少しだけぎこちなく笑う。
「今日はちゃんとご飯食べた?」
「一応」
「嘘、何も食べてないでしょ」
「……水は飲んだ」
マリアは困ったような顔で答える。
その顔を見た瞬間、ユリカは思わず言っていた。
「この前、告白されたの」
マリアが目を丸くする。
「えっ」
「職場の人」
「……へえ」
マリアの口元が、少しやわらいだ。
「それって、ユリカがちゃんとした大人になれたってことじゃないかな」
喉の奥が、変なふうに熱くなる。
マリア以外を好きになれないのに。
マリアは、ユリカが誰かに求められることを喜んでいる。
でも。
褒められたことが嬉しかった。
子供みたいに。
「断ったけどね」
「そっか」
「いい人だった」
「うん」
「でも、無理だった」
マリアは何も言わない。
ユリカは俯く。
その沈黙に、耐えきれなくなる。
気付けばユリカは、マリアに抱きついていた。
細い身体。
柔らかい髪の匂い。
マリアといると一瞬で、幼い頃に戻ってしまう。
「……っ」
だが次の瞬間、ユリカは我に返って離れた。
「あの、ごめんなさい!」
声が裏返る。
「また……やった……」
マリアは驚いた顔でユリカを見ていた。
ユリカは震えていた。
「私、ちゃんと距離守るって決めたのに……」
涙が滲む。
マリアはそれからもしばらく黙っていたが、やがて静かに尋ねた。
「……今でも、私に執着してるの?」
ユリカは唇を噛む。
そして、はっきりと言う。
「してるよ」
「私には、マリア以外との未来なんてありえない」
風が吹く。
マリアの髪が軽く揺れる。
ユリカは続けた。
「触れられなくても、嫌われても」
声が震える。
「それでも私は、マリアが好き」
マリアは何も言わなかった。
ただ、少し苦しそうに目を伏せる。
ユリカはその表情を見て、涙を流す。
また、この人の負担になった。
「好き」が喉の奥で止まらなかった。
沈黙の中、公園の木々が揺れている。
遠くで子供の笑い声がした。
マリアは長い時間をかけて、小さく息を吐く。
「……そういうところ、変わらないね」




