居月という名前
目が、醒めた。
悪い夢を見ていたような、そんな変な気分だ。
礼は、少しの間まどろんでいたが、はっとして目覚めた。
「…モコ…!!!」
そう、あんなに苦しんでいたのだ。
一瞬で夜の続きがよみがえってきた。
「も‥‥?」
そこで、ふと気が付く。
腕の中にいるのが、ふわふわの毛玉ではないことに。
「な、え…なに???」
腕に抱えていたのは、ふわふわの毛玉ではあったが、その毛玉には続きがあった。
白い、陶磁器のようななめらかな身体。愛らしいとも、美しいとも言える少年の体躯。
それが、あった。
己が抱えているものが一体何なのか、よく確かめようと身を話そうとする礼だったが、
抱きしめているそれは、離れまいと己にしがみついて離さない。
胸に埋まったままの毛玉部分は、おそらく頭部…と言える。
何となくの感覚だが、今己の腕に抱きしめているのは。
「…モコ…だよな…だよな?」
というか、それしかなかった。
今更モコ以外の存在が急に現れる訳もない。
あまりにもよく寝ているので、起こす気にもなれず、かといって身を離そうとしても、
恐ろしいくらいの力でしがみついてくるので離れることもできず。
礼は、しかたないので…二度寝した。
「礼、礼」
「うぁ…あと五分…」
「礼」
「んー…」
それからたっぷり日も登り、礼は自分の名を呼ぶ声でとろとろ覚醒した。
すると、目の前に映ったのは、可愛さと美しさを同居させたような、少年の顔のドアップだった。
「ふぁっ…!?」
「おはよう、礼」
現実に思考が付いていかない礼をよそに、少年といえば、うっとりほほ笑んで礼にすり寄った。
「僕だよ。忘れちゃった?」
「…まさか、モコ?」
「うん」
礼は、一瞬雷に打たれたような衝撃を覚えたが、同時に、何ともなさそうなモコの様子にひどく安堵し、そして、モコが素っ裸な事に気が付いてめまいがした。忙しない事である。
「また、成長したのか…たぶん」
「僕、大きくなった?」
「なった。すごく、成長したよ。主に人間寄りに」
「目が覚めたら、こうだった」
「…そう」
モコに毛布を巻き付けてやりながら、礼は身体を起こした。
10歳前後の少年の姿になったモコは、自分でも分からないというように首をかしげていた。
礼も礼で、すごく重要な夢を見ていた気はしていたが、どんな夢だったのかは全くもって思い出せなかった。
「あんた、痛い痛いって、夜泣いてたんだよ」
「そうなの…?」
「ん。でも、今平気なら…よかった」
本当に心底安心して、礼は言った。
モコは不思議そうな顔をしたが、すぐにこう言った。
「心配した?」
「当たり前。それだけ酷かったんだよ」
「…ありがとう。礼」
モコはぎゅっと礼に抱き着いた。
礼も、ぎゅっと返した。そして、わしわしと頭を撫でてやる。
くすくすと笑うモコに、再度、安心する礼だった。
少年の姿になったモコは、まごう事なく、見た感じは普通の美少年だった。
しかたがないので、礼は自分のTシャツをモコに着させた。
とはいえ、さすがに大人ものなので、少しダボついている。礼は、少し考えて、こういった。
「服買ってくるから、お留守番ね」
「やだ。これでいいじゃない」
「ダメです。それじゃあ外歩けないでしょ」
「…?外歩いてもいいの?」
「そうそう。よく気が付いた。着替えたら、外いこ。お出かけ」
「礼と?」
「もちろん」
また癇癪を起してラップ音を響かせる前に、お出かけという言葉に気が付いたらしい。
ぱーっと花が咲くような笑顔だった。
礼は恐ろしいくらいに顔がいいなと、少しずれた感想を思った。
普通にしていると、どこかミステリアスな感じの雰囲気をまとってはいるが、
こうして話すと普通に素直で可愛い、普通の少年である。
攫われないように本気で気をつけなきゃな、と、今度は真っ当なことを考えた礼だった。
――一方。
再び、例の次元の狭間では、ひどく場がどよめいていた。
おい、あいつ笑ったぞ。
そりゃ笑うさ、愛されているのだから。
恐ろしいことの起こる前触れではないだろうな…。
口々に、白い集団は思い思いの事を口にする。
大きな鏡に映っていたのは、まぎれもなく礼とモコであった。
「…静粛に」
