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三十八歳、触れないまま恋をする〜重すぎる愛と、静かな恋の間で~  作者: ail38


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過去編:壊れた彼女4

マリアにとって、「普通」は遠いものだった。


けれど、手を伸ばし続ければ、いつか触れられるものだと信じていた。

でも、その「普通」が何を指しているのか、マリアは知らなかった。


中学校でのマリアは、完璧な優等生だった。


授業態度は真面目で、成績は常に上位。

教師の信頼も厚く、クラスメイトからも一目置かれていた。


「マリアなら大丈夫」


「絶対いい高校行けるよ」


その言葉を、何度も聞いた。


マリアは微笑んだ。

それが、正しい反応だったから。


本当のことは、誰も知らなかった。

夜、布団の中で目を閉じても眠れないこと。

理由もなく胸が苦しくなること。


消えてしまいたい、という考えが、静かに、けれど確実に心の奥に居座っていること。


それでも朝になれば起きて、制服を着て、学校へ行く。

「普通」でいるために。


合格発表の日。


掲示板に自分の番号を見つけたとき、周囲が歓声を上げた。


「やっぱり!」


「すごいね!」


教師も、クラスメイトも、皆が祝福してくれた。


その中心で、マリアは微笑んだ。

周りの歓声がやけに遠かった。

ただ、「これでいい」と思った。


卒業式の日。

体育館には、どこか湿った空気が流れていた。


式が終わり、教室に戻ると、あちこちで泣き声が聞こえ始めた。


「卒業したくないよ」


「みんなと離れたくない」


友人たちは涙を流しながら抱き合い、別れを惜しんでいる。


その光景を見た瞬間、マリアの背筋に冷たいものが走った。


――どうして?


胸の奥に浮かんだのは、共感ではなかった。

戸惑いと、わずかな恐怖だった。


マリアにとって、学校は「檻」だった。

毎日同じ時間に起きて、同じ場所へ行き、同じように振る舞う。


笑うタイミング、話す言葉、表情の作り方。

すべてを間違えないように気を張り続ける場所。


少しでも逸れれば、「普通」から外れてしまう。

だから気を抜くことはできない。

息をすることすら、どこか不自然に感じるほどに。


そんな場所を、「離れたくない」と言って泣けることが、理解できなかった。


いや、理解できない自分のほうが、間違っているのかもしれない。

そう思った瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。


マリアは、泣かなかった。

泣けなかった。


ただ、いつものように微笑んでいた。

「またね」と言いながら。


校舎を出ると、春の空気が広がっていた。

少しあたたかくて、やわらかい風が吹いている。


新しい始まりを祝うような季節。

けれどマリアにとって、それは何の意味も持たなかった。


(生きるのも、苦しい)


心の中で、言葉が浮かぶ。


(でも、死ぬのも、きっと同じくらい怖い)


どちらにも進めないまま、ただ立ち尽くしているような感覚。


それでも、明日は来る。

高校に通い、新しい環境に適応し、また「普通」を演じる日々が始まる。


逃げることはできない。

逃げたら、「普通」でいられなくなるから。


マリアは歩き出す。

重たい足を引きずるように、一歩を踏み出す。


生きているだけで苦しい。

それでも、生き続けるしかない。


その痛みを抱えたまま、マリアは今日も「普通」を選ぶ。

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