過去編:彼女は特別だった10、ハルミ視点
マリアは、放っておくとすぐにどこかへ行ってしまいそうな人だ。
実際にいなくなるわけじゃない。
ちゃんと教室にも来るし、美術部にも顔を出す。
でも、目の焦点が合っていないときがある。
声をかけても、少し遅れて返事が返ってくるときがある。
そのたびに思う。
(私がいなきゃダメだ)
最初にそれを感じたのは、入学してすぐだった。
男子がやたらとマリアを見ていた。
マリアは気づいているのかいないのか、何も反応しない。
それが余計に危なっかしく見えた。
「ちょっと、見すぎじゃない?」
思わず口に出していた。
男子たちは面倒くさそうに目を逸らす。
そのとき、マリアが小さく「……ありがとう」と言った。
それだけで確信した。
(やっぱり、私が守らなきゃ)
それ以来、自然と隣にいるようになった。
昼休みも、放課後も、美術室でも。
マリアは自分から近づいてこない。
でも、拒絶もしない。
それが答えだと思った。
本当は違うのかもしれない。
けれど、そう思わなければ不安だった。
(嫌なら離れるはずだもん)
だから私は遠慮しない。
「一緒に食べよ」
「隣いい?」
「帰り、途中まで一緒に行こうよ」
全部、当たり前みたいに言う。
マリアはだいたい頷く。
ときどき曖昧な返事をするけど、それでも拒まない。
それが嬉しかった。
マリアの隣にいると、自分が特別になった気がする。
あんなに綺麗で、儚くて、誰にも掴めなさそうな人のそばにいられる。
(私だけが、隣にいる)
そう思うと、安心する。
美術室でマリアが絵を描いている横顔を見るのも好きだった。
「マリアの絵ってさ、なんか儚いよね。そこが好き」
本心だった。
でも同時に、少しだけ不安になる。
(このまま消えたりしないよね?)
だから、言葉にする。
「マリアってさ、ほんと私がいないとダメだよね」
冗談っぽく言えば、重くならないと思った。
マリアは否定しない。
それがまた、肯定に思える。
ある日、ふと口に出した。
「私たちってさ、親友だよね?」
少しだけ間があった。
「……どうだろう」
曖昧な返事。
でも私は迷わなかった。
「だよね。やっぱりそう思う」
言い切った方が、現実になる気がしたから。
(大丈夫。私達ちゃんと繋がってる)
さらに、その先も考えてしまう。
「そのうちさ、もっと深い関係になると思うんだよね、私たち」
未来の話。
少しだけ勇気がいる言葉。
でも、マリアは否定しなかった。
(やっぱり、そうなるよね)
不思議と疑う気にはならなかった。
マリアは言葉が少ないだけ。
感情を表に出さないだけ。
そういう人なんだと思えば、全部説明がつく。
ときどき、マリアの目が遠くを見る。
私が隣にいるのに、どこか違う場所を見ている。
マリアのキャンバスには、まだ何の色も載せられていない。
真っ白のままだ。
(ちゃんと、私の隣にいるよね?)
だから、もっと近づく。
(これって、たぶん愛なんだと思う)
そう思わないと、不安だった。
そうでなければ、どうしてこんなにマリアのことばかり考えてしまうのかわからない。
だから私は今日も、当たり前みたいに隣に座る。
「マリア、今日は一緒に描こうよ」
その言葉に、特別な意味を込めながら。
マリアは少しだけ間を置いて、頷く。
それだけで満たされる。
自分だけは、マリアのキャンバスに色を載せることを許されている。
ハルミはそう信じて疑わなかった。




