第二十三話 タイエイ中学校③
そこは日の当たらない、古びた公園の公衆トイレだった。深緑色のカビが這う壁には、黒い薔薇の模様が毒々しく描かれている。この敷地のうそ寒さを象徴するような、暗く薄汚れた外観だ。建物全体を囲うように黄と青の細いロープが張られており、入口では『使用禁止』の小さなプラ看板が木枯らしに揺れている。ここは丸々、MSSの死角になっているようだ。二人はロープを跨ぎ、中へ入った。
女性用トイレ最奥の壁に、ミナトの姿はあった。壁に背を預け両足を投げ出した形で、ぐったりと座っている。イチハナ達が佇んだまま見下ろしていると、彼女は重々しく瞼を上げた。
「くそ……。あの、武器さえ、あったら……!」
ずいぶん衰弱している。覚束ない口調でそう吐き、ドサッと横たわった。イチハナが駆け寄ってみても、彼女に抵抗する気配はない。全身の筋力を失ったかのように、紫色のタイルへ倒れたままでいる。
「どこか怪我はないか? ……シーバ、なにか食べ物を持っていなかったか」
イチハナが背後に問う。シーバはジャージのポケットに手を突っ込み、ごそごそと動かした。
「いら、ない……誰が、お前らなんかに……」
絞るように、彼女がそう漏らす。血走った目で、シーバを睨み上げた。
「お前のデータは……覚えている。この犯罪者め……!」
その言葉に、シーバの手がぴたりと止まる。冷たくミナトを見下ろした。
「お前だって、犯罪者登録されてる」
「わ……私は住民を……生かす為にやったのよ! お前と一緒にするな、このキチガイが!」
甲高い声が、狭い空間で反響する。シーバは目を細めた次の瞬間、ミナトの頭に勢いよく右足を振り下ろした。「ぐっ……」という蛙の潰れたような呻きを、彼女は上げる。
「やめろ!」
イチハナの制止を、まるで聞き入れない。狂ったかの如く、シーバは何度も何度も彼女を踏みつける。
「う、う……」
イチハナはその二人の隙間へ、自らの体をねじ込んだ。彼女を覆い庇うと、シーバは肩で息をしつつ、ようやく体勢を落ち着けた。
彼女の湿った前髪を目元からどかしてやり、イチハナはその顔を覗き込む。
「あなたは、なにか知っている。俺達に教えてほしい」
真剣な眼差しを送るも、対してミナトは乾いた笑いを零した。
「はは……馬鹿な事を……。あの武器は、もうない……。今更知って、なんに、なるのよ……」
「……言え」
シーバが、そう冷徹な声を落とす。しかし彼女は、口を割ろうとしない。彼は青筋を立て、彼女の腹部に鋭い蹴りを見舞った。イチハナが再び庇おうと身を寄せるも、彼は二人纏めて蹴り続ける。
「はあっ……はあっ……」
やがて怒りの色を消さないまま、シーバは足を下ろした。荒い呼吸をしながらも、転がった女から視線を外さない。
「イチハナ、こいつをここに監禁するぞ。ロープで柱に縛れ」
「だめだ。無抵抗な人間に、そんな仕打ちは出来ない」
「勝手に自殺させない為だ。タオルも咥えさせろ」
「…………」
――これは正義なのか、悪なのか。イチハナは自問自答を繰り返し、迷路を彷徨い続けている。
外に引いてあったロープで、ミナトの体を洗面台傍の柱へと固定した。口にハンカチを詰められた彼女は、項垂れたまま声一つ発しなくなった。イチハナは険しい眼差しで、その姿を見下ろした。
「すまない……ただ、諦めるのはまだ早い」
「…………」
「あなたの情報があれば、この世界が救えるかもしれない。あなたもきっと生きられる」
「…………」
イチハナは耐え兼ねて、顔をそらした。
「……戻って、食事を持ってくる」
後方に立っていたシーバが、鬱陶しげに眉をひそめる。
