第92話 偽りの空、防衛戦――降りてくるものたち
天蓋が軋む。
巨大な亀裂の向こうから、無数の眼がこちらを覗いていた。
黒い瞳孔。
感情のない視線。
それだけで、街の空気が凍る。
「……見られてるだけで嫌だね」
リナが肩をすくめた。
「同感だ」
俺――アルクは塔の先端に立ち、街全体を見下ろす。
住民たちは避難を続けている。
カヤが声を張り上げ、兵たちが誘導していた。
混乱はある。
だが崩れてはいない。
「まだいける」
「うん」
―――
その時。
亀裂がさらに裂け、最初の一体が落ちてきた。
蜘蛛のような八脚。
だが脚の先は刃になっている。
体表は黒い殻に覆われ、腹部には複数の眼。
「趣味悪いな」
「敵のデザイン担当、絶対性格悪い」
―――
蜘蛛型は落下しながら脚を広げ、街の中央へ着地しようとする。
「させるか」
塔へ手を当てる。
錬金術、広域展開。
街路の石畳、建物の梁、橋の支柱。
都市全体の素材を一瞬で再構成する。
「囲め」
地面から巨大な檻がせり上がる。
蜘蛛型を空中で受け止め、そのまま閉じ込めた。
轟音。
檻が軋む。
「力強いね」
「だろうな」
「褒めてない」
⸻
続けて二体、三体。
今度は鳥型。
翼が刃のように鋭く、羽ばたくたび黒い羽根弾を撒き散らす。
「アルク、右のやつ速い!」
「見えた!」
塔から跳ぶ。
空中足場を連続生成しながら駆け上がる。
迎撃。
鳥型の首元へ手を置く。
「分解」
だが弾かれる。
「硬い!」
「中心じゃない!」
リナが叫ぶ。
「翼の付け根!」
「了解!」
身を捻り、翼基部へ再接触。
今度は通る。
片翼が崩れ、鳥型は旋回しながら地面へ墜落した。
「ナイス!」
「もっと言え」
「調子乗るからやだ」
⸻
残る二体が街へ羽根弾を放つ。
避難中の住民へ直撃コース。
「リナ!」
「もうやってる!」
彼女の瞳が光る。
数秒先の軌道を読み切り、手を振る。
風が流れを変える。
羽根弾が逸れ、空中で交差して互いに撃ち落とし合った。
「便利すぎるな、その目」
「あなたの無茶に付き合うには必要なの」
「嬉しいこと言う」
「今じゃない」
⸻
だが、本命はその後ろにいた。
亀裂の向こうから、巨大な頭部がせり出す。
前回見た腕の主。
街ひとつ分はある巨体。
蛇にも獣にも見える異形。
口元には、光を吸い込む黒い渦。
「……本体か」
「たぶんね」
住民たちの悲鳴が上がる。
カヤですら顔色を失っていた。
「勝てるの……?」
誰かが呟く。
聞こえた。
だから、答える。
「勝てるようにする」
―――
塔の最上部へ立つ。
両手を広げる。
街全域へ術式接続。
建物、橋、塔、水路、畑の支柱まで。
全部素材だ。
「アルク、それ街なくならない?」
「終わったら戻す」
「毎回言うね、それ」
⸻
都市全体が変形を始める。
橋は鎖へ。
塔は砲身へ。
家々の外壁は装甲板へ。
街そのものが、巨大兵装へ姿を変える。
住民たちが呆然と見上げた。
「……うちの家が飛んだ」
「屋根が砲弾になった」
「あとで戻すって言ってた!」
「信用していいの!?」
カヤが叫ぶ。
「たぶん!」
「たぶん!?」
⸻
巨体が咆哮し、黒い渦を放つ。
触れた空間ごと削るような一撃。
「撃て」
街砲一斉発射。
青白い光弾が雨のように飛ぶ。
渦と衝突。
空中で爆ぜる。
衝撃波が街を揺らした。
「相殺……!」
リナが息を呑む。
「まだ足りない」
⸻
巨体がさらに前進する。
天蓋をこじ開け、上半身が地下世界へ侵入してくる。
「来るよ!」
「分かってる!」
だが、この距離なら届く。
俺が跳ぶより早く、リナが前へ出た。
「種、貸して」
「使えるのか?」
「分かんない」
「いつも通りだな」
「そうだね」
―――
彼女が種子を掲げる。
緑金の光が広がった。
天蓋結晶、街路樹、草原、畑。
この地下世界に残る“生命の流れ”が、一斉に呼応する。
無数の蔓が空へ伸びた。
巨体へ絡みつく。
「……っ!?」
初めて敵が怯む。
「アルク!」
「最高だ」
⸻
跳躍。
蔓を足場に駆け上がる。
巨体の額へ到達。
そこにあった。
黒い装甲の奥、青白い核。
「いただく」
手を置く。
だが、その瞬間。
核の中に映像が流れ込んだ。
荒れ果てた本物の空。
崩壊した大地。
逃げ惑う人々。
そして。
この地下世界を追う無数の同族。
「……そういうことか」
こいつらは侵略者じゃない。
“追ってきた側”だ。
―――
だが今は関係ない。
ここを壊させる気もない。
「返ってもらう」
核へ術式注入。
逆流。
巨体全身へ制御破壊が走る。
咆哮。
天蓋の外へ押し戻される。
最後に裂け目を掴もうとした爪が、ゆっくりと滑り落ちた。
⸻
静寂。
街中が息を呑む。
数秒後、歓声が爆発した。
「守った!」
「空が閉じる!」
「すげぇ……!」
―――
だが、俺とリナだけは笑っていなかった。
裂け目の向こう。
さらに巨大な影が、ゆっくりこちらを見ていた。
「……親玉だね」
「ああ」
しかも。
「さっきのより、ずっと賢い」
種子が手の中で震える。
まるで警告するように。
⸻
地下世界最大の戦いは、まだ始まったばかりだった。
⸻
――第93話へ続く――