椅子に座った男が言えば、場はまたさざ波が広がるように静かになる。
「…この子。礼と言ったか。この子は我々の希望になるやもしれん」
酷く慎重に言葉を選んだ。そんな様子の声だった。
「かつての邪神が、人の子とこうした形で出会うとは」
男は、過去を顧みるように、空を見つめ、重々しい溜息を吐いた。
それは、ひどく疲れたような、苦しいものを思い出すような、そんな重い溜息だった。
「あれを生み出してしまったのは、我々神の責任だ。
しかし、やり直そうにも、我々ではそれはきっと、できない事だ…」
当たり前です。あれは我々を恨んでいる。
だから、今のうちにならまだ対処のしようがある。
あんな人間になにができるというのですか。
いや、今度こそうまくいくかもしれないではないか。
また、場が騒がしくなる。
男…いや、神は首を縦に振ってこたえた。
「その言葉も尤もだ。だが…まだやり直せる可能性があるのなら。
もうしばらく、彼らの事を見守ろうではないか。諸君よ」
その言葉には、少しの希望が乗せられていた。
――そしてまた一方。
「ただいま。買ってきたよ~」
「…おかえり!礼!」
子ども用の服を身繕い、買って帰って来た礼を、満面の笑みでモコが迎える。
礼も荷物を下ろすと、懐に迷わずめがけて飛び込んでくるモコをしっかりと受け止めた。
正直、洋服にそれほどこだわりのない礼ではあったが、美少年な見た目の礼にはなんだかいい洋服を着させてやりたくなり、百貨店にまで足を延ばしていたのだった。
「下着でしょ、シャツとサスペンダー付きのズボン。簡単なタイ型アクセサリ。
まぁ、こんなもんでいいでしょ。
あとは普通のズボンとか、シャツとか、カーディガンとか、そんな感じ」
「ふーん? よくわかんないけど、ありがとう」
さっそくTシャツを脱いで素っ裸になるモコに、内心苦笑しながら下着を履かせる。
うん。これだけでだいぶ安心感がある。
今日は軽くでかけるだけなので、無難なシャツとパンツとカーディガンでまとめる。
モコは鏡を見て、私を見て、嬉しそうにはにかんだ。
「礼と一緒だ」
「うん?まぁ、そうだね」
そういえば、礼もまたカーディガン姿であった。
オレンジと茶色のカーディガン。もはや着慣れてすこし草臥れた感のある熟練ものだ。
「…ねぇ、礼」
「ん?なに、モコ」
モコは何やら、少し言いにくそうな、もじもじした様子で礼を見た。
礼は、はてなと首をかしげる。
「モコもいいけど…」
「けど?」
「もう僕、この姿だし。ちゃんとした名前、欲しい」
「あー」
モコが人の姿になって思った事だったが、随分と自我がはっきりしている。
たぶん、テレビで学んだ言葉以上の事も普通に話しているし、こう話しているとかなり聡明だ。
礼は、少し寂しい気持ちになりながらも、それもまた然りか、と妙に達観して、モコ…いや、
この少年の成長を静かに祝福した。
「うん。考えよう…ちょっと待って」
「いいよ」
「こうね、あんたに似合う名前がいいな」
「うん」
「んー…」
「お茶入れてあげる」
「ありがと…」
時間がかかる気配を察してか、お茶を入れにキッチンへ向かう元モコ。
私はああでもない、こうでもないと一人悩みながら突っ立っていた。
「ほら、礼。座って飲もうよ」
「うん…もう少しで浮かびそう」
ずず…と紅茶をすする。
その水面に、証明の丸い輪郭が写る。
それが月のように見えて、そう、この子は月のようだから…と一気に頭が回転した。
「…居月」
「いづき?」
「そう。居月がいい」
「…いい響き。なんて書くの?」
スマホで漢字を見せると、元モコは目に見えて嬉しそうな顔で、
でもすこしにんまりした顔でほほ笑んだ。
「居るっていう字に、月だね」
「そう。ここに居る、月のような子」
「…僕、居てもいいって事だよね」
「そうだよ。なんか心配してた?」
「…ちょっと」
柔らかく頭をなでてやると、居月はすこしだけはにかんで、ぎゅうとしがみついてきた。
「…うれしい」
「あれ、泣いてる?」
「わかんない、けど…すごく、嬉しい」
「…そっか。よしよし」
顔を上げた居月は、瞳に涙を溜めて、それでも幸せそうに笑っていた。
毛玉、美少年になる。




