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結婚という言葉


夜もすっかり更けて、居月が礼の袖を引く。

礼は内心で来たか、と思ったが、表に出さないように努めた。



「…寝よ」

「…そうだねぇ」

「まさか、一緒に寝るのも駄目とか、言わないよね」



ぴしっ。また空間に亀裂が走る。

今度の居月は、駄々ではなく、普通に機嫌が降下しているらしい。

礼は、今までになかった居月の威圧に「こいつ…」と思いながらも返事を返した。



「一緒には寝るよ。でも、もう大人だし、抱きしめなくていいね」

「…やだ。無理。じゃあ僕が抱きしめる。もうそれでいいでしょ」



居月としては、もう眠いので面倒なことは考えたくなかっただけではあったのだが。


礼からすればなかなか見ない、威圧的な居月の姿であった。

大人になるって、こんなものか?と礼は少しずれた感想を覚える。

しかし、風呂を譲歩してもらった手前、もう同じ手が通用するとも思えない。



居月は目をこすり、「いこう」と礼を抱きかかえるとそのまま布団にひきずりこんだ。

礼はあまりにも自然な動作に、一瞬思考が止まった。


目の前には、端正な居月の顔がある。



「おやすみ」

「…おやすみ」



なんだか、意識する間もなく、居月は眠ってしまった。

今日は役所に、風呂事件と色々あったからだろうか。


それにしても、一緒に眠る前は変に身構えていたが、いざこうしてみると、

まぁそういつもと変わらないともいえる。身にぴったりとくっつくぬくもりは、これまでと同じだ。

そう思うと、自分だけ変に心配していた事が、急に馬鹿らしくなってくる。


礼は、色々な面倒な事に蓋をして、居月が幸せならいいか、と半ば諦めて、眠った。




――翌朝。



なにかを焼く香りと、フライパンの熱された音で目が覚める。

起きてみると、そこに居月の姿はなかった。


どことなく残念なような、ホッとしたような気持ちでリビングへ向かう。

すると、居月がキッチンに立って料理をしている最中であった。



「おはよう、居月」

「あ、おはよう礼。僕、料理してるよ」

「うん。ありがとう」



今までのお返しがしたい。その言葉が思い出される。

礼は、すこし微笑ましい気持ちになりながら、食事ができるのをまった。



フレンチトーストと、目玉焼き。

朝からなんだか素敵なメニューだ。


礼はほくほくした気持ちになりながら食卓につく。



「おいしそう」

「せめて、家事くらいはね」

「ほう…いつの間に」



いただきますと挨拶をして、切り分けたフレンチトーストを頬張る。

ふわふわで、蜂蜜の甘くて優しい味が、口いっぱいに広がった。



「おいしい」

「…よかった」


「これなら、買い出しとかもお任せしちゃおうかな」

「いいよ」

「ありがとう。じゃあ、居月用に財布用意しておく」

「僕用…」


「うん。もう大人だからね」

「へへ」



しばらく普段通りに会話をして、もう仕事へ向かう時間になる。

居月は、名残惜しそうにして、一瞬ためらったが、ぎゅうと礼を抱きしめた。



「行ってらっしゃい」

「はは…うん。行ってくる」



礼は、別段、特にもう、居月のハグには変に意識しなかった。

こういう所は、あの少年のままなんだと受け止めができたからだろう。

ある種、諦めともいうが。



ぱたん。



扉が閉まる。

居月は、しばらく閉まったままの扉の前で立ち尽くしていたが、

やがて気を取りなおして、さっそく礼から受け取った財布を開いてみた。


10000円札が一枚。5000円札が一枚。

お金のやり取りは、居月もしっかり理解している。



「…大事に使わなきゃな」



ぽつりとつぶやいて、スーパーの開く時間を思い出す。

開店まではまだ時間があったので、先ほど下げた食器を洗い、

洗濯をし、まだぬくもりの残るベッドにごろりと転がり、また起きだして、洗濯ものを干す。


大人になっただけ。言ってしまえばそれだけなのだが、大きな変化だ。

居月は、なんとなくそう思った。


今までは何となく、一人だけで何かする前に礼が先回りしてやっていた。

でも、今はすっかり自由が認められている。それが、なんだかこそばゆい。


風呂に一緒にはいれなくなったのは、今でも残念に思うが、

まだ甘える事は許してくれている。それには、とても安心した。


そして、役所で受付嬢が言っていた言葉を思い出す。

婚姻届け。礼は、結婚する人が出す書類だと言っていた。


結婚。それはなんだろうか。

買い物ついでに本屋にでも寄ってみよう。居月はそう思った、


そして、鞄に財布だけ詰めて、居月は家を出た。

まず、目指すは商店街の本屋である。



「…あった。料理の本と…あとは」



居月はまず、「簡単レシピ30選」という本を手に取った。

軽く流し読みしてみると、なるほど、自分でもできそうな料理のレシピがずらりと載っている。

まずはこれを買う事にして、次に探すのは「結婚」の二文字。



「あった…なになに…?」



居月が手に取ったのは、よくあるブライダルものの雑誌だった。

そこには、白いチャペル、ウエディングドレスをまとった花嫁と新郎の姿を映した写真。

そして、「ふたりの永遠の愛を誓う」という謳い文句が書かれていた。



「永遠の…愛」



居月は、まさに自分と礼の事ではないだろうか。と思った。

この愛という言葉に含まれた俗っぽさを、居月は知らなかったので、単純にそう思った。

礼は、毛玉だった自分を拾い、惜しげない愛をくれた。

そして、自分も礼を愛している。


だったら、自分たちはそのうち結婚するのかもしれない。

いや、自分がいずれ、礼に言おう。


そんな、妙にピュアな情報だけを仕入れてしまった居月は、

機嫌よさげに料理の本だけを買い、本屋を出た。

残すはスーパーでの買い物だけである。


居月は、本を見ながら2~3日分の材料になりそうな食材を選び、

少し悩んで、プリンを二つ買い足した。

そして、難なく買い物を終える。帰り道でも居月の機嫌は良く、足取りは軽やかだった。



「ただいまー」

「おかえり、礼」



いつものように、おかえりのハグをして、礼が嫌がらない事にそっと安堵の溜息を吐く。


居月は、まだ自分がどこまで許されて、どこからが許されないのかまだよくはわかっていなかった。

だから、少しだけ、礼にすり寄るとき、少しの不安が生じるようになってしまった。


でも、幸いなことに、礼は自分を拒まなかった。それが、救いではあった。…風呂以外はだが。



「今日は料理の本を買ったんだ。ほら」

「おー、すごい。ずらっと書いてある」

「もうできてるよ」

「お~、ありがたい」



今日は、鶏肉のつみれスープが食卓を彩っていた。

礼が一口毎に「おいしい!」というので、居月はすっかり気分がよかった。



それなら毎日やってあげよう。

こうして、居月の毎日が決まった。



少しの家事をして、時々ゲームで遊び、本を読んだり買ったりし、学びながら、礼の手伝いをする。

その暮らしは、まるで結婚した男女のそれのようだと、居月は内心とても満ち足りた心地だった。


まだ、礼には言わないが。

どうせ言うなら、もっと自分ができる事を増やしてからにしようと思った。

たとえば、働く、とか。


今はまだ、働く気はしなかったし、どこで働けばいいかも分からない。

だから、たぶん、まだその時ではないのだろう。漠然と、そう思っていた。



結婚という言葉だけ知ってしまった居月。そんな事はつゆほども知らない主人公。

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