第十五話 カマヒラ区役所③
※グロシーンがあります。ご注意下さい
今日も、虹色の朝日が昇る。
いつからこうしているのか、タマにもわからない。泣き疲れ、気がつけばぐったりと、窓の向こうに視線を放置していた。玩具箱のような街並みに、七色の光がゆらゆら波打っている。
二階へ下りると、二人の姿はなかった。椅子の上に、わずかな食糧がある。タマはそれを、ぼんやりと見つめた。
と、一階の扉が閉まる音で我に返る。すぐに窓へ駆け寄り、身を乗り出した。
「イッチャン!」
タマの声に反応を示し、路上のイチハナとシーバは見上げる。
「お前はそこにいろ!」
「…………」
タマは口を結び、窓の縁を握った。二人の背中が、段々と遠ざかっていった。
午前八時前。オレンジと青紫の二色が絡む、千鳥格子模様の建物――区役所には、物資を求める住民が集っている。黒いマスクをしたイチハナは、その四階建ての区役所に隣接した住宅の、庭の木々に身を潜めていた。人の目にもつきにくく、かつMSSの死角になる場所だった為だ。低木の茂みの中に片膝を突き、周囲を窺っていた。――が、背後から現れたタマに気づくなり、彼は目を丸くした。
「どうして来た! 帰れ!」
タマは歯を食いしばり、首を振る。緊迫した面持ちのイチハナが、そんなタマの額へ銃口を突きつけた。
「これから〝ゼータ〟を撃つ。認識しろ! 人の命がかかっているんだ! お前も死ぬかもしれないんだぞ!」
その気迫と、氷のような銃の感触。怖さを感じないわけがない。タマは呼吸を荒くしながら、それでも引き返そうとしなかった。
その時。
「きゃああああ!」
「ば、化け物だああ!」
虹色の空を引き裂くような、住民の叫び声。どこからか、カラカラカラ……と金属を引きずる音もする。はっと息を呑み、二人は視線を一点へと固定した。タマの瞳が、みるみる見開かれる。区役所の屋上に、真っ黒な影――〝ゼータ〟が佇んでいた。
それは上空から獲物を狙う猛禽の如く急降下し、鋭く着地する。長い髪が、竜のように空中へ波打ち、地に落ちる。
――刹那、黒い影は人の山目がけて疾走した。
「っ……!」
イチハナは照準を定め、銃を連射する。が、対象は俊敏にそれをかわし、一直線に住民の中へと突進していく。
「……なに……これ……」
なにもかもが嘘だったなら、どれ程よかった事だろう。タマの目に映る景色は、まさしく地獄絵図だった。〝ゼータ〟によって、人間が枯草のように、ばたばたと刈り倒されていく。灰色の路面や三色のテントが、赤黒く血に染まる。
『消去しました』
イチハナの上着から聞こえる女のその声は、折り重なり不協和音となる。
「し、シーバ……!」
不意に視線を伸ばした先に仲間の姿を捕え、タマは前のめりになった。区役所の裏手から飛び出したシーバは〝ゼータ〟目がけてナイフを振りかざす。
「っ……あいつは……指示を無視して……!」
イチハナが苦い顔で呟く。タマの前方、彼はなおも撃ち続ける。そのうち一発が〝ゼータ〟の肩へ命中し、赤い飛沫が上がった。均衡を崩し、その黒い身体がガクッと傾く。イチハナは一瞬、腕時計を確認した。
「タマ、ここから動くな」
マガジンを入れ替え弾を補充した彼は、立ち上がろうとする。
「い、イッチャンは!?」
「MSSの感知範囲が移動した。今のうちに至近距離から猛撃する」
「ふ、二人だけに危ない事させられねーよ! 俺も〝ノア〟の一員なんだ。一緒に戦う!」
タマの胸倉を、イチハナが憤怒の表情で掴む。
「武器も持てないくせに、どう戦える!」
迫力に気圧され、タマは声が詰まった。
「……お、俺、武器はないけど……で、出来る事、あると思う。二人の、た、盾役、とか……」
イチハナは怪訝な面持ちで、目を細める。
「理解出来ない……。お前は、どうしてそうなんだ。どうして、他人の為に自分を犠牲に出来る……」
「犠牲とかじゃ、ない……俺は……」
堪えきれず、涙がタマの頬を伝った。
「うう……。お、俺は……おれは……誰かが死ぬくらいなら……自分が死んだほうがいい……そのほうが、うれしいっておもうだけ……」
「…………」
