輝夜居月
「ただいま。服、買ってきた」
「おかえり、礼…!ありがとう」
あの時は百貨店に行ったが、こんどは普通に洋服屋さんに行った。
なんとなく、この美男子であれば何を着ても様になりそうだと思ったからである。
そして、帰ってきて早々、いつもそうしていたように居月が私に抱き着いてくる。
布団越しならまだよかったが、残念ながら布団はとうに放り投げ、下着姿のままで、だ。
これまでは私が居月を抱きすくめていたが、もう体格の差で、
今度は私が居月に抱きすくめられる形になってしまった。
とはいえ、頭の冷静な部分が、今拒否ったらたぶんとても傷つけるだろうと囁くので、
なんとか辛抱した。こういう時、自分の冷静さはありがたい、のかそうでもないのか。
微妙な所だ。
「ほらほら、いいから着る」
「はぁい」
数ある中から適当に居月が選んだのは、無難な白シャツと黒のカーディガンであった。
肌の露出がなくなっただけで、こうも安心感が違うとは。よかった。本当に。
着替えた後、簡単に作ったお昼を食べながら、居月が不思議そうに首をかしげる。
そのしぐささえ、完成された絵のような美しさがある。
礼は思わず見とれそうになりながらも、そっと目線を外した。
「なんでまた、大きくなったんだろう…僕」
「さぁ…私にも分からんね」
「なんか…夢を見てた気がするんだ」
「あ、私も」
「礼も?」
「うん。内容は忘れちゃったけどさ」
「僕も…」
「なんだかすごく悲しかったんだけど、途中、すごく安心したんだ」
「へー…そうなんだ」
お互い、何か夢を見ていたのは分かったが、だからといってそれが何なのかは分からなかった。
でも、そこで居月がいう。
「ねぇ、礼」
「んー?」
「以前、僕が成長した時は、痛い痛いって泣いてたんでしょ?」
「うん。そうだよ。あの時は、すごく心配した」
「…そう」
「うん」
「もしかして、僕…何か思い出しかけてるのかもしれない」
「というと?」
「ううん。確証があるわけじゃないんだ。なんとなく」
「ふむ…モコ以前ね…」
「僕は、この姿だけど…絶対、人間ではないし」
「まぁ…」
少し寂しそうな顔で居月が礼を見る。
礼は、当たり前のような顔で返した。
「でも、居月は居月だよ」
「…ありがとう」
「…あ、そういや」
「うん?」
「今こそ、戸籍取りに行かない?これ以上は成長しないでしょ。多分」
どうでもいいが、どうでもよくない事をおもいだして、礼はポンと手を打った。
以前は、居月が不安だから今はまだいらないといって保留にしていたのだ。
何が不安だったかといえば、礼と離されるかもしれないという不安だ。
礼はそんな事ないと思うとは言ったが、居月は聞き入れなかった。
けれど、今なら見た目であれば立派な成人だ。きっとどうとでもなるだろう。
「んー…そう、だね。流石にもう取ってもいいや」
「よし。じゃあ、役所行くか。今日は幸い、休日でも開いてたと思う」
そうと決まれば善は急げで、二人して早々に家を出た。
役所まではバスで30分ほど。その間、席に座りながら今後の事を考える。
戸籍をもらったら、今後、居月はどうするだろう?
変わらず家にいるのか…まぁいるだろうな。
見た目は成人でも、中身はまだ少年のままの甘えただ。
しばらくは今まで通り…にいくのかは分からないが、それでもいつも通りだろう。
「礼?何考えてるの」
「戸籍取ったらどうするのかなって」
「どうするって?」
「暮らし」
「僕は、礼と一緒がいいよ…」
「知ってる」
「そう、ならいいや」
反応からして、やはり考えた通りだ。
居月はきっと、礼から離されるのが相当嫌なのだろう。
まぁそりゃあ、ゴミ捨て場で拾った毛玉のころから面倒みてるからな、と礼は内心でつぶやく。
今更離されたら、なんかどうなるか分からないな、とも思う。
ここで、そういえばあの頃は癇癪もあの程度だったが、今はどうなるのだろうと思い至った。
成長した今は、かなり恐ろしい事になるのでは?