「馬鹿だな。もっと腹が減れば、口を割る」
「それではあまりに酷すぎる」
「お前の良心なんて、どうでもいいんだよ。情報を得るのが最優先だろ。人間を監禁してる事に気が咎めるのなら、個室でペットを飼い始めたとでも思っていろ」
シーバは身を翻し、出口へ向かった。イチハナも重い足取りで、それへ続いた。
学校へ戻った二人を、四人が出迎えた。
「おかえり! 街の感じ、どうだった?」
真っ先に声をかけたのはタマだ。その笑顔があまりに眩しく、イチハナは心が焼かれるような感覚になる。黙していると、代わりに隣のシーバが口を開いた。
「なあんにも。いつもと同じだよ」
「そ? じゃあよかった。なあ、明日は俺も一緒に行こっか?」
「……いや、タマは皆とここにいてくれ」
彼を見ず、それだけを伝える。タマの表情がすぐに曇った。
「……なんでだよ。俺……なんかだめな事した? なんで急に、俺だけ〝ノア〟から……」
「……」
「俺、ちゃんとやる気あるよ。生半可な覚悟じゃないし、浮ついた気分とかでもない。だからさ……」
縋るように言うタマ。ロクハがなにか察したらしく、彼に笑む。
「イチハナさん達は、タマキが俺達と遊ぶ時間を持てるように、きっと気を回してくれてるんだ。俺も久々にタマキと再会出来て嬉しいし、今は四人で昔みたいに過ごしていようよ」
「……」
タマは納得がいかない様子ながらも、小さく頷いた。
午後七時、家庭科室のテーブルに料理が並ぶ。それぞれ席に着いたが、ロクハの姿だけがない。イチハナは周囲の賑やかさに紛れ、自分宛に配られたパンのパウチをこっそりと懐へしまった。
「あ、やっと来たー」
「ごめんごめん」
遅れてきたロクハに、マイコはてきぱきと器を用意する。彼女の斜め前へ座り、彼は礼を言って料理を受け取った。
「あ。電子フェンス、セットしてきたよ。電圧を最大値まで上げて、完全なドーム型に出来た。これで万が一あいつが来ても、この敷地内には入れないよ」
「すっげえ!」
と、ジンが飛び跳ねる。
「んじゃ、こっから出ずに二年間過ごせば俺達勝ちじゃんか!」
マイコは困り顔で「ちゃんと座って」と彼の足をぽんぽん叩く。そんな二人へ、ロクハは微笑む事なく首を振った。
「いや……俺の装置が完璧に作動し続ける保障はないよ。それにあいつ以外にも、この国には危険材料が多過ぎる。食糧面の問題もあるし……。あの装置達は、あくまで時間稼ぎだよ。早くこの国から脱出したほうがいい」
「……そっかな?」
神妙な面持ちになる皆の中で、タマは場に不釣り合いな声を発する。
「いずれ政府が迎えにきてくれるんだろ? あと二年弱我慢しとけば、フツーに元の生活に戻れるんだよな。だったらこのまま、おとなしく待ってようぜ?」
「…………」
彼は黙り込んだイチハナ達を、不思議そうに見つめた。
仄暗い廊下、タマとシーバの後ろをイチハナは歩く。猫背になったタマは、懐中電灯を持つ腕をもう片方の手でさすっている。
「シーバもイッチャンも寒くない? その服」
「寒くないよ」
「別に寒くない」
「まじで? 俺なんか風邪とかひきそ。早く布団入ろ」
就寝の為、階段を上ろうとしたところ。暗闇の中から小刻みな足音が近づいてきて、三人は振り返る。ロクハだった。
「あれ、マイコ達と話してたんじゃねーの?」
と、タマ。イチハナ達が家庭科室を出る時分、残りの三人はまだとりとめのない話で盛り上がっていたのだ。
「うん。でもちょっと、イチハナさんにも話があって。……いいですか?」
イチハナが彼に了承すると、タマとシーバはそのまま二階へと上がっていった。
【続】




