第二十二話 タイエイ中学校②
日の落ちた理科室で、ロクハはランタンの形をした自作の照明器具を点灯する。その灯を見つめ、彼は長い沈黙の後、イチハナの言葉を反復した。
「あいつ――〝ゼータ〟が元は人間で、今は政府が作った道具……MSSのデータを元に、動いている……」
差し支えないと判断した情報全てを、イチハナは彼へ提供した。自分の世界に入っているようで、彼はぶつぶつと呟きつつ考え込んでいる。
「じいさんの話は、嘘か本当かわからないだろ」
だるそうに椅子へ座るシーバが、溜息混じりに口を挟む。イチハナも、その意見には頷いた。
「……政府管轄の研究センターが保管していた、というのも確かな証拠はない。が、現状から考ると信憑性は高いように思う」
悩ましげに、ロクハは眉を寄せる。
「なんで、政府はそんな事をするんでしょうか……」
「……悪いが、それは俺達にもわからない。……とにかく一刻も早く、MSSの少ない場所へ移動したほうがいい。ここより安全なのは確実だ」
「ごめんなさい。それは……出来ません」
と、彼は即答した。
「ここは道具も揃っているし、あの機械は今、移動出来ない状態なんです」
そう言ってロクハが目線を向けたのは、壁際に置かれた銀色の大きな立方体だ。パイプや回線コードが方々に伸び、作業途中である事が見て取れる。最終的にどのような形になるのか、イチハナには想像もつかない。
「あれは?」
とロクハへ問うと、彼はきっぱりと答えた。
「人間を殺す機械です」
「……」
三つ目の発明品の事を、彼はそう表した。黙したままシーバも、ロクハを見る。
「そして、蘇生させる機械でもあります。……チップとデータが相関関係にあり、死んだ時に抹消されるという情報は、俺にとってすごくありがたいです。それらが消去されるのなら、誰か一人が犠牲になる必要もなく、事前に危険を冒して外へ準備しにいく必要もなくなりました」
イチハナは彼の補足を待った。ロクハはしっかりと、イチハナに視線を定めた。
「臓器を一旦壊死状態にし、非生命体になって、俺達はこの国を脱出します」
「はい、好きなだけ食べてくださいね!」
家庭科室の大きなテーブルを、六人が囲んだ。天井からはロクハ自作の照明器具が吊られており、部屋には充分な明るさがある。料理は、卓上に乗り切れない程の品数だ。どれもかつての物資をアレンジしたものだが、イチハナは気が引けて正面に座るマイコを見た。
「この食糧の数は、あまりにも……」
「今夜はタマキ達三人の歓迎会だし。ねっ?」
含みのない笑顔で、彼女は答える。それでもイチハナが黙っていると、斜め前のロクハも微笑んだ。
「……あ……非常時に備えて、三人で少しずつ溜めておいたんです。誰かの為の蓄えです。どうぞ、気にせずに食べてください」
「イッチャン、こいつらには遠慮しなくていいんだって」
タマが「な?」と声をかけると、マイコとロクハは大きく頷いた。ジンは無反応で、既にガツガツと食べ進めている。
「軽くうたた寝したら、ちょー腹減った。いただきまーす!」
言うなりタマが、悪戯っぽくジンの皿に箸を伸ばした。慌てた素振りで、ジンは皿を取り上げる。
「これは俺んだ! てめぇは自分のがあるだろうがよ!」
「へへ~」
ぎゃあぎゃあとからかい合いが始まり、マイコは頭を抱える。
「あーあ……もういい加減、いい加減にしなよ……」
図書室で二人の騒がしい掛け合いを、延々見せられていたらしい。彼女は、うんざりした様子で溜息を漏らした。
――家庭科室の賑やかさが途切れたのは、食事も終盤になった頃。
「……ねえ、タマキ」
と、テーブルにマイコの声が落ちた。表情から明るさは失せ、彼女の瞳は不安そうに揺れている。
「〝ゼータ〟……だっけ。あいつって、何者なんだろ……。ほんとに、なにか知らない?」
場が、水を打ったように静まり返る。
「今は皆元気で、一緒にいるけどさ……。あたし達……結局殺されちゃうの……?」
「…………」
タマは困惑した様子で、黙り込む。それは未来を案じる故の暗い面持ちではなく、彼女の問いを理解出来ていないせいだ、とイチハナは悟った。
その雰囲気を一蹴したのは、ジンだった。乱暴に箸を置き、彼はマイコへ向き直る。
