第91話 割れる天蓋――空喰いの正体
歓声は、長く続かなかった。
青白い空の高み。
天蓋結晶の向こう側に走った黒い亀裂が、ゆっくりと広がっていく。
ミシ……ミシ……と、世界そのものが軋むような音が響いた。
「……何あれ」
リナが見上げたまま呟く。
「嫌なやつだ」
俺――アルクも同じ感想だった。
―――
さっき倒した空喰いは、一体の獣だった。
だが今、割れ始めているのは“空そのもの”。
規模が違う。
「カヤ」
「……っ、はい!」
いつの間にか敬語になっていた。
「この現象、前にもあったか?」
「いえ……こんなの初めてです」
「でも、古い記録には似た記述があります」
―――
彼女は急いで言葉を継ぐ。
「空喰いが増えた後、“夜が落ちた”と」
「その後、多くの都市が消えたと伝わっています」
「夜が落ちた?」
リナが眉をひそめる。
「詩的で嫌だね」
「だな」
⸻
住民たちにも不安が広がる。
さっきまでの歓喜が、一気に恐慌へ変わりかけていた。
子供が泣く。
大人たちは空を見上げ、ざわめく。
「……まずいな」
「うん」
リナが小さく頷く。
「空より先に、人が崩れる」
―――
その通りだ。
こういう時、一番危険なのは現象そのものより混乱だ。
俺は広場中央へ歩き出る。
「全員聞け」
声を張る。
ざわめきが止まる。
「空はまだ落ちてない」
「なら、慌てる時間じゃない」
「避難経路を確保しろ」
「灯りを集めろ」
「子供と老人を優先して地下区画へ移せ」
―――
数秒の静寂。
そして、カヤが叫んだ。
「聞いた通りに動け!」
「今この場の指揮は私が執る!」
住民たちが一斉に動き出す。
「……助かった」
「もう信じられてるね」
リナが笑う。
「勝手に責任も乗ってきたがな」
⸻
その時、空から光の粒が落ちてきた。
雪のように静かに。
だが地面へ触れた瞬間、石畳を腐食させる。
「……綺麗で最悪」
リナが顔をしかめる。
俺は一粒を受け止め、解析する。
「光じゃない」
「何?」
「食われたエネルギーの残骸だ」
―――
空喰いは、ただ光を奪っていたわけじゃない。
天蓋の維持エネルギーを喰い、上へ運んでいた。
つまり。
「……さっきのやつ、端末だな」
「働きアリ?」
「そんな感じだ」
本体が別にいる。
もっと上に。
⸻
「上へ行ける?」
リナが聞く。
見上げる。
亀裂は高すぎる。
通常なら無理だ。
だが。
「行けるようにする」
「出た」
―――
錬金術展開。
広場の塔、街路、屋根、橋梁。
街全体の構造を読み取り、一本の巨大な昇降塔へ組み替えていく。
住民たちが口を開けた。
「街が……変形してる」
「何者なんだ、あの人」
「職人らしいぞ」
「職人って何だ」
カヤが遠い目をした。
⸻
「リナ」
「うん」
「上で何が来ても、読むの頼む」
「任せて」
少しだけ真顔になる。
「アルクも無茶しすぎないで」
「努力する」
「信用ゼロ」
⸻
塔を駆け上がる。
高度が上がるにつれ、空気が冷える。
街が小さくなっていく。
やがて天蓋結晶の層へ到達した。
近くで見ると、それは巨大な結晶板が幾重にも重なった人工空だった。
その一部が、内側から砕かれている。
「……こじ開けられた跡だな」
「中からじゃない」
リナが手を当てる。
「外から」
―――
次の瞬間。
亀裂の向こうから、巨大な眼が覗いた。
「……っ!」
反射的に身を引く。
人の家ほどある眼球。
黒い瞳孔がこちらを捉えていた。
「見つかったね」
リナが乾いた声で言う。
「だな」
―――
眼が消える。
嫌な予感。
「伏せろ!」
直後、天蓋が砕けた。
巨大な腕が突き破ってくる。
鱗とも甲殻ともつかぬ黒い外皮。
五本の爪が街を掴まんと伸びる。
「させるか!」
―――
塔の先端から跳ぶ。
落下しながら術式展開。
「拘束」
砕けた結晶片と塔材を鎖へ変換。
腕へ巻き付かせる。
ギギギ……と嫌な音。
腕は止まるが、押し返される。
「重っ……!」
「アルク!」
リナが声を飛ばす。
「関節、そこ!」
読む力で一点を示す。
「助かる!」
鎖の角度を変え、関節へ集中負荷。
バキン、と音を立てて腕が折れ曲がる。
巨体の咆哮が亀裂の向こうから響いた。
―――
だが、そこで終わらない。
空の裂け目がさらに広がる。
一つじゃない。
二つ、三つ。
無数の眼が覗いていた。
「……冗談だろ」
「群れだね」
「最悪だな」
―――
リナが種子を強く握る。
その種が、淡く光り始めた。
「アルク」
「ん?」
「これ、反応してる」
「何に」
一拍。
「“本物の空”に」
―――
背筋が冷える。
この地下世界アストラ層は、ただ隠された空間じゃない。
何かから逃れるために、空を偽装して閉じた避難世界だったのだ。
そして今。
外の“本物の空”から、追手が来ている。
⸻
「……面白くなってきた」
俺は笑う。
リナが呆れ顔になる。
「その感想、時々どうかと思う」
「でも嫌いじゃないだろ?」
「……まあね」
⸻
割れた天蓋の向こうで、巨大な影たちが蠢く。
地下世界最大の危機が、今始まろうとしていた。
⸻
――第92話へ続く――




