第87話 根より深く――封じられたもの
地下空洞に、低い振動が響き続けていた。
ドォン……。
一定ではない。
まるで、巨大な何かが寝返りを打っているような音。
「……嫌な感じだな」
俺――アルクは聖核の前で腕を組む。
「うん」
リナも珍しく笑っていなかった。
「怒ってるっていうより……」
一拍。
「起きる準備してる感じ」
―――
セレアが青ざめた顔で口を開く。
「根のさらに下には、“封じ層”があります」
「古い時代、樹母様が自ら閉ざした場所」
「何がいる」
俺が聞くと、セレアは首を振った。
「伝承では、“食らうもの”とだけ」
「雑だな」
「古い伝承なので……!」
―――
だが、逆に嫌な想像は膨らむ。
名前を残したくないほど危険だった、ということだ。
⸻
聖核が静かに脈打つ。
そして、樹の声が空洞に満ちた。
『……深層封印、劣化を確認』
『外部衝撃と長期侵食により、綻びが生じています』
「つまり」
リナが肩をすくめる。
「私たちが来たタイミングで最悪が重なった」
『概ねその通りです』
「率直だね」
―――
『本来なら、再封印には長い時が必要でした』
『ですが』
聖核の光が、リナの抱える種子へ集まる。
『それがあれば、道を開けます』
「……鍵か」
『はい』
『閉じるためではなく、正しく向き合うための鍵です』
―――
少しだけ笑う。
「最近の敵、だいたい向き合えって言われるな」
「逃げちゃだめってことだよ」
「誰目線だ」
⸻
深層への道は、聖核の裏側に現れた。
根が左右へ割れ、下へ続く縦穴が口を開く。
暗い。
底が見えない。
冷たい風が吹き上がってくる。
「……うわ」
リナが覗き込み、すぐ離れた。
「高いとかじゃなく、深い」
「語彙が雑だな」
「伝染った」
―――
セレアが頭を下げる。
「本来なら私も同行すべきですが……」
「街の立て直しがあるんだろ」
「……はい」
「気にすんな」
リナが笑う。
「戻ったら、おいしいもの用意しといて」
セレアは一瞬きょとんとしてから、笑った。
「承知しました」
⸻
「行くか」
「うん」
俺は穴へ手をかざす。
錬金術展開。
壁面の根を足場へ変え、螺旋状の降下路を作る。
「便利だね」
「今さら?」
「たまに忘れる」
⸻
深層への下降は、想像以上に長かった。
途中から根の密度が減り、代わりに黒い岩盤が増える。
湿った空気。
微かな硫黄臭。
そして。
「……音、変わった」
リナが言う。
さっきまでの振動ではない。
何かを引きずるような音。
ズ……ズ……。
「生きてるな」
「うん」
―――
さらに降りると、空間が開けた。
巨大な地下湖。
黒い水面は鏡のように静かで、天井から垂れる根が無数の柱になっている。
その中央に、石造りの円形台座。
鎖が何本も伸び、湖の底へ沈んでいた。
「……封印装置か」
近づく。
古い。
だが、かなり高度な構造だ。
物理的な鎖ではなく、概念固定の術式まで編み込まれている。
「本気で閉じ込めてたんだね」
リナが呟く。
「ああ」
それだけの相手ということだ。
⸻
その時。
パキン、と乾いた音がした。
一本の鎖が、弾ける。
続けて二本、三本。
「……おい」
湖面に波紋が広がる。
黒い水の下で、巨大な影が動いた。
「アルク」
「分かってる」
―――
水面が盛り上がる。
ゆっくりと、何かが現れる。
まず見えたのは角。
次に、長い首。
鱗。
そして、金色の瞳。
「……竜?」
リナが息を呑む。
違う。
もっと古い。
もっと禍々しい。
「……蛇竜型か」
全長は見えない。
体の大半がまだ湖の中だ。
だが頭部だけで家ほどある。
『……光……うるさい』
低く、直接脳へ響く声。
「喋った」
「しかも機嫌悪いね」
―――
蛇竜はゆっくりとこちらを見る。
『……誰だ、お前ら』
「通りすがりだ」
『嘘だな』
「だろうな」
―――
少しだけ口角が上がる。
相手も、ほんのわずかに笑ったように見えた。
『……樹が、起こしたか』
リナが種子を抱え直す。
その瞬間、蛇竜の瞳が細くなる。
『……それを持つなら』
空気が凍る。
『継承者か』
「何の」
『鍵の』
―――
次の瞬間。
湖が爆ぜた。
巨体が一気に躍り出る。
「……っ!」
速い。
見た目に反して速すぎる。
「リナ!」
「右!」
彼女の声に従い跳ぶ。
直後、いた場所を尾が薙ぎ払った。
岩盤が紙のように裂ける。
「やばっ」
「今の当たったら痛いで済まないね」
「だろうな!」
⸻
着地と同時に錬金術。
地面の岩盤を槍へ変え、蛇竜へ射出。
だが。
鱗に当たった瞬間、砕けた。
「……硬いな」
『当然だ』
蛇竜が鼻を鳴らす。
『封じられても死なぬための身だ』
「厄介すぎる」
⸻
リナが目を閉じる。
「アルク、こいつ敵意だけじゃない」
「何?」
「試してる」
―――
蛇竜は再び鎌首をもたげる。
『鍵を持つ者よ』
『証明してみせろ』
「何をだ」
『世界を継ぐ価値を』
―――
空気が震える。
湖の底から、さらに巨大な影がいくつも動き出した。
眷属か。
あるいは、封印の副産物か。
「……面倒だな」
俺は笑う。
「でも嫌いじゃない」
リナも笑った。
「知ってる」
⸻
深層で待っていたのは、ただの怪物ではなかった。
世界樹が封じた、古き守護者。
そして。
新たな試練だった。
⸻
――第88話へ続く――




