第十四話 カマヒラ区役所②
※グロシーンがあります。ご注意下さい
それから二日間。イチハナの言葉を守り、タマは外へ出なかった。床にごろんと寝転んだり、椅子をキコキコ鳴らしながら座って、携帯電話をいじったり。一日が、とても長く感じた。
食糧は、都度他の二人のどちらかが持ち帰ってきた。以前に比べ、ずいぶん量が減っている。外へ出ない自分の代わりに、以前会った親子へ物資を届けるよう、シーバに頼んでいた。彼女達にわけたからだろう、とタマは思った。
そして室内にこもってから、三日目の午前十時。イチハナが出かけた後、椅子の傍で靴紐を結ぶシーバを、タマはじっと見下ろした。
「シーバも、今から巡視?」
「うん」
「……。……俺も、行こっかな……」
シーバは嬉しそうに頷いた。
住宅街の一角に差しかかった。両ポケットに手を入れゆったりと歩むシーバと並び、タマはきょろきょろと辺りを見回しながら進む。
「どうかした?」
「あ、いや……この辺、家たくさんあんのに、人はいねーなと思って」
シーバが「アハハ」と軽快に笑う。
「なあんだ、そんな事か。皆寝てるか、死んだんじゃないかな?」
「そっ、そんな事、冗談でも言うなよ!」
「空き家が出来たなら、そっちに引っ越してもいいよね」
「……」
怒る気にもなれない。タマは溜息を吐く。
「……あ、そだ。ちょっと寄り道してもいい?」
気を取り直して、彼に微笑んだ。
――とある一軒家の前に立つ。あの親子の住処だ。しかしインターホンを押しても、反応がない。玄関先から呼びかけてみても同様だ。しんとしている。
「……留守……みたいだな」
ヘアゴムのお礼ついでに子供と遊ぶつもりでいたタマは、残念な気持ちになる。踵を返そうとしたところで、背後からシーバが身を乗り出した。
「あの親子の居場所、教えてあげようか?」
「えっ、どこ?」
わけもわからず、笑顔の彼に誘われるがまま、住宅街をじぐざぐ歩いた。建物の様々な色が、タマの瞳に忙しなく飛び込んでくる。
「こっち。ほら、ここ立って」
「なに? 教えてくれるんじゃなかったの?」
シーバは足踏みして、「こっち、こっち」とそればかりだ。仕方なくタマは、指定された場所に立った。灰色の正面道路の向こうに、蛍光緑をした家。その百メートル横には、蛍光紫の家が見える。それらと三角形を結ぶような位置に、タマは待機させられていた。
「質問です。右の緑色の家と、左の紫色の家。緑色の家には、爆弾が仕掛けられてる」
「え?」
「紫色の家には、親子がいる。タマはどっちに入る?」
「え……ま、待って。爆弾って、どういう事?」
問いかけがまるで聞こえていないかのように、シーバの表情に変化はない。これも彼の遊びの一つなのか。変わっているなと思いつつ、譲歩してタマは二つの家を交互に眺めた。
「じゃあ……紫色の家に入る」
「やっぱりね。タマなら、そう言うと思った。……行けよ」
不思議に思いながらも、タマはそちらへ駆け出した。道を横断し、家まで五十メートル程の地点に至った矢先。手首に着けていたクマのヘアゴムが、ブチッと千切れた。
「あっ……と」
タマは急停止し、足元のそれに手を伸ばした。
――次の瞬間。鼓膜をつんざくような轟きと同時に、爆風が起きた。驚く間もなくタマの体は、後方へと吹き飛ばされていた。
飛んできた木片で、頬に切り傷が出来る。風圧に耐える為、ぎゅっと瞼を閉じた。やがてパラパラと木くずが散らばる音だけになり、恐る恐る瞳を上げる。
「…………」
尻餅をついたまま、茫然とした。先程見た両方の家から、黒煙がもうもうと立ち上っている。
「っ……!」
意識を手繰り寄せ、タマは震えながらも紫色の家へ向かって走り出した。
その家屋は古く、爆発によって原形もない程に崩れている。庭の隅には、弾け飛んだらしい女の生首が転がっていて、口の中一杯に綿が詰められていた。タマは腰が抜け、へたり込んだ。
瓦礫の上に立ち、シーバが笑う。
「紫色の家には爆弾が仕掛けられてない、なんて言ってないよ。嘘なんて言わない。僕って、本当に正直者だよなあ?」
彼はジャージのポケットから、空になった薬品瓶を捨てた。コロコロと転がったそれが、タマの足元で止まる。
「し、シーバが殺し……たの……?」
「この人達にわける程の物資は、もうないよ。でもお腹を減らして我慢しているなんて、すごく可哀想だろ」
彼は平然とそう言った。
「なん……な、んで……こ……こんなひ、ひ、ひどい、事……」
「タマの為でもあったんだよ。タマは、いい子だから。全部を美化し過ぎているんだよ」
「……はあっ、はあっ」
胸が苦しくなり、息がうまく出来ない。溺れるような感覚だ。タマは肩を大きく揺らす。
「ねえ、タマ。いくら僕が好き勝手に振るまおうと、イチハナは僕を絶対に〝ノア〟から外す事は出来ない。それがどうしてだかわかるか?」
