アキラルート:眠れないあなたの隣で1
雨上がりの公園は、湿った土の匂いがした。
古びたベンチに座るナツメは、落ち着かない様子で缶コーヒーを指先で回していた。
「……来るかな」
隣に立つアキラが、静かに空を見上げる。
「来るよ。マリア、律儀だから」
そう答えた声は、思ったより弱かった。
ナツメは、自分が緊張していることを認めたくなかった。
ベンチの背もたれに深く沈んだまま、アキラの横顔を見ないふりをした。
ナツメは缶コーヒーを開けかけて、やめた。
今日は、自分が話す日じゃない。
やがて、公園の入り口に細い影が現れる。
黒いパーカー。
青白い顔に、痩せた肩。
手ぐしで整えただけの栗色の髪が背中で揺れていた。
マリアは二人を見つけた瞬間、立ち止まった。
「……え」
アキラが小さく手を振る。
「久しぶり、マリア」
マリアの呼吸が止まる。
視線が揺れる。
逃げるように後ずさる。
「なんで……」
かすれた声。
「なんで、アキラがいるの……」
ナツメが立ち上がる。
「ごめん。病気のこと話して、私が呼んだ」
その瞬間、マリアの顔色が変わった。
「っ……ぁ……」
マリアは、息を吸おうとして失敗した。
「あ、あぁ……っ」
「見ないで」
涙混じりの声だった。
「こんなの……違う……こんなの、私じゃ……」
過呼吸。
息が吸えない音がする。
ナツメは慌てて駆け寄った。
「マリア!」
触れようとした瞬間、マリアが怯えた目をする。
伸ばしかけた手が、中途半端に止まる。
けれどすぐに飲み込む。
今はそんな場合じゃない。
「大丈夫、大丈夫だから。ゆっくり息して」
アキラもしゃがみ込む。
けれど、あえて触れなかった。
「マリア、聞いて」
長い髪が顔を隠して、マリアの表情が見えなくなる。
「もう、無理しないで」
マリアがこぼした涙が地面に落ちていく。
拒むように、首を振る仕草。
「嫌……」
「嫌だ……」
「アキラには……綺麗な私だけ、覚えててほしかった……」
その言葉に、アキラは少しだけ目を伏せた。
「いや、正直ちょっとびっくりしてるけどね」
アキラは困ったように笑った。
「でも」
「私、別に昔のマリアと比べたりしないよ」
「やめて」
「苦しい、苦しい、苦しい……」
ナツメは眉を寄せながら背を撫でる。
マリアの涙が止まらない。
「マリア、ゆっくりでいいから、聞いて」
アキラがなだめるように声をかける。
「からだ、重い、しんどい……」
「痛い、苦しい……」
涙でぐちゃぐちゃの顔が、僅かにアキラの方を向く。
アキラは苦笑していた。
「私のSNS、見たでしょう?」
マリアの肩がびくりと震える。
「うん、……ごめん」
「別にいいよ。でもあれ、かなり盛ってる」
ナツメが思わず目を瞬く。
アキラはベンチに腰掛け、空を飛ぶ鳥を見上げた。
「仕事、普通に失敗ばっかだし。毎日辞めたいし、しんどい」
「読書してる写真載せてる時も、実際は全然読んでなかったり」
マリアは唇を震わせる。
「でも私は……」
「こんな私、見せたくなかった」
「いや、びっくりはしたけど」
アキラは膝に肘を乗せたまま言った。
「そんな顔してる時点で、無理してるの分かるし」
「マリア、今すごく苦しいんでしょ」
マリアの目からまた涙が落ちる。
「でも、嫌われる」
「……嫌う理由なくない?」
すぐに答えを渡されて、マリアは逆に困惑した。
「……なんで」
「友達だから」
「私も普通にメンタル終わってる日あるし?」
アキラは昔みたいに、肩を揺らして笑った。
「マリアの苦しみに気付けなくて、ごめん。許してくれるなら、また仲良くできるかな」
本当は、会ったら終わりにするつもりだった。
昔のままのアキラを見たら、たぶん耐えられないと思っていた。
なのに、アキラの苦しみを知って、死ねなくなった。
「友達」の一言が、喉に引っかかった。
「……わかんない」
マリアは泣きながら呟いた。
「どうしたらいいか、わかんない……」
ナツメは少し離れた場所で、その姿を見ていた。
マリアがアキラを見るたび、胃の奥が重くなる。
なのに、さっきより呼吸は落ち着いていた。
「マリア、とりあえず涙拭けよ」
本当は鼻水も拭けと言いたかったけれど、その言葉は飲み込んだ。
夕暮れの公園に、湿った風が吹く。
鼻をすするティッシュが、風に揺れて飛ばされそうだった。




