第二十五話 タイエイ中学校⑤
タマがカーテンに手をかけるなり、透き通った日の光が部屋中へ広がった。十二月の窓はその明るさに晒されてもなお氷のように冷え切っていて、彼の溜息を白く映した。
「なんだよ。またなんか喧嘩したの?」
視聴覚室の両端に離れて立つ二人に、振り返るなりタマは眉を下げる。シーバはつん、とそっぽを向いている。……ミナトの事で、言い合いをしたばかりだ。イチハナも腕を組んで、目を合わせなかった。
と、突然のバンッという物音。それをきっかけに、二人はようやく同じ方向へ視線をやる。タマが窓に手をつき、もう片手で額を押さえていた。
「……どうしたんだ」
イチハナの問いに、彼は意識をはっきりさせる為か、何度か頭を振る。
「ちょっと立ちくらみしただけ。大丈夫! ……それより、俺さ。さっきボスから特殊任務言い渡されたんだ。二人もつき合ってよ」
「ボス?」
ニカッと笑う彼に、イチハナ達は瞬きをした。
「――耳栓した?」
二人はタマに言われるがまま、彼の後方でそれぞれ両耳を塞ぐ。タマは悪戯っぽく笑うと、両腕を広げた。
「朝だぞ! 起きろー!」
保健室の扉の前で、彼はシンバルを思いっきり打ち鳴らした。音楽室から拝借した物だ。一帯に、ジャーンというけたたましい音が響き渡る。弾かれるようにしてロクハはベッドから転げ落ち、床に寝ていたジンは飛び起きた。
「っせぇ……いい加減にしろよ、タマキ! 学校も仕事もねぇんだし、もちっと寝せろよ!」
「しょーがねーじゃん! 食事担当、マイコ様の言いつけなんだよ! あったかいうちに、さっさと食えってさ! メシ担の権力には逆らえねーだろ!」
「チッ」
ジンが口を尖らせ、渋々といったふうに腰を上げる。ロクハは眼鏡をかけつつ、笑って扉まで来た。
「はは、なんか昔に戻ったみたいだな。タマキが来てくれて、楽しい事ばっかりだよ」
「そ、そっか?」
と、タマも嬉しそうだ。
「ロクハもマイコも、この馬鹿のお守りで疲れてんだろ? 俺がちょっとは肩代わりしてやっからな!」
それに対し、ジンはわかりやすくむっとする。
「だーれが馬鹿だ! 自分の事棚に上げてよく言うぜ!」
「うわっ、ロクハ聞いた? こいつ、棚に上げてとか知ってたんだ!」
「俺も今思った! すごいな、ジン。賢くなったなあ……」
次の瞬間、その二人の頭に鉄拳制裁が下った。
「いてー!」
「お前ら、俺を馬鹿にしてるけどなあ! 俺は実は、すんげぇ頭いいんだからな! 能ある妻はタカシ殴るって言うだろうが!」
真剣な表情で抗議するジンに、タマとロクハは頭をさすりつつ顔を見合わせる。
「なっ! また笑ったな! 笑っただろ!」
「なにしてんのよー! 遊ぶのは、ごはん食べてからにしてよね!」
銀色のレードルを握ったマイコが、しかめっ面でやってきた。
「折角スープも炒め物も、ほかほかなんだからさあ! すぐ来ないと、あたしが全部食べちゃうからね!」
「だぁから太るんだよなー」
ジンがそう、ぼそりと言った。マイコは口をへの字にし、レードルで三人の頭をコンコンコンと叩いた。タマは不満げに彼女を見る。
「俺とロクハ、なんも言ってねーじゃんよ!」
「笑ったから同罪!」
彼女は一呼吸置いてから、イチハナとシーバへ笑顔を向けた。
「騒がしくてごめんなさい。朝ごはん、出来てますよ」
鮮やかなピンク色のテーブルに、湯気が立っている。炒め物とスープの具は全て、マイコが水栽培で育てた野菜だ。
「……おいしい。料理上手だね、マイコちゃん」
「え、そうですか? よかったあ」
シーバの微笑みに、照れた様子のマイコ。彼女をちらっと見て、ジンは下唇を尖らせる。
「全っ然。こんなのうまくねぇよ」
「なによお。おいしくないなら、食べなきゃいいでしょ」
「うるせぇ」
イチハナはその温かな料理を見下ろしたまま、箸をつけずにいた。ジンが咀嚼しながら、不機嫌そうにそれを見やる。
「……なんだよ。食わねぇんだったら俺が食う。勿体ねぇ」
イチハナは黙って、斜め前の彼へと器を差し出した。うん、と頷きジンが手を伸ばす。
「ちょっと、ジン! 人のぶんにまで手ぇ出さないでよね」
「いや……」
マイコの声を遮り、イチハナは言った。
「これからは、俺のぶんは用意しなくていい」
「えっ? あの……もし残りの食糧の事気にしてるなら、全然大丈夫ですよ?」
「……」
備蓄の心配も、無論あった。しかしイチハナがそう告げたのは、必要性がないと判断したからだ。
「……腹が減らない。空腹になったら、貰う事にする」
「そ……そうですか……?」
彼女は腑に落ちないらしかった。思案げに動かした視線が、やがてタマの皿へ行き着く。彼は箸を握ったまま、魂が抜けたようにぼんやりとしている。
「タマキも食欲ないの? ……うそっ、もしかしてほんとにおいしくなかった?」
「え? い、いや、うまいよ。ただ俺もそう、うん……あんま腹減ってなくてさ……」
