第十九話 チライシアター①
街に吹く風は冷たく、茶色の葉をつけた小枝が身をしならせる。タマは歩きながら、何度も豪快にくしゃみをした。
「っあー……。なあ、電気いつ戻るのかな。新しく住む場所見つかっても、エアコンないと、ちょっときついよな」
「……」
「ケータイのテレビもつかねーし……あっちの人達、バタバタしてんのかな……」
独り言のように呟く彼に対しイチハナはなにも言わず、黒いマスクの位置を正した。
配給所のマシンや救護ロボットは、いつの間にか撤去されていた。どうやら配給が再開される気配はなさそうだ、とイチハナは考えた。
病院から離れるにつれ、MSSの影が増え始める。正面へ視線を伸ばしてみれば、遠く、その機体の下に二つの人体がある。どちらも、血の海へ浸っているようだ。イチハナにとって、それは見慣れた光景だった。が、隣を歩くタマの事を案じ、足を止めた。
「こっちだ」
方向転換し、右へ曲がる。しかし程なくして、またも同じような惨劇が目に映った。再び急停止する。
「なんだよイッチャン、さっきから。道迷ってんの?」
気づいていないらしく、タマは不思議そうにしている。片側のシーバが、前を見据えたまま囁いた。
「無理だよ。この状況じゃあ、どうやったってタマも死体を見る」
イチハナは黙った。確かにそうかもしれない。自分は無駄に抗っているだけなのか、と悔しく思う。
「あー!」
突然タマが叫んだ。道に面した建物に、目を輝かせている。
赤紫色の壁に、薄紫色の正方形模様が描かれた二階建ての建造物。いびつな形をしたステンドグラスの大きな窓が、正面に二か所。
「うっわ、シアターって書いてある! デパートん中とかじゃなくてもあるんだー」
そう言うと彼は、興奮気味にそちらへ走っていった。シーバがその背中を見つめたまま、口を開く。
「タマには、あの話した?」
「していない。今後するつもりもない。あの話が事実だとしたら、俺達は政府によって殺されようとしている事になる。タマが知れば絶望する」
看護師とミナト、二つの話を共有しているのは、この二人だけだ。シーバは見下すようにふん、と笑った。
「絶望するのは、お前もだろ。政府を敵に回すんだ」
「…………」
「〝政府の所有物〟を壊したら、どれだけGPがかさむのかなあ。……まあそれも、MSSの死角でやればいいだけの話だけどね」
「…………」
「おーい! 古いのに、中きれーっぽいぜ! ここ住んでもいいかも!」
窓から屋内を覗いていたタマが、イチハナ達を振り返って手招きする。自動ドアが作動するはずもなく、彼は両手でそれをこじ開けて入っていった。シーバも後を追う。
イチハナは周りのMSSを確認し、携帯電話へ目を落とした。タマとシーバのデータの他に、別の二人のものも表示される。老人と中学生で、いずれも犯歴はない。この場所が既に誰かの住居とされているならば、無闇に入るべきではないだろう。そう考え、イチハナはタマ達を呼び戻す事にした。扉の傍には『重要文化財』と記された看板がある。それを一瞥し、進み入った。
ステンドグラスの光が反射し、金色の受付カウンターが煌めいている。天井には、立派な作りのシャンデリア。赤紫色の室内――見回してみるも、シーバ以外の姿はない。
「タマは……」
彼にそう問いかけた時だった。正面の重厚な扉の奥から、カン、という鋭い音が耳に届いた。鑑賞フロアのうちの一つだ。イチハナは咄嗟に駆け、そこを開いた。
「――ちょ、ちょっと待てって!」
