過去編:彼女は特別だった11
その知らせは、あまりにもあっさりと届いた。
「今年のコンクールだけどな、うちの部から二人入賞だ」
顧問の声に、美術室の空気が一瞬止まる。
「三年のカナタと……一年のマリア」
ざわ、と遅れてざわめきが広がった。
マリアは、筆を持ったまま動けなかった。
自分の名前が呼ばれたことが、うまく現実として繋がらない。
「すごいじゃん!」
「マリア、やば!」
周囲の声が遠く聞こえる。
「ね、私言ったじゃん!マリアの絵絶対いけるって!」
「ほら、やっぱり入賞したじゃん!」
一番近くで響いたのはハルミの声だった。
振り向かなくてもわかる。
嬉しそうで、誇らしげで――まるで自分のことのような声。
「なんか私まで嬉しいなあ」
「ずっと近くで見てたからかな」
軽く笑いながら言う。
その言葉に、何人かが微妙に顔を見合わせたのを、マリアは視界の端で捉えた。
(……そういうことじゃない)
思うだけで、口には出さない。
「入賞作品は来月、県立美術館に展示される。せっかくだし、みんなで見に行くか」
顧問の一言で、空気が一気に明るくなる。
「行きたい!」
「絶対行く!」
ハルミもすぐに乗った。
「マリア、一緒に行こ。ていうか当然だよね、主役だし」
主役、という言葉に違和感が残る。
マリアは小さく頷くだけだった。
当日、美術館は思っていたよりもずっと広く、静かで、どこか現実感がなかった。
白い壁。
高い天井。
足音が吸い込まれていくような空間。
その一角に、自分の絵があった。
(……これ、私が描いたんだ)
少し離れた場所から眺める。
額縁に収まったそれは、教室で見ていたものとは違って見えた。
他人の作品みたいだった。
「ほら、やっぱいいじゃん」
隣に立った声。
カナタ先輩だった。
腕を組んで、少しだけ顎を上げながら絵を見る。
「……実感、なくて」
正直に言うと、カナタは小さく笑った。
「まあ最初はそんなもんでしょ。でもさ」
少しだけ間を置く。
「名誉なことなんだから、素直に喜んでおけ」
軽い言い方だった。
でも、不思議と真っ直ぐ届いた。
マリアはもう一度、自分の絵を見る。
色の重なり。
自分が選んだ線。
確かに、自分の中から出てきたもの。
(……ああ)
(嬉しいんだ)
やっと、気づく。
それは大きな感情じゃない。
叫びたくなるような喜びでもない。
でも確かに、「ここにある」とわかる感情だった。
「ほんとすごいよね、この絵!」
その空気を割るように、ハルミの声が入る。
「私もずっと見てたからさ、もう自分のことみたいでさー」
周りの部員たちが、わずかに引いた空気になる。
「いやハルミは入賞してないでしょ」
誰かが小さく突っ込む。
「でもさ、ほぼ一緒じゃん?だってずっと一緒にいたし」
悪びれもなく言う。
マリアは何も言わない。
ただ、少しだけ距離を取る。
「ね、マリア」
ハルミが嬉しそうに笑う。
「やっぱ私たちって特別だよね」
答えは求められていない。
すでに決まっている前提の言葉。
マリアは絵に視線を戻した。
(違う)
心の中でだけ、静かに否定する。
この絵だけは違うと思った。
この絵は、自分が描いたものだ。
誰かと「一緒に作ったもの」ではない。
何枚も描き直した跡も、丁寧に塗り重ねた色も、確かに自分の手で積み上げたものだった。
それが今、ここにある。
「……綺麗だね」
ぽつりと、別の部員が言った。
その一言の方が、ずっと自然に胸に落ちた。
帰り道、柔らかな赤で染められた道をゆっくり歩く。
部員たちはまだ入賞の話で盛り上がっている。
カナタは少し離れたところで、静かに歩いている。
ハルミは相変わらず隣にいる。
「ほんと今日さ、最高だったね。私まで誇らしいもん」
その言葉に、もう何も感じなかった。
(今日は本当に、来て良かったな)
あの瞬間の感覚。
それだけは、誰にも奪われない気がした。
今日感じた嬉しさを、誰にも渡さないように胸の奥へしまい込む。
それを確かめるように、マリアは一歩踏み出した。




