今さら、あなたと13
春になっても、マリアは夜になると暖房を切れなかった。
眠れない夜は続いている。
薬を飲んでも、朝方まで天井を見つめる日が多かった。
それでも以前と違うことがある。
病院の帰り、公園のベンチに行けばナツメがいる。
気づけばマリアは、病院の日以外でも公園へ向かうようになっていた。
「おつかれ」
缶コーヒーを片手に現れるナツメは、昔と変わらず無愛想だった。
「……今日、病院混んでた」
「顔見りゃわかる。疲れてんな」
そう言いながら、ナツメはマリアの隣に座る。
距離は近すぎない。
けれど遠くもない。
肩は触れない。
でも、立ち上がればすぐ届く距離だった。
ナツメは缶を傾ける。
「今はこうして話す時間、増えたけど」
「卒業してから、一回も会わなかったもんな」
「……うん」
「何度も連絡しようとしたけど、連絡先も聞いてなかったしな」
「……それは、ごめん」
「いい、私も聞く勇気がなかった」
社会人になっても、ずっと気にしていた。
どんなに忘れようとしても、無理だった。
今のナツメは、無理に救おうとはしない。
ただマリアの意思を尊重していた。
ナツメは、帰りたい日は引き止めなかった。
それを、マリアはちゃんと覚えていた。
ある日、マリアはぼんやりナツメの横顔を見ていた。
ナツメは缶コーヒーを飲みながら、なんとなく空を眺めている。
「……ナツメ」
「ん?」
「再会してから、無理に話しかけたり聞いてこないね」
ナツメは少し黙った。
「昔、失敗したから」
「失敗?」
「守りたいとか助けたいとか、私が勝手に焦ってた」
淡々とした声だった。
「でもさ、苦しい時に踏み込まれるのって、余計苦しい時あるだろ」
マリアは何も言えなかった。
「だから今は、マリアが話したいことだけ聞くから」
風が吹いて、桜が少し散った。
「……変なの」
「何が」
「普通、もっと色々聞くでしょ」
「普通とか知らねぇし」
その言葉に、マリアの胸が少しだけ熱くなった。
再会してからのナツメはいつもそうだ。
「……私、やっぱりナツメに甘えすぎてる」
「別にいいだろ」
「よくない」
マリアは小さく呟く。
ナツメはしばらく黙っていた。
それから低い声で言う。
「……言っただろ」
「遠慮すんなって」
ナツメは青い空を見上げながら続ける。
「……遠慮される方が困る」
「え?」
ナツメは咳払いした。
「だから、来たい時はいつでも来いよ!」
耳が少し赤い。
マリアは少しだけ目を丸くした。
そんな顔をするんだ、と不思議に思った。
ナツメは昔から落ち着いていた。
大人びていて、あまり動揺しない人だった。
だから今の反応が、妙に新鮮だった。
ナツメは誤魔化すように缶コーヒーを口に運ぶ。
アキラの名前が出るたび、もう遅いんだと思っていた。
アキラを選ぶなら、それでいいと思っていた。
マリアが幸せなら、自分は離れようと。
でも実際は、会うたびに惹かれていく。
そんなある日。
病院帰りの公園で、マリアは珍しくいつもより落ち着いていた。
ベンチに並んで座り、ぼんやり夕焼けを見ている。
「今日、薬変わった」
「副作用平気そう?」
「まだわかんない」
「そっか」
そのときマリアはふと、ナツメの手を見た。
大きい手だった。
骨ばっていて、指が長い。
「……ナツメ」
「ん?」
「手、出して」
「……なんで」
「いいから」
ナツメは怪訝そうに眉を寄せながら手を差し出した。
マリアはそっと自分の手を重ねた。
指先が触れた瞬間、ナツメの肩が跳ねた。
「……っ」
あたたかい。
マリアはぼんやり思った。
自分よりずっと大きい。
「手、大きいね」
マリアが呟く。
ナツメはしばらく黙ったあと、ぶっきらぼうに答えた。
「……昔ピアノ習ってたから」
「へえ」
「指広げる癖ついてんだよ」
声が少し変だった。
マリアが顔を上げる。
ナツメは耳まで真っ赤になっていた。
「……ナツメ?」
「見るな」
「なんで」
「いいから」
明らかに動揺している。
マリアは少し目を瞬いた。
それから、ほんの少しだけ笑った。
「ふふ」
その笑い声に、ナツメはさらに赤くなる。
ナツメは桜を見て、呼吸を落ち着けようとする。
嫌がられていない。
怖がられていない。
その事実だけで、胸がいっぱいになる。
ナツメは必死に平静を装いながら、風に揺れる桜を眺めた。
夕焼けが薄紅の花弁を少しだけ赤くしていた。
隣ではマリアが、まだ少しだけ手を重ねている。
ナツメの指が、ほんの少しだけ動く。
でも、結局そのまま止まった。
マリアが自分から手を離すまで、待つ。