「はあっ……、はあっ……、そ……それは……し、シーバの事……心の奥で、し、信じてる、から……」
「アハハ、なんだよそれ。……違うよ。そんなんじゃなくてね」
目を見開いてシーバが、じっとタマを見据える。
「この世の中で物事を円滑に進める為には、どこかしらで必ず非道徳的な選択をしなければならない。でも、それを選択し自分で行う事は、イチハナの自己同一性――正義感に反する事なんだ。だから自分ではなく他人……僕の行動に難癖をつけながらも黙認し、その必要な非道徳的行動を僕にさせる事で、自分と無理矢理折り合いをつけている」
「…………」
「つまり、イチハナがくだらない正義感を捨てない限り、僕を永遠に消す事は出来ない。そしてイチハナがその正義感を捨てる事なんて、恐らくないだろうからね」
「…………」
「〝ノア〟に存在意義も与えてあげているし、タマに忠告もしてあげている。可哀想な人を、助けてあげてもいる。僕は優しくて、正直者で、いつだって間違った事なんかしないんだよ。なのにどうして皆、僕を叱るのかなあ」
シーバは生首の傍へ屈み、穏やかにその頭を撫でた。まるで野良猫に触れるかのような、柔らかな手つきだ。
「タマは僕を、絶対に叱ったりしない。そうだろ?」
「……」
信じていた友の、信じたくない一面を知った。誰かに対し、恐れと悲しさが混濁したこんな感情を抱いたのは、タマにとって初めての事だった。
シーバと別れ、ぼんやりと歩き続けていた。時刻は、午後九時を過ぎている。
レンガ作りの馴染のビルが、段々と近くなる。俯いたままでいると、路上に落ちる明かりがチカチカと点滅した。
「……」
顔を上げ、足を止める。周囲の街灯、建物の室内灯。目に映る全ての灯が、次々に消えていく。――あっという間に、そこには月の光だけ。タマは暗闇に飲み込まれた。
不安が増し、携帯電話を点灯する。壁へ手を添え、ビルの階段を慎重に上がった。部屋の奥へと、手元の光を向ける。
「……外に出たのか?」
椅子へ座したイチハナが、一瞥する事もなく言った。右手のハンドガンを眺めている。明かりにその無機質な表面が反射し、タマは目を丸くした。
「そ、それな、なに? ほ、ほんもの……?」
イチハナが、静かに手を下ろす。
「……仕方ないだろ。〝ゼータ〟から身を守る為だ」
「どこでそ、そんなもの……。お、俺とかシーバを、撃ったりしない……よな……?」
「……馬鹿な事を言うな」
と、階段下から小さな靴音がした。二階の扉前で立ち尽くしていたタマを、シーバは見上げながら上ってくる。
「帰ってたんだ」
「…………」
イチハナは上着の下に着用したショルダーホルスターにハンドガンをしまい、携帯電話を手にする。拡張させると、部屋は幾分明るさを取り戻した。立ち上がり、彼はそれを椅子へ置く。三人が、その光を囲んだ。
「〝ゼータ〟を撃つ。住民が多く集う場所は、いつ狙われてもおかしくない。シーバ、明日は一緒に来い。MSSの死角は全て把握している。そこで射撃すれば、犯歴に登録されない。俺が指示を出す」
「あいつを殺すんだね」
「違う、壊すんだ。これ以上の暴走を止めなければ。……銃はもう一丁あるだろう。それを使え」
会話を聞きながら、タマは頭から凍っていくような感覚に襲われた。目の前の二人が、この状況が。なにもかもが、嘘のようだ。
「……え……な、なに……。なんでそんな、イッチャンも銃とか持ってて……。なんでだよ。もっと平和に……に、二年間……」
イチハナはタマを見据え、前へ立った。
「まだわからないようなら、改めて言う。……この残された世界には、毎日死が溢れている。俺達も死と隣接している。死体の数を見れば、わかるだろう」
「え……?」
視線が安定しないタマを、イチハナはなお厳しい顔で凝視する。
「巡視の時、手分けして路上の死体を弔っているじゃないか。いい加減に、ふざけるのはよせ……!」
「え……う、嘘だ……。嘘だ! だって俺……俺は……一度もそんな……!」
「現実を見ろ。目をそらすな。俺達のいる世界を〝ゼータ〟が破壊して回っているんだ」
「嘘だ……!」
タマは耳を塞ぎ、首を横に振る。皆がこぞって騙そうとしている、と思いたかった。自分にはそんなグロテスクな記憶が、一片も思い当たらないからだ。イチハナは愛想を尽かした様子で、顔を背けた。
逃げるように階段を駆け上り、三階フロアの静寂へと飛び込んだ。頭の整理が追いつかない。窓際で膝を抱えると、床の冷たい温度が伝わり、孤独感を煽る。
「……う……」
そのうちに二つの瞳が、抱えきれなくなった感情を溢れさせた。金髪をぎゅっと掴んだ両手が、やるせなさに震える。タマは声を殺し、一晩中泣いた。
【続】
次で第一層:タマ編はラストです