「ほら、マイコ。見て見て」
彼女の視線が、少しだけ上がる。ジンが、ヒョットコのような顔つきをしていた。
「俺って、ちょーイケメンだろ?」
言いながらまた彼は、珍妙な顔を作る。遂にマイコの口元が緩んだ。
「ぷっ、あはは! うん、うん! ちょーイケメン!」
「だろー? ほら、お前もやってみろよ。ちょー美人になるぜ」
「どーゆー意味よお!」
タマとロクハも二人の笑顔に加わり、テーブルは明るさを取り戻した。
四人が談笑する中、シーバが隣のイチハナをちらと見やる。
「……もう僕は寝る。眠い。明日の計画は、明日の朝に教えろ」
この場に留まる用のないイチハナも、彼に続いて立ち上がる。マイコが、その二人とタマへ視線を送った。
「あ、そうそう。あたし達、保健室で寝てたんですけど……ベッド、二つならあるからどうぞ。タマキは、床に布団敷いて寝なよ」
「いや、俺達はどこでも構わない。君達が譲る事はない」
イチハナの言葉を受け、彼女はタマを見る。どうしたらいいかな、と相談する感じだ。タマは笑顔で答えた。
「ほんと大丈夫。俺達どこででも寝れるからさ。気ぃ遣うなって。ちょっと作戦会議もあるし、三人でどっか……片づいてる教室で寝るよ」
「そ……? じゃあ布団まだあるから、三人のぶんは視聴覚室に敷いてあげるね。保健室からすぐ近いからさ」
オリーブ色の薄いカーペットが、床全体を覆っている。ベランダに頭を向ける形で、三つの白い布団が並んだ。マイコは持ってきた二つの懐中電灯のうち、一つをイチハナの枕元へ置く。
「……じゃ、イチハナさん、シーバさん。おやすみなさい」
もう一つの懐中電灯を握り、彼女は最後にタマを見下ろした。
「……あのさ、タマキがここに来てくれてよかった。ジンもロクハも、喜んでると思う。皆、園出た後結構つらい思いしたみたいだからさ」
「……」
「また明日話そ。おやすみ」
「……おやすみ」
電灯の光は、ゆっくりと廊下を過ぎていった。
数時間後――タマとシーバは、寝息を立てている。イチハナは就寝用の服からスーツへと着替え直し、校内を視察する事にした。
一階の端まで行き着くと、闇と静寂がどこまでも広がっていた。まるでこの世界に、自分だけが取り残されたような感覚に陥る。中庭が見渡せる廊下の窓辺で、不意に歩が止まった。
濃紺の空。月の周りだけが、呼吸をしているかの如く揺らめいている。七色の光揺蕩うその半月を、イチハナは美しいと思った。
しばらくそれを見上げているうち、背後にわずかな気配を感じた。振り返ってみれば、遠慮がちにロクハが立っている。
「あ……ごめん、なさい。邪魔するつもりは、なかったんですけど……」
イチハナは無言で、また窓の外に視線を戻す。ロクハは一歩、二歩と控えめに近づいた。
「……その銃……本物、ですか」
思いがけない指摘に内心驚き、イチハナは上着の内側へと意識をやる。
「気づいていたのか」
「……。上着の片側が、少し膨らんでいるようだったので……。それからイチハナさん、さっきの食事中もそこを気にしているようだったから。きっとなにか、大切な物を入れてるんだろうなって。……やっぱり、そうだったんですね」
「……」
「ごめんなさい、鎌をかけてしまいました」
「……。……本物だ」
イチハナは彼に目を向けないまま、そう答えた。
「撃つん、ですか……?」
「…わからない」
しんとする。イチハナはそっと、目を伏せた。
「自分でも馬鹿げていると、わかっている。なんら根拠のないあの老人の話によって、躊躇いを生じさせるとは……。しかし、どうしても彼の言った事がちらついてしまう。あいつが……〝ゼータ〟が……元は人間で、誰かの母親だったなんて……」
「……」
ロクハが、相手の視線をなぞるように窓向こうの空を仰ぐ。
「俺が〝ゼータ〟を撃とうとする行為も、人の命を奪う事に変わりはないのか……。多数の住民の保安を考えた時、その脅威となる存在を消去しようとするのは、果たして正義なのか己のエゴなのか……。……どうしても、考えてしまうんだ。もし〝ゼータ〟が名すら知らない女ではなく、タマや……自分の慣れ親しんだ人間の成れの果てだったとしたら。殺さないでほしいというあの老人の感情も、理解出来る気がして……」