なんて、すこしの心配が浮かんだが、まぁ、そこは自分次第か、と切り替える。
今はそんな事より、人目をはばからずに頭を摺り寄せてくる居月をなんとかせねばなるまい。
…と、そんなこんなで役所に着き、二人並んで案内所へ向かう。
受付嬢に声をかけると、にこやかな笑顔でこう言われる。
「こんにちは。結婚届ですか?」
「え、いや。違います。戸籍登録に来ました」
「あら、ごめんなさいね。戸籍登録なら3階です」
礼はすこし面食らったが、まだ平静を保てる範囲内だ。
しかし、居月が気になって聞いてくるのでなんと言ったものかと困る。
「礼、婚姻届けってなに?」
「結婚する時に出す書類」
「結婚…」
「ほら、着くよ」
「あ、うん」
3階の窓口は、今日は比較的に空いている日のようだった。
役所の担当者には、今まで親に出生届をしてもらえなかったという知人であると説明した。
幸い、何か深くとっつかれることもなく、申請は無事に済んだ。
「今日から苗字もついたね」
「うん。輝夜 居月かぁ…ありがとう。考えておいてくれて」
「ん。ますます月っぽい名前だね」
「へへ、うん」
ちなみに無収入な事も申告済みだ。今の所は納税も待ってもらえるらしい。
しかし、今の住まい情報は完全にうちになった。これで、もう完全に人間として、居月は扱われる。
「あんた、そのうち仕事とかできるのかな」
「仕事…どうだろ」
「そういや、あんたって中身は何歳児なの?」
「んー…そういえば僕、いくつになるんだろ」
「戸籍上では勝手に24歳とかにしちゃったけど」
「ね。でも、言われてみると、あんまり歳の概念は…ないかも」
「ふむ…」
てことはなんだ、と礼は思う。
外面がモコだったり、少年だったりした時も、
さほど年齢には縛られてなかったという事なのだろうか。
確かに、今の居月もノリは同じだ。ただ、自分に可愛がられて喜ぶ毛玉と地続きである。
けれど、このわずかな時間の中でも、着実に変化は感じられていた。
外面の成長と同時に、考える力や受け答えは確かに大人のそれになりつつある。
やはり、成長は成長か。と、礼は雑にまとめて終わった。
「まぁ、居月はもうこれから大人だから。色々できる事もあるさ」
「大人かぁ…また、急だったからなあ」
「ちょっとずつ慣れてこ」
「うん」
帰宅して、食事の時間。
今度は居月が見よう見まねで作った、ハンバーグ定食を食べる。
やはり器用なのか、普通においしい。
「にしても、なんで急に料理を?」
「だって…僕、もう大人だからね」
「急がなくたっていいんだよ」
「ううん。やりたいから、やってる」
「ふぅん?ならいいんだけど」
外見が変わると、やはり気持ちも変わるものなのだろうか。
とはいえ、礼にとっては見た目こそ大人になってしまった居月だが、
昨日まではあの少年のままの彼でもある。
いまだにどう受け取ったらいいものか、礼は考えあぐねていた。
「…今までのお返しが、したいんだ」
「そう、なんだ」
「大人になったら色んなことができる。本当に、この身体だとそんな気がして」
「そうかー…」
はにかみながら、ぽつりぽつりと告白する居月に、礼は感慨深いものを感じた。
居月の成長を嚙みしめて、ふーっと息をつく。
そしてふわりと笑って、言った。
「ありがと」
「うん」
優しい空気が、部屋を満たす。
礼は、やはりどんな姿であっても、居月は可愛い存在だなと思い直した。
――一方。神の間では。
「彼が、人にまぎれて生きるとは…」
椅子に座った神が、嚙みしめるようにして、しゃべった。
神の間は相変わらず、少なからずざわざわしていて、皆が信じられないといった反応だ。
ただ、その反応も拒絶的だったり、肯定的だったりと様々である。
