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三十八歳、触れないまま恋をする〜重すぎる愛と、静かな恋の間で~  作者: ail38


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今さら、あなたと3

月に一度だけ、マリアは外に出る。

病院へ行く日だ。


それ以外は、ほとんど部屋で過ごしているらしい。

昼夜は逆転していて、朝方にようやく眠ることも多いという。

食事も不規則で、コンビニのおにぎり一つ食べられない日もあるらしかった。


病院帰りのマリアは、いつも少し薬の匂いがした。


ナツメは、その病院の近くの公園のベンチでマリアと会うようになった。


再会は偶然だった。

だからこそ、ナツメはしばらく信じられなかった。


中学の頃のマリアは、廊下を歩くだけで目立つ人だった。

男子も女子も、気づけば彼女を見ていた。

それなのに今は、独りぼっちで世界から消えてしまいそうだった。


ナツメは緊張しながら、ベンチにいる彼女に声をかける。


「……マリア?」


マリアはゆっくり顔を上げる。


「なに……?」


ぼんやりとした返事。

けれどナツメは笑った。


「久しぶり」


「うん……」


反応は薄い。

マリアは少し考えるように目を伏せたあと、小さく頷いた。

それでもナツメは、それ以上踏み込まなかった。


「病院帰り?」


マリアは小さく頷く。


「……そう」


「無理して喋んなくていいから」


その日、会話は三分で終わった。

でも別れ際、ナツメは言った。


「またな」


マリアは返事をしなかった。


けれど翌月、また病院近くの公園のベンチにマリアがいた。

ナツメは缶コーヒーを二本買って、片方を差し出した。


「飲む?」


「……甘いやつがいい」


「じゃあこっち飲め」


マリアは缶を受け取る。

昔から、甘いものしか飲まなかった。

缶を両手で持ったまま、マリアはほんの少しだけ肩の力をぬいた。


マリアと会うたび、ナツメは自分に言い聞かせていた。

急がない。

昔みたいに、勝手に踏み込みすぎない。


今でもマリアのことが、誰より大切だったから。


中学生の頃、自分は失敗した。

守りたかったのに、守っているつもりでいただけ。


「大丈夫?」と聞かれるたび、マリアは困った顔をしていた。

あの頃のナツメは、その理由が分からなかった。


だから今度は違う。

ただ、怖がらせないように側にいる。

それだけを決めていた。


ある日、マリアはぽつりと聞いた。


「……なんで会うの」


「ん?」


「私と話しても、楽しくないでしょう」


ナツメは少し考えてから答えた。


「別に楽しさ求めてねぇし」


「……変なの」


「よく言われる」


マリアは視線を落とした。


「私、人と会うの苦手」


「知ってる」


「怖いし……疲れるし」


ナツメはすぐには返事をしなかった。


慎重に言葉を選ぶ。


「私はマリアと話すの、楽しくて好き」


マリアは何も答えなかった。

でもその日、初めて「またね」と言った。


少しずつだった。

本当に少しずつ、会話が続くようになる。


病院で待ち時間が長かったこと。

最近また眠れないこと。

夜中に急に泣いてしまうこと。


ナツメは何も否定しなかった。


「つらいね」も、「頑張ってるね」も言わなかった。

つらくて、頑張って、そうしてマリアは壊れたから。


時々相づちをうって、ただ聞いた。

マリアは、言葉を押し付けられるのが嫌いだと知っていた。


冬の終わり頃。

いつもの公園で、二人は缶スープを飲んでいた。


マリアが突然言った。


「……思い出した」


「何を?」


「中学のとき」


ナツメは黙る。


「あの日、ペンキまみれになった、美術部のみんな」


「おう、思い出したか」


「ぼんやりと、だけど」


マリアは苦しそうに眉を寄せた。


「でも、途中から記憶が曖昧なの」


「無理して思い出さなくていい」


「……ごめん」


「謝んな」


ナツメはそう言って、缶を揺らした。


「全部を覚えてなくても、私は別にいい」


それは本心だった。


もしマリアから感謝されたら、これ以上ないほど嬉しい。

でも恋人になりたいのかと聞かれたら、ナツメはうまく答えられなかったと思う。


ただ、病院帰りのこの時間が、来月もなくならなければいいと思っていた。

夜になるたび、どこかへ消えてしまいそうな人だった。

独りにしたくなかった。


マリアは長い沈黙のあと、小さく聞いた。


「なんでそんなに優しいの」


ナツメは笑った。


「優しくしてるつもりねぇけど」


「嘘」


マリアは小さく息を吐く。


「……ナツメって、不思議」


「どこが」


「近づきすぎない」


ナツメは少し笑った。


「近づきすぎると、お前逃げるだろ」


その瞬間。

マリアはほんの少しだけ、泣きそうな顔をした。


「……覚えてたんだ」


「そりゃ覚えてる」


中学生の頃。

心を閉ざしたマリアは、優しさからも逃げた。


ナツメは追いかけなかった。

追いかければ壊れると思った。


だから離れた。

ずっと後悔していた。

今でも。


けれど今、ようやく隣にいられる。

会う度に、少しずつ会話が増えていく。

月に一度だった時間が、二度になって、「今日眠れた」が聞ける日が増えるだけでよかった。


「おつかれ、マリア」


もう声をかけるのに迷いはない。


春の風が吹く。

ベンチの端に置かれた缶コーヒーが、少しだけ触れ合って鳴った。

マリアはその音を聞きながら、小さく目を細めている。


次の通院日は、もうナツメも覚えていた。

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