非常灯の頼りない明かりの中。タマは通路を縦横無尽に走ったり、座席シートを飛び越えたりして、後ろの人影から逃げ回っていた。その人物――血まみれのセーラー服を着た少女の手には、鉄パイプが握られている。パーマのかかった金髪を振り乱し、自棄になったように、彼目がけてそれを振りまくっていた。
スクリーンの前まで追いつめられたところで、遂にタマはへたり込み、観念したように彼女へ向き直る。
「……お前、怪我してんじゃねーのかよ……! 病院……」
「うるさい!」
少女はそう怒鳴り、鉄パイプを上段に構えた。並々ならぬ気迫が伝わり、イチハナは仲裁しようと叫ぶ。
「やめ――」
「やめ、なさい……」
イチハナの声を遮るように、暗闇の中から、しわがれた声が聞こえた。
現れたのは、顔の半分が灰色の髭で覆われた、腰の曲がった老人だ。ぶかぶかのボロ布を何着も羽織り、着膨れしている。両腕で腹部を押さえるような体勢で、そろりそろりとスクリーンの際まで歩いてきた。
「じいちゃん! 動いちゃだめだってば!」
少女は叫ぶと同時に、その老人へ抱きついた。彼は小さく呻きながら、その場にうずくまる。服の裾から、ボタボタと大量の血が滴っている。即座にタマが、二人へと寄った。
「だ、大丈夫か!? 血が……」
少女はそんな彼を、きっと睨みつける。
「じいちゃんから離れろ!」
「て、手当てしなきゃ死ぬぞ! ……じいちゃん、俺の背中乗れる?」
「うるさい! うるさい!」
癇癪を起したように叫び、少女は鉄パイプを握り直して立ち上がった。タマの頭上へ、それを振り下ろそうとする。――しかし間一髪、イチハナは彼女の背後から、その鉄パイプを掴んだ。
「…………」
振り向きざま、彼女は敵意を剥き出しにしイチハナを見上げる。視線から逃れたタマは、いまだ深刻な面持ちだ。
「イッチャン、俺さっきの病院まで戻ってくるよ。……お前も怪我してるなら、診てもらったほうがいい。一緒に行くぞ」
タマが老人へ背を向け、そこへ乗るよう促す。少女はカッと目を開き、鉄パイプを手離すや彼に飛びかかった。
「触んな!」
突き飛ばされたタマは気圧された様子で、尻餅をつき言葉を失う。彼女は老人を覆うように抱きしめ、イチハナ達へ視線を刺した。
「騙されないからね! あんたらも、本当は食べ物が欲しいだけなんでしょ? うちらだって、もうなにも持ってないんだから!」
薄暗闇の中、少女の目が光っている。引き下がる気配が微塵もない。
「出てけ! ほんとに殺すからね!」
――足音も立てず、気がつけばシーバもその場に加わっていた。一人緊張感なく、欠伸すらしている。彼に呆れつつ、イチハナは改めて少女へと視線を定めた。
「危害は加えない」
「嘘に決まってる!」
「……」
イチハナが黙って、鉄パイプを差し出す。彼女はしばらく訝しげにじろじろと見つめていたが、やがてそれを受け取った。
その様に安堵したらしく、タマは少しだけ解けた表情になる。
「俺達もさっきまで、病院で面倒見てもらってたんだ。あそこなら、きっと食べ物出してくれる。歩けるよな?」
「……うちは怪我してない。制服のこれは、じいちゃんの血……。あの黒い奴から逃げてる途中で、強盗に襲われて……」
俯いたまま、少女が口惜しそうに言う。イチハナは少し思案し、タマを見た。
「俺が二人を連れていく。お前はシーバとここにいろ。外には出るな」
「や、でも俺だってさ……」
と、彼は不服そうだ。老人がまた、低い呻き声を漏らした。
「もう、よい……私はここで、あの彼女に殺されるのを待つ……それが本望だ……」
「なっ、なに馬鹿な事言ってんだよ!」
老人の肩へ、タマは手を添える。老人は顔を伏せ、重々しく続けた。
「……彼女はな、私の、母親なんだ……」
「……なん、だって?」
イチハナは耳を疑った。
【続】




