第十八話 ゼンヨウ病院③
思いきり扉を開けたが、二人はいまだ危機感とは無縁のようだった。シーバは、布団に潜った状態。タマは上体を起こし、眠そうに片目しか開けていない。
「びっ……くりした……。イッチャン、さっきなんか割れた音しなかった?」
彼がそう言った矢先、シーバの傍の窓が砕けた。そこでようやく、シーバはのそりと頭を出した。
「〝ゼータ〟だ。シーバと隠れていろ!」
イチハナは最低限そう叫び、壁に掛けているホルスターからハンドガンを抜き取った。
廊下をひた走り二階の全病室を開けて回ったが、人の姿はどこにもない。タマ達の元へ達する途中の部屋にも、やはり誰もいなかった。一階へと急ぐ。ナースステーションは複数の非常灯に照らされ、他の場所よりもいくらか鮮明だった。
イチハナの鬼気迫る空気を察したらしく、その場にいた医師と看護師は揃って表情を暗くする。
「あいつなの?」
イチハナはなにも言わず、一階奥にある古めかしい扉へと彼女達を誘導した。電子カルテが主流の現在、それでも昔の紙での記録も残してあるようだ。カルテ保管室には、五十音順に整理された棚が等間隔にずらっと並んでいる。部屋の最奥に薄水色の簡易棚を見つけ、イチハナは二人をそこへ押し込めるようにして隠した。
「もういや……もういや……」
看護師は血の気が引いた顔で、ガタガタと震えている。両手指を組み、消え入りそうな声で祈りの言葉を呟いていた。イチハナは彼女を見た後、医師に視線を定めた。
「全ての部屋を回ったら、ここへ戻ってくる」
「ちょっと待ちなさい! ……イチハナ!」
医師の言葉を遮断するようにその棚の戸を閉め、また走り出す。一階の診察室など全ての部屋を見て回る間、廊下の窓は絶えず割れ続けた。
――最後の部屋へ行き着いた。部屋名を表すプレートもない。取手に力を加えてみても、鍵がかかっていて開かない。
「…………」
何度かそこを、激しく揺すってみた。そのうちガチッという音がして、イチハナは引き戸を開けた。
瞬間、とてつもない腐臭が廊下へとなだれ込んできた。室内には隙間なく、無数の死体が並べられている。
「…………」
非常灯にぼうっと照らされたその全ての顔には、白い布が掛けられている。薄暗闇のその不気味な光景に、イチハナの目は釘づけになった。死体の一つ一つへ、視線を置く。中には、白衣の者もいた。恐らくこの病院の医師達だろう、と推測した。看護師の言った『ずっと一人』という言葉が思い起こされる。
その時だ。突如背後からどんと突き飛ばされ、イチハナは否応なく部屋へと足を踏み入れた。戸が閉ざされ、背後の人物と共に死体の傍へ並ぶ形になった。
その人物――ミナトが、マスクの上から掌で口を覆う。悲痛な面持ちで、死者を見下ろした。
「これだけの人間が死んだのね……。ひどい……」
「…………」
イチハナには、彼女の行動が理解出来なかった。
「……俺は出る。ここに隠れている場合ではない」
「お前には、誰も救えない」
彼女は恨めしそうに、イチハナを睨みつける。
「ほら、ちゃんと見なさいよ。これだけの人間が死んでいるの」
「……わかっている」
――いつの間にか、廊下は静かになっていた。室内の割れた窓のカーテンが、夜風にはためいている。外からも、際立った音は聞こえてこない。
「あれはね」と、彼女が溜息混じりに言った。
「……お前が逃げ回っているあの化け物は、政府下の研究センターが保管していた掃除道具よ。残ったこの国の治安が、一定値以下になった時点で覚醒させる。……住民を殺し回らせる為にね」
「え……?」
イチハナは耳を疑い、咄嗟に相手を見た。
「殺す……? どういう事だ。あれはMSSの改良型が、誤作動を起こしているんじゃないのか?」
食い入るように問いかけるイチハナを、彼女は鼻で笑う。
「なんて滑稽なの。……違うわ。あれは知能を持たず、殺す事しか出来ない」
彼女は、そうっと自らの上着の内側へと手を滑らせる。
「無理ね。覚醒してしまった以上、ここに残った人間があれから逃げきるなんて、普通に考えればどう足掻いても不可能。ここの人間を管理している、政府がバックについてるんだからね」
「…………」
「……お前がどうして〝ノア〟を立ち上げたのか、わかる? イチハナ」
「…………え?」