そう言う途中、タマの空気が一変した。突如鬼気迫る表情になり、テーブルのあちこちをバンバンと激しく叩き始める。
「む、虫がいる。ほら、料理ん中に入るぞ。皆で捕まえなきゃ。虹色の虫。空と同じ色だ。これがいなくなったら、皆平和になれるんだ。はやく、はやく、捕まえなきゃ……!」
全員が、その様子に目を奪われ固まった。中でもマイコは恐怖を感じたらしく、ぞっとした顔で口を覆う。やがてタマは我に返ったようで、その顔付きがふっと元に戻った。
「……うわ、ごめん……」
と、彼はテーブルに突っ伏す。
「俺なんか今……変な事言ってた。ほんとごめん……」
「……だ、大丈夫? どっか具合、悪いんじゃないの……?」
「そういや、顔色わりぃか? うだうだ考えずに、遊んで食って寝てりゃあいいんだよ!」
マイコとジンに、タマは頷きだけを返す。イチハナは彼の状態に、焦りを募らせた。
食事後、イチハナはロクハを連れ、二階の教室へと移動した。黄色い部屋の中央で、ミナトから得た情報を彼に伝える。彼女の顛末やイチハナ自身の行いは、伏せる事にした。
「俺達が、実験材料? ……政府が元々、俺達を捨てる気だったなんて……」
聞くなりロクハが、目を泳がせる。彼の反応はもっともだ、とイチハナは思う。他人まで混乱させる事は本意ではなかったものの、ロクハの知恵を借りる事が人命救助の足掛かりになると考え、話を切り出したわけだ。
「俺にも、理解出来ない。なぜそんな事を……。実験材料とは、どういう意味なんだ……」
沈黙が流れた。彼達の抱える焦燥とは対照的に、窓の向こうの雲はのんびりと過ぎていく。
しばらくの後、ロクハがはっと顔を上げた。足早に壁際へ行き、マーカーペンのキャップを外す。壁に設置された長方形の大きな電子ボードは内蔵バッテリーも切れ、この状況下で本来の機能を果たしていない。その板に、彼は直接ペンの黒を乗せた。
「…………」
ペンの滑る音だけが、教室内に絶えず鳴る。彼は黙々と、話のキーフレーズや図形のようなものを書き込んでいく。イチハナが見守る中、みるみるうちに電子ボードは真っ黒に染まった。
最後の一文字を書き切ると、ロクハの手が止まる。一呼吸置き、振り返った。
「イチハナさん達が教えてくれた、映画館で会ったおじいさんの話――〝ゼータ〟は元々人間で、過去の世界に生きていた……。それに、イチハナさんの知り合いの女性の話――肉片からでも再生出来るっていう事……。それらの情報を中心に、仮説を立ててみました」
図形の一つを、ロクハはペン先で示す。
「世界が二分割したのは、今回が初めてじゃないんです。今までも何度か、分断を繰り返してきている。例えば、第一ステージが【世界B】、そこに存在する〝ゼータ〟を【〝ゼータ〟A】として考えるとします。この世界が二分割された時に外になる――つまりゆくゆく新国となる世界が【世界B1】、捨てられる世界が【世界B2】です。この〝ゼータ〟がなぜAなのかというと……俺が思うに、〝ゼータ〟は前の世界に従属しているからなんです。【世界A2】で人間として生きていた【〝ゼータ〟A】によって【世界B2】が捨てられ、【世界B1】が【世界C】として生まれ変わります。おじいさんと現〝ゼータ〟が本当に血縁関係なら、おじいさん達はこの【世界C】で共存し、やがておじいさんは【世界C1】、人間だった頃の〝ゼータ〟は【世界C2】にいたんじゃないかと思います。ゆえに今俺達がいるのは、【世界C1】が生まれ変わり分裂した【世界D2】で、あの〝ゼータ〟は【世界C2】から拾われてきた【〝ゼータ〟C】という事になります。つまり政府は……」
「もしかして、無駄なものを排除していっているのか。世界を新しくする度に。能力や地位の高い人間だけの世界を創る為に……」
イチハナは目を見開いた。ロクハが、ゆっくりと頷く。
「俺達は多分……【世界E】の為の研究材料になったんです。不要になった土地と人間達を使って実験し、材料にする価値すらない程にステージが荒廃した時点で、完全に捨てる」
「…………」
「そして、〝ゼータ〟は捨てられる世界の中から選ばれている。どんな基準で選んでいるのかはわかりませんけど……。肉片からでも再生出来るというのが本当なら、この取り残された国に生きていた人間全てが、次の〝ゼータ〟として蘇る可能性があるという事です」
頭を抱え、イチハナは言葉を失う。ロクハは、そっとペンを置いた。
「ごめんなさい。〝ゼータ〟とMSSの繋がりを断ち切る方法は、俺にもまだわかりません……。今は設置しているあの小型機器で、MSSと俺達との繋がりを断つ事しか……」
「…………」
「イチハナさん、もう少しだけ待っていてください」
彷徨っていたイチハナの視線が、彼に留まる。
「五日後、この国を脱出します。もう少しで、あの三つ目の発明品が完成するんです」
彼は迷いのない瞳で、まっすぐにそう言った。
【続】




