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三十八歳、触れないまま恋をする〜重すぎる愛と、静かな恋の間で~  作者: ail38


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過去編:彼女は特別だった12、ナツメ視点

その美術館は、思っていたよりも広かった。


白い壁に、整然と並ぶ作品たち。

静かな空気の中で、自分の靴音だけがやけに響く。


ナツメは、一人でそこにいた。


(……来るつもりなかったのにな)


きっかけは、美術部での何でもない会話だった。


「そういえばさ、私第一高校に友達がいてさあ、その学校の一年の子がコンクール入賞したらしいよ」


「へえ、誰?」


「マリアって子。知ってる?」


その名前を聞いた瞬間、時間が一瞬止まった気がした。


知らないわけがない。


中学の頃、ずっと隣にいた名前。

何も言わなくても、そこにいるだけで気になってしまう存在。


(……まだ、描いてるんだ)


気づけば、美術館に来ていた。


理由なんて、後付けでいい。

ただ、マリアが描いたものを見たかった。


そして――


(会わないつもりだったのに)


遠くに見えた集団に、見覚えのある後ろ姿があった。

反射的に、柱の陰に身を隠す。


(なんでいるんだよ……)


いや、いるに決まっている。

入賞した本人なんだから。


わかっていたのに、心のどこかで「会わない」と思い込んでいた。


少しだけ顔を出して、様子を見る。

マリアは、そこにいた。

一瞬でわかった。


髪が少し伸びていて、制服も違う。

それなのに、遠目でもすぐわかってしまう。


変わっていないようで、どこか手の届かない場所へ行ってしまったようにも見えた。


表情は相変わらず薄い。

でも、中学の頃より少しだけ疲れて見えた。


その隣にいるのは、見知らぬ女子。

やたらと距離が近い。


「ね、マリア」


「やっぱ私たちって特別だよね」


聞こえてきた言葉に、ナツメの眉がわずかに動く。

軽い調子なのに、どこか押しつけるような響き。


マリアは黙って絵を見ていた。


「ほんと私がいなかったらさ、マリア危ないよね」


その言葉に、ナツメは思わず眉をひそめた。


(……なんだそれ)


胸の奥がざらつく。

理由は分かっている。

そんなふうに言うな、と。

まるでマリアが一人じゃ立てないみたいじゃないか。


けれど、ただ見ていることしかできない。


マリアは、少しだけ距離を取った。

ほんのわずかの距離。


でもナツメにはわかった。


(嫌なんだろ)


その感覚だけは、昔と変わらない。

何も言わないときほど、内側で拒絶している。


ナツメは、きつく拳を握る。


(なんで、あんなやつが隣にいるんだよ)


苛立ちと、焦りと、どうにもならない感情が混ざる。


けれど――


(……私も、同じだったか)


ふと、思い出す。


「私が守る」


そう思って、勝手に隣にいた。


マリアが望んでいるかなんて、ちゃんと聞いたこともなかった。

ただ、離れたくなかっただけ。

その事実が、少しだけ胸を刺す。


視線を逸らすように、展示の方へ向かう。

そして、マリアの絵を見つけた。


足が止まる。

言葉が出てこない。


(……ああ)


色の重なり。

曖昧で、でも確かに存在している形。

どこか壊れそうで、それでも消えないもの。


それはまるで――


(そのまんまじゃん)


マリアそのものだった。


絵を描いてるときだけ、マリアは少し静かだった。

あの横顔を、急に思い出した。


(ちゃんと、続いてたんだな)


気づいたときには、マリアの絵が少し滲んで見えた。


「……綺麗だな」


笑ったつもりだったのに、声が少し震える。


中学の美術室。

絵の具の匂い。

窓際で黙って絵を描いていた横顔。


(やっぱ、好きだな)


マリアの絵から視線をそらすと、隣には巨大な額縁に収まる絵があった。

作者名はカナタ、知らない名前だった。


ナツメは、柱の陰からもう一度だけ視線を向ける。


マリアが、自分の絵を正面から見ている。

その表情は、ほんの少しだけ柔らかかった。


(……よかったな)


声には出さない。

ナツメは、そのまま背を向けた。


ただ、あの絵が見られただけで満足だった。


目元に滲んだ涙を拭うこともせずに、静かな美術館を歩いていく。


足音は、やっぱり少しだけ響いた。

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