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三十八歳、触れないまま恋をする〜重すぎる愛と、静かな恋の間で~  作者: ail38


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あなたが残ったまま1

放課後の中学校の美術室は、絵の具の匂いと静かな話し声が同居する場所だった。


「じゃあさ、部活終わったら校門集合で」


「了解〜」


「この石膏ムズすぎ、りんご描くわ」


マリアはいつもの席で、白いキャンバスを前に筆を止めていた。


「マリアも放課後暇かな」


「……そうだね」


「ダメだ、聞いてないモードか」


描きたいものはあるのに、指先までうまく届かない。


「……また止まってるな」


低く、少しぶっきらぼうな声。

振り向かなくても誰かわかる。


ナツメだった。


彼女は背が高く、影のようにマリアの隣に立つ。

腕を組みながらキャンバスを覗き込むその仕草は、どこか守るようで、どこか距離を測るようでもあった。


「今日は調子悪いだけ」


マリアは微笑む。

いつもの、何も問題がないかのような顔で。


ナツメは少しだけ眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。

ただ、近くの椅子を引いて座り、同じ空間にいることを選ぶ。


その日の帰り道。

マリアは校舎の裏手で、あまり話したことのない女子たちに声をかけられた。


ナツメは少し離れた場所で、その様子を見ていた。

声をかけるでもなく、壁際に寄りかかったまま。


「ねえ、いつもナツメと一緒にいるけど大丈夫?」


「怖くない?おどされたりとかしてない?」


ナツメの胸が、ぎゅっと締めつけられる。


来ると思っていた言葉だった。

何度も陰で聞いた。

笑い声と一緒に、軽く、残酷に。


マリアは少しだけ目を伏せ、それから顔を上げる。


「心配してくれてありがとう。でも大丈夫」


柔らかく、静かな声。


「ナツメは頼もしいの」


女子たちは一瞬言葉を失い、気まずそうに笑って去っていく。


足音が遠ざかるのを聞きながら、ナツメは動けなかった。


頼もしい。

その言葉だけが、妙に耳に残った。


(それだけか)


影の中で、ナツメは残念そうにうなだれる。


頼もしい。

その言葉は嬉しかった。

嬉しかったはずなのに。

胸のどこかが、少しだけ痛かった。


美術室で、マリアが筆を持つ横顔を思い出す。

壊れそうなくらい静かで、触れれば消えてしまいそうで。


だから守りたいと思った。

最初は、それだけだった。

それなのに今は、「頼もしい」と言われただけで苦しくなる。


けれど。


(踏み込んだら、壊す)


それがわかっているから、何も言えない。

マリアはきっと、自分の痛みを誰にも見せない。


だからナツメは今日も、“頼もしい人”でいるしかない。


「……マリア」


誰にも届かない声で、名前を呼ぶ。

返事はない。


それでも、胸の奥には彼女だけが残り続けていた。

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