大きな鏡に映る、礼と居月の姿。
神は目を細めて、喜びとも感嘆ともつかない溜息を吐いた。
この礼という人間がこの邪神にしていることは、かつて自分たちがするべきはずの責任だった。
しかし、神は彼を遠ざけ、邪神は愛を知らずに育った。それが、すべての過ちだった。
しかし、これだけの変化が起きている。
疑心は捨てきれない。まだ、邪神は自分の事を知らない。
この人間も、彼が何者か、まだ知ってはいない。
記憶が戻った時、果たしてどうなるのか。
主神は、沈黙したまま、二人の様子を祈るように見守っていた。
――その一方。
「やだ。なんで、なんでだめなの???」
「やだじゃない。どうしてもだめです」
礼と居月はというと、風呂について揉めていた。
礼としては、当然、もうあの居月の裸体を拝むのは勘弁してもらいたかった。
しかし、居月は依然として、一緒に風呂に入りたいという。
「あのね、もう居月は大人だから。大人同士はそういうことしないの」
「そんなぁ…なんで、なんでなのさ…!」
「なんでも」
居月と言えば、すでに半泣きである。
部屋の明かりはちかちかと点滅を繰り返しているし、ラップ音は酷いし、
外なんて急に強風と雨交じりになって来た。
礼はもう間違いなく、これは居月が起こしているものと分かっている。
分かっているが、引けないこともあるのだ。
「居月は僕が嫌いになっちゃったの???僕が大人になったから???」
「そうじゃない、そうじゃないけど、裸はね、いけません」
「なんで!?」
「いや、だからなんでも」
ダメだ。堂々巡りである。
居月はこういう事に疎いなぁとは、礼は薄々感じてきたことだ。
しかし、ここまでぐずるとは思わなかった。
なんでダメなのかなんて、礼には自分が一番よくわかっていた。
居月を変な目で見たくはない。ひとりの男性として意識したくもないのだ。
それは、あの少年の居月を汚すようで、我慢ならなかった。
しかし、無駄に造形の美しいこの男。
しかも、お互い裸の付き合いをしようなどと、礼にはそこまでの度胸はなかった。
どんなに、居月にその気がなかったとしてもである。
「居月…ほんっとうにごめん。多分、私が悪い。でも、お風呂は勘弁して」
礼にできたのは、誠心誠意、謝る事だけだった。
その場で正座をして、深々と頭を下げた礼をみて、居月はぐっと言葉に詰まった。
「…どうしても?」
「どうしても。ごめん」
「僕の事、嫌いじゃない?」
「むしろ好きだよ」
「好きなのにダメなんだね」
「好きだから、ダメなんだよ」
「……」
居月は、だったらなんで、という言葉を飲み込んだ。
礼の決意は、固い。多分、自分がどんなに駄々をこねてもだめだろう。
大人になるという事が、まさかこんな断裂を生むなんて思いもしなかった。
悲しい。悲しいが、礼が本気で頼んでいることも、嫌というほど分かってしまった。
であれば。
「…分かった」
「ありがとう…」
「でも」
「?」
「出たら、髪、乾かして。よくできました、って撫でて。ぎゅっとして」
「あー…うー……分かった」
「それなら、いい」
居月は自らが譲歩することにした。
けれど、風呂以外であれば譲歩はしない。同時にそう思った。
居月にとっては、礼に触れる事はこの上ない安らぎであり、いつもそばにいる事が当たり前であった。
それが無くなるなんてことは、恐ろしくて考えたくもない事だ。
そんな居月からすれば、十分に譲った結果だった。
ただ、これ以上ごねて、礼に嫌われるのは、絶対に避けたかったという理由もある。
この日、居月はよりほんのわずかだけ、
自分の本心にストップをかけるという事を覚えたのであった。
新しい暮らしのスタート。前途多難である。




