第89話 捨てられた空――地の底に広がる世界
門が開く。
重々しい石音とともに、封印の継ぎ目から青白い光が漏れ出した。
地下湖の黒い水面が、その光を反射して揺れる。
冷たい風が吹き抜けた。
「……地下だよな、ここ」
俺――アルクは眉をひそめる。
「うん」
リナも同じ顔をしている。
「でも、風が“外”の匂いする」
―――
草と雨と、遠い雷の匂い。
地下空洞ではありえない空気だった。
蛇竜が身を引く。
『我の役目はここまで』
『先へ行くなら、自分の足で行け』
「案内とかないのか」
『あると思うな』
「試験官気質だな」
『褒め言葉として受け取ろう』
―――
少しだけ笑って、門の先へ踏み込む。
リナも並ぶ。
「行こっか」
「ああ」
⸻
通路は長かった。
壁面は石ではなく、何か白い金属のような素材でできている。
触れると冷たく、微かに振動していた。
「……人工物だな」
「古いけど、壊れてない」
「相当な技術だ」
―――
途中、壁に刻まれた絵を見る。
樹。
空。
人々。
そして、落ちる都市。
「……避難記録?」
リナが呟く。
「たぶんな」
上から何かが落ちてきたのか。
あるいは、空そのものが崩れたのか。
この世界樹は、ただの樹ではなく。
“何かを隠すために育てられた”可能性すらあった。
⸻
やがて通路の先が開ける。
その瞬間、思わず足を止めた。
「……は?」
目の前には。
空があった。
―――
本当に、空だった。
頭上数千メートルはあろうかという巨大空洞。
青白い雲が流れ、遠くで雷が瞬いている。
地面には草原、川、森、そして廃墟の街。
地下とは思えない、もう一つの世界。
「……すご」
リナがぽかんと口を開ける。
「語彙なくなるよね、これは」
「同感だ」
―――
見上げると、天井には無数の発光結晶が埋め込まれていた。
太陽の代わりらしい。
周期的に明滅し、昼夜を再現しているようだ。
「人工天蓋か」
「昔の人、やること派手だね」
⸻
草原へ降りる。
風は本物のように流れ、草は柔らかい。
鳥のような生物が飛び立っていく。
「生態系まであるのか」
「しかも続いてる」
数千年単位で維持されているなら、技術は想像以上だ。
―――
その時。
リナが立ち止まった。
「……誰かいる」
「気配か?」
「ううん」
一拍。
「視線」
―――
直後。
矢が飛んだ。
「っ!」
顔を傾けて回避。
後方の岩へ突き刺さる。
木製に見えるが、金属音がした。
「歓迎されてないな」
「いつものこと」
―――
草むらから数人が現れる。
浅黒い肌。
軽装の鎧。
弓と槍。
そして、警戒しきった目。
「止まれ!」
先頭の女性が叫ぶ。
「名を名乗れ! 地上の亡霊ども!」
「言い方ひどいな」
俺は両手を上げる。
「アルク」
「リナ」
「観光客だ」
「嘘つけ!」
即答だった。
―――
女性は槍を構える。
「その種をどこで手に入れた!」
リナが抱える種子を見ている。
「……これ?」
「答えろ!」
「もらった」
「誰に!」
「樹に」
「ふざけるな!」
―――
「信じてもらえないね」
「だろうな」
―――
その時だった。
地面が揺れる。
ドン、と重い振動。
遠くの廃墟街の方角から黒煙が上がる。
警戒していた兵たちの顔色が変わった。
「……また来た!」
「巡回班がまだ向こうに!」
女性が舌打ちする。
こちらを見る。
迷い。
敵視と焦りがせめぎ合っていた。
「……行けよ」
俺は肩をすくめる。
「今は俺たちより、そっちだろ」
「信用できるか!」
「別にしなくていい」
一歩前へ出る。
「でも手は貸せる」
―――
リナも笑う。
「困ってるならね」
―――
女性は数秒睨んだあと、槍を下ろした。
「……ついて来い」
「変な真似したら刺す」
「先に矢撃った側が言う?」
「うるさい!」
⸻
廃墟街へ向かう道中、事情を聞く。
彼女の名はカヤ。
この地下世界“アストラ層”の見張り隊長らしい。
「上層――世界樹の上に住む者たちは、私たちを捨てた」
「だから門は閉ざされた」
「ずいぶん根深いな」
「根の下だけに?」
「今それ言う?」
リナに小突かれた。
―――
「最近、“空喰い”が増えている」
カヤが続ける。
「空を壊し、光を奪う獣だ」
「空を喰う?」
「見れば分かる」
⸻
廃墟街へ着いた瞬間、それは現れた。
空を泳ぐ巨大な影。
鯨のような体。
だが肉体は半透明で、口元だけが黒い穴のように歪んでいる。
通過した場所から、発光結晶の光が消えていく。
「……あれか」
「でかいね」
「かなりな」
―――
カヤが悔しそうに歯を噛む。
「武器が通らない」
「近づけない」
「街の灯りも、畑の光も奪われる」
―――
少しだけ笑う。
「面白い」
「アルク、その顔出た」
「嫌な予感しかしない」
⸻
俺は空喰いを見上げる。
光を喰う。
物質じゃない。
概念寄りの存在。
なら。
「やりようはある」
リナが隣に立つ。
「いつもの?」
「ああ」
「無茶するやつだ」
「褒め言葉か?」
「半分ね」
⸻
地下の空に眠る世界。
そこにもまた、救うべき人々と、壊すべき問題があった。
⸻
――第90話へ続く――