「ふん、どうせわからないでしょうね」
そう吐き捨てざま、ミナトは上着の内側から素早くハンドガンを取り出し、イチハナの額に銃口を押しつけた。それは通常の銃とは、異なる形状をしている。先端からグリップ部分までが曲線で繋がっている、つの字型だ。
避ける間もなかった。イチハナは見開いた瞳に、女の姿を映すだけだ。
彼女の指が、ぐぐっと引き金を絞る。――が、その表情が突然歪んだ。
「う……っ……うう……。あああ……」
呻き声を上げ、女はその場へ膝を突く。イチハナの足元で、爪を立てるようにして頭部を押さえた。
外側から戸が開く。そこには、ハンドガンを構えたタキクバが立っていた。ミナトは、憎らしそうに彼を見る。
「う……。チップを、オンにしましたね……?」
タキクバはミナトに銃口を向けつつ、彼女の武器をぶん捕った。
「な、んで……。わかってくれると……思ってたのに……」
冷静な表情のままで、彼は女を見下ろした。
「リークの代償だ。ここで俺に殺されるのと、あれに殺されるのと、どっちがいいか選べ」
「誰が……政府の犬なんかに……!」
ミナトはタキクバを押し退け、荒々しく部屋を出ていった。長い息を吐き、彼は銃を懐へしまう。
「またお前を狙うかもしれない。気をつけておけよ」
「……タキクバさんは、なにか知っているんですか?」
イチハナは一心に見つめる。しかし、彼が視線を合わせる事はなかった。
「俺達が生きる世界の背景はな、単純で複雑で……お前が考えているより、ずっと膨大なんだ」
「…………」
「〝ノア〟は、慈善活動組織。この地域の犯罪や問題を未然に防ぎ、治安を維持する事を目的として、お前が立ち上げた。……そうだろ?」
「……はい……」
「……お前はそのまま、前に進んでいろ。それでいい」
静寂な朝霧の中〝ノア〟の三人は、立ち止まって振り返る。病院の正面玄関前、医師がわざとらしく大きな溜息を吐いた。
「ほんっとに、落ち着きのない連中ね!」
タマは苦笑いする。
「俺達にも、色々やる事あるからさ! それより、先生はずっとここにいんのかよ。窓とかぐちゃぐちゃだし……もっとマシなとこに移ったほうがいいんじゃない?」
「……。病院に医者がいなくて、どーすんのよ。こっちの事は心配いらないって」
「そか。……今までありがとな。もう若くねーんだからさ、無理せずに元気で長生きしてくれよ」
「人を年寄り扱いするな!」
「あはは、冗談だって! ……あ、そういや看護師さんは? 俺、看護師さんにもお礼言いたかったんだけどな」
医師がふと、困ったような面持ちになった。
「あ、うーん……実は今朝から行方が知れないの。昨日の事が相当ショックだったみたいで……彼女には悪い事したわ」
「えっ……?」
「ごめんごめん、変な事言ったね。大丈夫! ちゃんと捜して伝えとく」
「うん……」
肩を落とすタマの隣で、イチハナも彼女に対し今朝からの疑問を尋ねる事にした。
「二〇八号室のタキクバさんは? 姿が見えなかったが」
「誰の事?」
「……」
彼女はイチハナの耳元へ顔を寄せ、声量を落とす。
「奥のあの部屋を、開けたでしょ。もうここには、あんた達以外の患者はいなかったの」
「……。それから、もう一つ聞きたい」
「ん?」
「……ずっと考えていたんだが、あなたと俺は、以前どこかで会っていないか」
イチハナの言葉に、医師は一瞬目を丸くしたものの、すぐに苦笑した。タマが前のめりになる。
「イッチャン、口説いてんのかよ! えっ、ちょー意外! こういう人がタイプなんだ!」
「いや、そんなつもりはない」
医師は「もう」と怒った表情で、二人の頭を軽く叩いた。腑に落ちないながらも、イチハナは黙った。彼女はタマと雑談を少しした後、改めてシーバとタマに微笑みを向ける。
「あんた達は、生きなさい。逃げ道が出来るまで、死ぬ気で耐えるんだよ。わかった?」
タマが頷くと、彼女は視線を移動させた。
「……イチハナ」
その悲痛な表情を受け、イチハナは眉を寄せる。
「……ごめんね。私達は非力だから、どうする事も出来ないの。でも、あんたは誰かにとって、間違いなく希望なのよ。この先なにがあっても、それだけは信じていて」
「……」
「ね」
怪訝なイチハナの代わりに、タマが笑顔で返事をした。
【続】