「…………」
「……なにもかも……わからない……。どうしたら、どの選択肢が、正しいのか……」
「……なにが正しいかなんて、誰にもわからない」
雫のように、ロクハの声がぽつりと落ちる。
「自分の決断と……自分の未来を信じるしかありません」
「…………」
「皆で必ず生き残って、一緒に外の世界へ行きましょう?」
イチハナは、ようやく彼の顔を見た。
「……君は、自分の未来を疑った事はないのか」
「俺達には、心がありますから。今日より明日をいいものに出来るはずです。イチハナさんが今悩んでいる事も、明日を築く礎になると信じています」
「……心、か」
とイチハナは俯く。
「……理解出来るような気がする」
その言葉を聞くと、ロクハは優しい笑みを浮かべたまま頷いた。
「あ……そうだ。さっき、MSSの感知範囲からこの敷地が外れるよう、新たに機器をセットしてきました。電子フェンスと合わせると、より安全性は高まると思います。イチハナさんが、色々と教えてくれたおかげです」
イチハナはすぐに携帯電話を取り出し、確認してみた。現在地の地図上には、確かに誰のデータも表示されなくなっている。
「……すごいな」
素直に感心するイチハナに対し、ロクハは恐縮した様子で首を振った。
「あ、いえ! 知識をひけらかすつもりで言ったんじゃなくて……。イチハナさんの意見を貰えると、俺も助かります。これからも協力してもらえませんか」
「……ああ、わかった」
安堵したようで、ロクハが一呼吸置く。
「……お邪魔しました。あの、眠れないのなら、家庭科室にハーブティーがありますよ。マイコが栽培したやつで……鎮静効果があるんです。よく効くんですよ」
「…………」
「……じゃあ、おやすみなさい。また明日」
丁寧に頭を下げ、彼は廊下を引き返していった。
翌朝。家庭科室で食卓を整えていたマイコは、訪れた〝ノア〟の三人を見るなり興奮気味に口を開いた。
「おはよ、タマキ! 二つ目の発明品の事、もうロクハから聞いた? ここ、MSSの感知範囲じゃなくなったんだって。感知範囲じゃなくなったら、あたし達〝ゼータ〟から襲われないらしいよ!」
合点が行っていないようで、ぽかんとするタマ。マイコはロクハへ視線を移す。
「あっ、でもさ。今思ったんだけどね? そんな事出来るなら、舟ごと死角にしてあの虹色のバリア突破出来るんじゃないの?」
「……いや」
ロクハが返答するより早く、イチハナは声を挟む。上着のポケットから取り出した携帯電話をしばらく見つめ、またしまった。
「あの障壁はMSSの電波とは、規模も仕組みも違う。チップそのものを停止させない限り、突破は不可能だ」
黒いマスクをつけつつ淀みなく言うイチハナを一瞥し、「そういう事」とロクハはマイコに笑む。
「イッチャン、どっか行くの?」
と、椅子に掛けたばかりのタマが見上げる。
「ああ、周辺を見てくる」
「あ、じゃあ俺も!」
すくっと腰を上げたタマを、マイコとロクハが心配そうに見る。イチハナとしてもタマの瞳に、これ以上惨たらしい景色を映したくはない。
「お前はいい。ここで皆と一緒にいろ。俺は一人で行く」
「……」
タマは不満そうに口を尖らせ、再び腰を下ろした。
校舎を出てすぐ、携帯電話を手に取る。MSSの地図上に、周辺住民のデータが表示される気配はない。――ある一人を除いては。
「ん……?」
しばらく歩を進めているうち、地図上に表示されていた赤い印が、二つに増えた。足を止め、後ろを見る。
「なにか隠してるだろ」
と、訝しげにその相手は言う。ジャージのポケットに両手を入れたシーバが、そこにいた。
「……校舎に戻っていろ」
「嫌だ。さっさと教えろ」
この眼差し。気を変える様子は、微塵もなさそうだ。イチハナはそう観念し、携帯電話へ視線を落とす。
「……先程、家庭科室にいた時に表示された。姿を消して以降に、犯罪を重ねたらしい。銃刀所持と傷害で、GPS登録されている。……俺が前に、お前に話した人だ」
地図の一点に触れ、その画面をシーバに提示した。
「話を聞きにいく」
病院で会ったスーツの女――ミナトのデータが、表示されていた。
【続】




