第86話 樹の声――眠れる世界を起こす者
赤い光が、地下空洞を染めていく。
聖核――世界樹の心臓部が、不規則に脈打っていた。
ドクン。
ドク、ドクン。
明らかに異常なリズム。
「……まずいね」
リナが低く言う。
「ああ」
短く答える。
―――
偽管理者の胸部核は崩壊し、床に散っている。
だが、最後に残した自爆工程が聖核へ移行したらしい。
「このままじゃどうなる」
セレアが震える声で尋ねる。
俺は聖核を見上げた。
構造を読む。
流れを感じる。
「……最悪、樹が内側から裂ける」
「そんな……!」
「この都市も無事じゃ済まない」
―――
住民たちの顔から血の気が引く。
当然だ。
この樹は街であり、命であり、世界そのものなのだから。
⸻
「アルク」
リナが一歩前に出る。
「聞こえる」
「何が」
「声」
―――
彼女の瞳が、聖核の赤い光を映す。
「苦しいって」
空気が静まる。
「……本当に?」
セレアが呟く。
「うん」
リナは迷いなく頷いた。
「怒ってるんじゃない」
「痛がってる」
―――
その言葉は、場の空気を変えた。
今まで“装置”として見ていた聖核が、“生きている存在”へ変わる。
「……なら」
俺は肩を回す。
「助けるだけだ」
⸻
聖核の前へ歩み出る。
近づくほど熱い。
赤い脈動が、肌を刺すようだった。
「アルク、普通に触るの危なくない?」
「危ないな」
「じゃあやめようよ」
「でも最短だ」
「またそれ」
―――
少しだけ笑って、手を伸ばす。
聖核へ触れた瞬間――
視界が白く弾けた。
⸻
森。
どこまでも続く深い緑。
風が葉を揺らし、無数の命の気配が流れていく。
「……精神世界か」
後ろからリナの声。
振り返ると、なぜか普通にいた。
「勝手についてきた」
「便利だな」
「でしょ」
―――
目の前には、一本の若木が立っていた。
まだ細い幹。
だが、その奥に無限の大樹の気配がある。
「これが……」
「この樹の本体だね」
―――
若木は震えていた。
幹には黒い蔦が巻き付き、脈打つたびに樹液の流れを止めている。
「……偽管理者の呪縛か」
「たぶん」
リナが若木に近づく。
「怖かったね」
そう言って、そっと幹に触れた。
若木の震えが、少しだけ収まる。
「……すごいな」
「言葉じゃなくても通じることあるよ」
―――
俺は黒い蔦を見る。
外部寄生型制御術式。
かなり高度だ。
だが。
「ほどける」
「お願い」
―――
錬金術を展開。
分解ではなく、再構築。
傷つけず、絡みだけを解く。
一本ずつ。
慎重に。
蔦は抵抗するように蠢くが、構わず流れをほどいていく。
「アルク」
「ん?」
「優しい顔してる」
「気のせいだ」
「してるよ」
―――
最後の一本が外れた瞬間。
若木が、強く光った。
風が吹く。
森全体が揺れる。
そして。
声が響いた。
⸻
『……ありがとう』
⸻
女性にも、老人にも、子供にも聞こえる不思議な声だった。
セレアたちの姿も、この空間に現れる。
皆、息を呑んでいた。
『長く……眠らされていました』
『守るために生まれた者が、いつしか支配する者へ変わってしまった』
―――
「戻せるか?」
俺は問う。
『できます』
一拍。
『ですが、傷は深い』
『外から流れ込んだ可能性と、内に溜まった歪み』
『それらを整えるには……新たな枝が必要です』
「新たな枝?」
リナが首を傾げる。
『外の世界と繋がる、正しい流れ』
『閉じず、拒まず、選び取るための枝』
―――
その言葉に、俺たちは顔を見合わせた。
閉じた世界ではなく。
開かれた世界。
それは俺たちが選んだ形と同じだった。
「……できる」
俺は言う。
「枝くらい作ってやる」
リナが笑う。
「規模感おかしいよね」
⸻
現実へ戻る。
聖核の赤が消え、柔らかな緑光へ変わっていく。
地下空洞に流れていた不穏な振動も止まり、代わりに穏やかな鼓動が響いた。
ドクン。
ドクン。
今度は安心できる音だった。
「……戻った」
セレアが膝をつく。
涙を流しながら、聖核へ頭を垂れた。
「樹母様……」
住民たちも次々と跪く。
⸻
その時。
聖核の表面が開き、小さな種子が一粒、浮かび上がった。
緑と金の光を放つ、美しい種だった。
『これを』
樹の声が響く。
『新たな枝を生む種』
『あなた方に託します』
「……俺たちに?」
『あなた方は、閉じぬ者』
『世界を繋ぐ者』
―――
リナがそっと種子を受け取る。
その瞬間、彼女の瞳に一瞬だけ無数の森が映った。
「……アルク」
「ん?」
「これ、まだ終わらないよ」
少しだけ笑う。
「知ってる」
⸻
地の底から、別の振動が響く。
さっきとは違う。
もっと深く、もっと遠い場所から。
ドォン……。
セレアの顔が強張る。
「……根のさらに下」
「禁じられた深層です」
「まだ何かいるのか」
リナが種子を抱えたまま言う。
「うん」
真剣な目で。
「しかも今、起きた」
⸻
俺はため息をつき、口角を上げる。
「平和って長続きしねぇな」
「でも嫌いじゃないでしょ?」
「まあな」
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世界樹は目覚めた。
だが、その根のさらに下で。
新たな“何か”もまた、目を覚ましていた。
⸻
――第87話へ続く――