「誰も……。たぶん、だけど……わるい奴なんて、い、いないんだ……。そう思える、から……」
胸倉から手を離し、イチハナはじっとタマを見つめた。困惑だけではなく、彼の瞳は複雑な感情を浮かべているふうだった。タマもまた、意思を交わすように視線を合わせていた。
――が、次の瞬間。不穏な気配を感じ、イチハナの背後を見る。タマの全身に、鳥肌が立った。
「い、イッチャン……う、後ろ……」
彼も、タマの視線に倣う。真後ろに〝ゼータ〟が立っていた。間近で見てみれば、人間そのものだ。包帯で覆われた口元から聞こえる、息遣い。ドクンドクンという、鼓動のような音。その音に合わせて青白く光る左目だけが、それを人外だとタマに定義づけさせる。二人はただ、目の前の異形に硬直した。
「はあっ……はあっ……」
襲ってくる気配はない。まだこちらに気づいていないらしい、とタマは思った。息を潜めなければとわかっていながらも、恐怖から呼吸が抑えられない。両手で口を覆うが、息が漏れてくる。
イチハナが、じわりとレバーを解除し銃を構える。茂みの中から〝ゼータ〟の頭へと照準を合わせ、引き金を絞った。
銃声の残響の中〝ゼータ〟はその場へくずおれた。――しかし、それもわずかの間。すぐにまたぐぐっと起き上がり身を翻すや、逃げ遅れた住民を猛追し閃光を見舞う。
その黒い塊へ、自ら飛びかかる人影があった。シーバだ。彼は〝ゼータ〟の背へしがみつき、逆手に持ったナイフを額に向けて振り下ろす。が、力の差は歴然。紙切れの如く空中に放られた彼の上体を、鋭い一太刀が襲った。
「シーバ!」
駆け出そうとするタマを突き飛ばし、イチハナは立ち上がった。
「タマ。出来る事があるというなら、この場所で生き延びてみせろ」
〝ゼータ〟の元へ走る彼の背中を、タマは目で追う他なかった。イチハナは絶えず銃を撃ちながら〝ゼータ〟とシーバの間に割り入るように滑り込む。正面から発砲するもかわされ、二人は刀の棟に薙ぎ払われた。イチハナの体は区役所の壁へ叩きつけられ、千鳥格子の一部が音を立てて崩れる。
「イッチャン! シーバ!」
耐え兼ねて、タマは木々の影から飛び出した。――そこにはもう〝ゼータ〟の姿はなかった。
「はあっ……はあっ……。うう……ううう……」
あるのは血溜まりの中の、無数の死体。横たわったイチハナとシーバの体。タマは肉の塊が転がった赤黒い絨毯を、よたよたと進んだ。
壁際へ倒れているイチハナの元へ屈み、体に乗った瓦礫をかき分ける。彼は小さく呻き声を上げながらも、薄目を開けた。
「〝ゼータ〟は……」
「も、もういねぇよ……。だから……死んだりすんなよ……」
「……っ……俺は、大丈夫だ……それより、シーバを……」
イチハナの視線に促され、シーバを見やった。血染めの衣服。動く気配がない。タマは心臓が、これ以上ない程に握り潰される思いだった。
「……イッチャン、歩ける……? 五百メートルくらい先に、病院がある……。そこに行って、手当てしてもらおう……」
自分を奮い立たせ、恐る恐るシーバの前へ膝を突く。彼を抱えてみると、両手にぬるっとした感触が広がった。
「…………う…………」
体全体で呼吸しながら、タマはようやく彼を背中に担いだ。ずいぶんと重く感じる。頭と心が無茶苦茶になりかけるのを、必死で落ち着かせた。
イチハナは悔しそうに顔を歪め、足を引きずりながら進む。彼に歩調を合わせ、タマは嗚咽した。
「……せ、背中が……どんどん、濡れて、きてる……。しっ、シーバ……死んだり、しない、よな……?」
「……いちいち、泣くんじゃ、ない……」
「な、んでこ……こんな事にっ、なるん、だよ……〝ゼータ〟って、なん……」
「…………」
「……い、イッチャン……。これから、お、俺達……あいつに……こ、殺さ、れるの……?」
「…………」
「なあ、イッチャン……き、聞いてる……?」
タマがそう投げかけてすぐ、イチハナはその場に昏倒した。
【続】
タマ編は以上です。読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。
次回からは第二層です




