今さら、あなたと7
夕暮れの駅前で、マリアはアキラと別れた。
「じゃあ、またね」
そう言われて、マリアは一瞬だけ返事が遅れた。
マリアは笑顔を崩さないまま頷いた。
「うん、また」
嘘みたいだった。
「また」という約束なんて、もうずっと縁のない言葉だった。
アキラが手を振って人混みへ消えていく。
その背中を見送って、駅のトイレに駆け込む。
個室の鍵を閉めた瞬間、膝から力が抜けた。
呼吸がうまく続かない。
鏡に映った自分は、化粧が崩れていた。
青白い顔。
落ち窪んだ目。
「……酷い顔」
でもアキラは気づかなかった。
……いや。
本当にそうだろうか。
マリアは急に不安になった。
最後、アキラは何度かこちらを見ていた。
言葉を選ぶみたいに黙る瞬間もあった。
もしかして。
気づかれていた?
怖くなった。
こんな自分を知られたくない。
可哀想だと思われたくない。
でも本当は。
「大丈夫?」
もしあの時そう聞かれていたら、たぶんマリアは泣いていた。
矛盾した感情が胸を掻き回す。
マリアはスマホを開く。
アキラとの短いメッセージ履歴。
『久々に会えて嬉しかった』
その文字を見ただけで涙が滲んだ。
マリアが泣いていた頃、アキラは帰宅途中の電車の中でぼんやり窓を見ていた。
マリア。
中学時代、隣で静かに本を読んでいた少女。
でも今日再会したマリアは、何かがおかしかった。
痩せすぎている。
笑顔が不自然。
会話の途中で何度も意識が遠のくみたいに黙る。
それに、目。
あれは普通に疲れてる人間の目じゃなかった。
目が合うたび、どこか別の場所を見ている感じがした。
でも踏み込めなかった。
再会したばかりの相手に、何を聞いていいのかわからなかった。
だから気づかないふりをした。
マリアが必死に笑っているのがわかったから。
アキラはスマホを開く。
迷った末、ある名前を検索した。
――ナツメ。
中学時代、いつもマリアの近くにいた女子。
男っぽい喋り方で、少し近寄りがたいけれど、不思議と面倒見がよかった。
連絡先は昔SNSで繋がったままになっていた。
アキラはしばらく悩んでからメッセージを送る。
『久しぶり。今日マリアに偶然会った』
数分後。
既読。
すぐ返信が来た。
『……へえ』
短い。
アキラは続ける。
『なんかかなり痩せてたけど、大丈夫なの?』
返信まで少し間が空いた。
ナツメはコンビニ帰りだった。
アキラの名前を見た瞬間、眉を顰める。
昔から知っていた。
恋愛とは少し違う。
でも、アキラの隣ではマリアの呼吸はとても穏やかだった。
そして今。
マリアが最近誰かに会いたがっていたことも、ナツメは気づいていた。
服を整え始めたこと。
無理して外へ出ていること。
スマホを見る時間が増えたこと。
全部。
――アキラのためか。
胸の奥が冷たくなる。
雨の日の公園のベンチ。
食べられなかった日のコンビニゼリー。
夜中の電話。
そんな記憶ばかり浮かぶ。
マリアが会いたかったのは、自分じゃなくてアキラだった。
そんなこと、とっくに知っていたはずなのに。
ナツメはスマホを強く握る。
アキラからまた通知。
『何か重い病気なの? 知ってる?』
ナツメは立ち止まる。
夜風が冷たい。
知っている。
うつ病。
不眠症。
希死念慮。
何度も消えたいと言っていたこと。
薬を飲みすぎた夜。
泣きながら「誰もいらない」と言ったこと。
全部知っている。
でも。
指が動かなかった。
アキラにだけは知られたくなかった。
中学の頃、マリアが一番静かな顔をしていた相手。
自分だけが知っている痛みでいてほしかった。
アキラにだけは、触れてほしくなかった。
ナツメはしばらく画面を見つめたあと、一度スマホを閉じる。
少し目を閉じてから、再びスマホを開いて短く打ち込んだ。
『知らない』
送信。
すぐ既読がつく。
アキラはその返信を見つめた。
嘘だ。
そんな気がした。
ナツメは知っている。
たぶん、ずっと前から。
でも言わない。
アキラは小さく息を吐く。
『そっか。ならいい』
それだけ送る。
会話は終わった。
ナツメはスマホをポケットへ押し込む。
胸の奥がざらつく。
コンビニ袋を持つ手に、少し力が入った。
昔からわかっていた。
マリアが本当に会いたがる相手は、たぶん自分じゃない。
ナツメは夜空を見上げる。
「……最低だな」
誰に向けた言葉か、自分でもわからなかった。
暗い部屋の中では、マリアがスマホの通知履歴を辿っていた。
アキラの履歴を見た後、ナツメからの履歴も覗いてみる。
『弁当持ってく』
短い言葉が目にとまる。
「次の約束、か……」
来月も、ナツメはあのベンチにいるのだろうか。
そんなことを、ふと考えてしまった。
ついさっきまで、自分にはその先なんてないと思っていたのに。




