あなたが残ったまま2
ナツメは、朝起きた瞬間に思う。
――マリアに会いたい。
それはもう、癖みたいなものだった。
目を開けるよりも先に、その名前が浮かぶ。
好きだ。
好きだ、好きだ、好きだ。
声に出すことはない。
ただ胸の奥で、何度も何度も繰り返す。
鏡の前に立つ。
短い髪、広い肩、がっしりした体つき。
制服はきちんと着ているのに、どこか「女の子らしさ」からは遠い。
――また言われるかもしれないな。
男みたい。
ほんとに女?
気持ち悪い。
聞き慣れた言葉を思い出しても、もうあまり顔には出ない。
慣れたわけじゃない。
ただ、いちいち傷ついていたら持たないだけだ。
それでも。
(マリアは違う)
その事実だけで、ナツメは制服のスカートの裾を正すことができる。
教室のドアを開けた瞬間、ナツメは無意識に窓際を見る。
いた。
外を眺めているだけなのに、すぐわかる。
その姿を見た瞬間、張っていた肩の力が少しぬけた。
「おはよう」
できるだけ普段通りの声で言う。
マリアは振り向いて、柔らかく微笑む。
「おはよう、ナツメ」
それだけで、今日一日が少し報われた気がした。
「今日は、朝から体育なんだっけ」
「ああ、国語の先生が出張でいないからって、体育ってなあ」
「朝からは、つらいよね」
体育館への廊下を歩けば、視線を感じる。
マリアに向けられたものと、ナツメに向けられたもの。
前者は甘く、後者は冷たい。
「また一緒にいるよ」
「ほんとにあれ女なの?」
聞こえるように言うやつもいる。
ナツメは気にしないふりをする。
というより、マリアに気づかせないことのほうが大事だった。
少し前に出て歩く。
自然に、壁になるように。
大切だ。
守りたい。
嫌なもの全部遠ざけたい。
美術室は、ナツメにとって唯一、安心できる場所だった。
マリアがとても近くにいるから。
「今日は何描いてるんだ?」
後ろから覗き込むと、マリアは少し困ったように笑う。
「まだ決めてないの」
その曖昧さが、ナツメにはわかる気がした。
決められないんじゃない。
そうじゃないことくらい、ナツメにはわかる。
(言えばいいのに)
そう思うたび、同時にわかってしまう。
――私にも言わないんだ。
それが寂しい。
好きだ。
でも、届かない。
それでもいいのかもしれない、とも思う。
報われたいのか、自分でもよくわからない。
放課後、部室で隣に座る。
マリアの指先が僅かに震えているのに気づいても、触れることはできない。
「ナツメは強いね」
ふとした一言。
ナツメは一瞬、呼吸を忘れる。
それはきっと、褒め言葉だ。
でも。
(……それ、褒められてるんだよな)
そう思った瞬間、胸の奥が嫌なふうに軋む。
自分でも、何を期待してるのかわからなかった。
でも、それ以上を望んでいいのか、わからない。
帰り道、少し後ろを歩く。
マリアの背中を見ながら、浅い呼吸を繰り返す。
もしもこの気持ちを伝えたら、どうなるだろう。
困った顔をされるかもしれない。
距離を置かれるかもしれない。
――失うかもしれない。
それが怖い。
だからナツメは、何も言わない。
家に帰ると、家族がいつも通りに迎えてくれる。
「ナツメはそのままでいいのよ」
母親は昔からそう言う。
ありがたいはずなのに、たまに少しだけ苦しくなる。
誰かに肯定されたいわけじゃない。
ただ――
マリアに言われたら、きっと駄目だった。
そんなはずないのに。
本当は、もっと欲張りなことを考えている。
夜、ベッドに横になる。
目を閉じても、浮かぶのはマリアの顔だけ。
好きだ。
呪文みたいに繰り返す。
この気持ちは、どこにも行き場がない。
それでも、やめられない。
明日もきっと、マリアが好きだと想うだけ。




